あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

相澤三郎 ・上告趣意書 2

2018年05月29日 09時16分48秒 | 相澤中佐事件 ( 永田軍務局長刺殺事件 )

 相澤三郎
相澤三郎 ・上告趣意書 1 の続き

第四  信仰に就て
口は調法なものであります
縦ひ道鏡に問ひましても自分のは國體信念には他に一歩も譲らない者であると云うでありましょう
扨 信仰とは神を信じ之を心から其の信じた誠心に基て行ふことであります
神を信ずると云ひますことは天地自然の生成運行と人生の目的を明らかにし、
天地創造の原理に溶合し其の本源たる神を信じ、
正しく人生の目的に向って孜々として悠久に活動することが、神を信仰すると云ふのでありまして、
一歩一歩、生物の本能より進み歩み、神の御意と信じたことを踏み行ひ、
神の子として神の御側に御仕へすることであります
然し此の言は決して考の全般が現し得ません
信仰には絶對のものを明かに認めなければ信仰に入りません
殊に人間には終世生存慾が、つき纏ひますから、他力のみでは入れません
自ら絶對の前に立つだけの、勇気と純眞でなければなりません
是の信仰はだれにもあるもので、又誰にも消滅するものであります
生存慾がつき纏ふからであります
此の生存慾は神の命によって人生を得ました尊き絶對に發起を同じくしてありまして、
全く信仰と生存慾とは表と裏の様なものとも思はれます
結局口で申せば妙なものになりますが、生存慾の極が信仰になり、信仰が大無窮に何物かを念願します
信仰に進むに従って現實に於て此の生命を非常に大切にすることは生存慾に止まる人以上なものがあります
例へば一滴の血を流すことも親不孝どころでありません
尚夫れ以上相濟まざること眞剱に考へます
然し此の事が神の命なりと信じますれば、所謂大義親を滅する程のことも易々として決行します
此の決行は唯神を信じ神の敎を受けたことによって成立するものでありまして、人を相手にして居りませんから、
他人は想像する位で、到底其の境涯は不可解だと思はれます
説明は不可能であります
楠公、松陰、乃木將軍等殉死せられた境涯は想像する人によって皆異なると思ひます
前にも申しました様に信仰は絶對に始まります
從って自らは完全と思ふ人には信仰は起りません
而して 絶對に直面し得る人には必ず懺悔を伴ひます
即ち懺悔なき信仰は信仰の如何なるものか不明であります
誠にあはれな、あやしいものと思はれます
私は懺悔の極が永田将軍を一刀にしたのであります
神の御前に明かに直立し得ましたから決行したのであります
信仰は現在の如き末世狀態には抜くべからざる活動をなすものと思うはれます
玆に誤解せられがちなことがありますから申上げます
右の活動は唯々神の守護でありまして決して微塵も投機的な考に發するのでありません
玆に歴史を繙き見ますと色々英雄豪傑が其の時代を風靡し其の偉業は後世萬人の敬慕するところでありまして、
又後世之にあこがれ、之を夢にみる人のあることは慾望であります
其の慾望は私心の慾望か、或はそーでないと云ふ人がありましょーが、
非凡な力が其の人を左右し縦横に活動させます
此の活動は決して信仰に基きなされたるものでなく、
自ら頼み遂には神をも頼んで希望を満さんとするのであります
玆に於て信仰に基く活動と英傑の偉業とは其の間に一部符號することを認めますが、
明瞭に其の出發點を異にします
私は英傑の偉業は決して蔑視しませんばかりでなく尊敬致しますが、
決して私の決行は微塵も英雄的の思想に出發はないのであります
平凡なる相沢が何時までも平凡で唯々神の子として正しく一歩一歩前進し、
其の途上に於て辱くも此の大任を受けたのでありまして、
決行後は平凡に臺灣に赴任し一意専心軍務に奨励すると云ふのは、
此の間のことを御了解願ひたいのであります
而して 八月十二日の朝床の中で書いた私記にある通り、
若し私を罪人として御調べになるならば三月事件の調査をなされ、
其の調査が全く無根でありましたならば、御調べを願ひたいと書いてありますのは、
尚一歩退りぞいて私の意中を現して置たのでありましたが、
此の心境については最初より檢察官殿は勿論、豫審官殿も裁判長閣下も御尋ねになられませんでした
全く私の心境は相澤一人知るのみでありますから中々御了解を下さることは無理と思はれます
従って此度は此の皇軍の重大禍根は法廷に於てお裁きを受けよーと思ふて居ります
飽くまで大義の爲めに臣節を全くしようと思って及ばずながら勤めて居ります
若し皇國の眞面目顯現に徒に人がないとか云ふことは卑屈であります
非凡な人をのみ渇仰し、玆に偶々ヒットラー的の人が現はれて名分を無視して偉業を行ふに對し
易々として承認することがありましたなせば、とりかへしのつかない國體にしらずしらず變革せられます
非常に心配であります
尚玆に自らを弁解する一事はあります
夫れは一月二十五日齋藤内大臣閣下に手紙を差し上げんとしましたことであります
此の事は私はあの時は現在に於て皇國の眞面目を現前するには
此のことより他にないと思案の末であります
即ち陸軍部内に於て到底負ひきれぬ狀態を色々の方面に於て明かに至しまして、
遂に國内狀態推移の一大要點たる齋藤内大臣閣下の現下の下情を御認識して下さることが、
何より急務肝要と信じましたからであります
今になって考へて見ますれば、益々あの時に齋藤閣下に少しでも下情を御了承下されたならば、
此の様な悲惨事は起らなかったことと考へられまして實に殘念であります
希は下情を能く大臣閣下のみならず、至尊に御通し下されたいのであります
次に宗教と信仰について申上げます
宗教に信仰はつきものの様に考へる人がありますが、過去に於ては、そーでありましたろー
然し宗教は、天皇信仰に至るまでの過程であります
今玆に世界の二大宗教たる耶蘇教と佛敎とを見ましても各々哲學或は倫理等に重點を置て居りますが、
其の思想の根底には生死問題を中心としました個人完成であります
私は個人完成には別に不同意を唱へませんが個人完成の目的は何でありますか、
其の點に滞りがあったと思ひます
佛教、耶蘇教を信仰したと云ふ民族について其の活動の跡を見ますれば明かでありまして、
縦ひ全體の爲めと云ふことがありましても、其の目的の根底には自己の擴大性があることを認めます
唯独り我國 皇國の精神に於てのみ、
人類全體の完成に悠久無窮の御理想が昭々としてありまして、
玆に於て 尊皇絶對なるものが明かにあるのであります
よく宗教には國境なしと云うて我田引水をやる様でありますが、唯 天皇信仰にのみ國境はないのであります
人類には過去の闘爭より一歩確然として世界の凡てが仰ぐ神の御前に信仰を捧げて始めて
玆に平和なる世界一大家族將來の發端根底を生じます
尚神道でありますが、 尊皇絶對の内に溶合せらるゝものでありまして申上ぐることもありませんが、
唯從來御仁慈にあまへ 神人同各論をなすのが少し脱線しまして現下神道に幾つかの派があります
是れ神の子たることを忘れ自ら神たる思想であります
我國の神社は其の人を崇ふあまり神として祭りますが、幾ら崇い人でも矢張り臣下であります
悠久に臣下は臣下であります
よく死して後護國の神とならん、など考へる人は言葉が誤って居ります
然し是等のことは余り穿鑿するは不可であります
凡てが發達史上の過程でありまして、決して破壊するものではありません
釋迦もキリストも皆吾人現在の尊き恩人、師でありますから尊敬し一切を破壊することなく、凡て此等の上に、 
天皇信仰の世界を宣布せらるることが肝要と存じます
建國精神には破壊はありません
悠久に日一日と懺悔進化發展であります
其の御精神を實行するのであります
又人類の現實に於て中心がなければなりませんから、若し神の御身代を不用と考ふる者が外國にありましても、
昭々たる 天皇陛下によってのみ實現することを深く銘肝し、
我等臣民は此の有難き奉仕に關しては過去の罪惡は懺悔一掃し以て唯々信仰の誠を捧げなければなりませぬ
第五、自力更生に就て
先年東北地方の窮乏が社會の問題となるや當時の首相は自力更生の訓示をされました
此の自力更生に一言します
東北の窮乏に對し自力更生を望むことは名實共に自滅かと思はれます
或る統計によると明治三十年の農民の活動力は昭和八年には
米産に於て二倍、蚕業に於て五倍、其他副業に於て著しき活動をなして居ります
結果に於て負債は約三十倍に増加し、
反對に資本家は資本金に於て約三十倍に増加したることは何を意味しますか
御親政の御名の下に輔弼の責任を負はるゝ人の言としては尚一層切實なるものが必要と思はれます
天皇守護奉仕の責任は閣僚のみならず日本臣民凡ての負ふ所でありまして、
農民は農民で開拓し、其の他の者は之を援け、
殊に爲政者は正義の力を遺憾なく發揚運行しなければなりませぬ
各々が其の職に自力更生しなければなりません
幾度となく申しました様に、
信仰に基く活動は人生の目的でありまして此の間「おれが」を捄んでは零であります
ところが「おれが」を大抵發揮するものでありますから、明徳をけがし、
美擧は忽ち汚れ、一歩も進まないのみならず、
絶へず上下の爭の種を殘し、醸成されず、
目下自力更生は各方面に擡頭して参りましたが一層精進し決して客観的にのみ社会を見ることなく、
生存安住方便に滞ることなく、且つ又は神にもたよることなく、
どこまでも神を守護し奉ると云ふ所に不抜の根底を置かなければなりませぬ
次に天佑を保有すると云ふことを申上げます
是は神の御加護によって遂行せんとする時に可能であるのは、
決して自分の爲めの時に拝受することでありません
常に神の御前に奉仕せられ其の赤誠を以て統帥なされました東郷元帥ら於て、
始めて天佑を保有なされ 陛下に答へ奉ることを得るのであります
人徃徃安々と天佑を保有し得ると考へるは誤りで、建國精神を十分了解し得ざる爲め、
神様は日本のみを守り下さる位に考へるからだろーと思はれます
それでは迷信でありまして、眞の自力更生になりませぬ
第六 懺悔に就て
我等日本人は建國精神に基き邁進するのであります
天皇信仰であります
故に常々神前に懺悔を必要とします
若し建國以來此の精神を擧って實踐致しましたならば、此の世界はとーに一大團欒家族となったと思はれます
然るに過去に於ても現在に於ても大逆は絶へません
例へば南北朝時代は實に大逆と云ひますか、自己を満足せしむる上に於て徳川が表面をつくろい、
どれだけ 天皇を悩まし奉ったかは歴史によって明瞭であります
唯人智が其間に奸策を弄せしめて糊塗したに過ぎません
殊に最近は徳川が江戸にあって京都を苦しめ奉ったのとは違ひまして、御側に於て權力が資本家と通じ、
殊に赤誠を而も 陛下の御名の下に亡ぼさんとするは何たることでしょー
然も武人の大逆なりし三月事件等の如き皆知っても何等究明せらるゝことなく、
國家の凡ての人が其の重職を辱ふするを是認する、
此の現況、然も専ら軍の威信等に掩蔽、姑息、暴逆、遂に統帥權干犯事項を惹起しても、
遂に尚も體面を固守して臣民を圧壓迫することは、
全く建國以來曾て見ざる有様なり、玆に衷心懺悔の必要を絶叫致します
然るに人多くは 皇國日本を以て一部の尊き奉仕なされし古人を尊ぶあまり、
日本臣民の實情を忘れ、吾を忘れ、
或は悪思想の輸入となして外國人を呪ひ少しも自ら不可なりしことを
陛下の御前に懺悔することを知らざるは全く無耻漢としか思うはれません
何時かは後悔する時があろーと思ひます
後悔と懺悔とは違ひます
懺悔し信仰の上に行ふところに後悔はありません
吾等は一層此の危機を思被、自ら省みて人生目的の根底を深くし、人格を養はなければなりませぬ
現在吾等の人格程度では到底世界に 尊皇絶對を宣布すべき偉大なる任務を全し得ません
故に一日も空々ためことなく、滞ることなく、飜然懺悔信仰以て神の子にならなければなりませぬ
陛下に對し奉り全く申譯無のが現在吾等臣民だと思ひます
第七 昭和維新に就て
昭和維新とは昭和の御代に更生せよとの暗示を我等臣民が受けたことであります
昭和の更生は日本人のみでありません
世界人類凡ての更生であります
昭和維新は人類の向上發展上、生存慾に起因する數千年の歴史を有する人類の進化途上にある一段階に過ぎません
若し此の更生を肯ぜずして此の階段に留まれば、人類は行き詰り爛熟期にも末期にも撞著するからであります
其の撞著は第二世界大戰の惹起であります
扨 此階段は人生の進化途上の如何なる階段かと申せば、人生演繹の時代と申したくあります
宗教は大體そーであります
演繹と歸納とは陰陽の様なものであることも考へられます
即ち悠久臣下の過程より見ますれば、陰より陽に入る様なもので決して不可思議なことはないのであります
此の陽は次に踏むべき階段、是れ帰納であります
歸納とは纏まることで即ち一體となることであります
此の一體となることは決して方便でありません
今までの人類進化の跡を見ますれば、世界人類の殆んど總てが闘爭の繼續でありまして、
和睦は闘爭の一休みでありまして、
其の間に抜くべからざる自己發展が根柢をなして居りますから、つまり自らを他に及ぼし、
自らを中心として統一せんとしたのであります
歸納とは其の根柢を決して生存慾より生ずる自己擴大に置くのでありません
大宇宙の情態を從前よりは一層明かに正視し、
今迄は人生問題に於て「吾思ふ故に吾あり」と考へましたことを一段昇りまして、
「神を信ずる故に吾あり」との進化に立脚するのが此の次の階段であります
即ち森羅万象神の命によって存し、神の御下に人類は一大家族たらんとするものであります
凡てが神の子として活動するものであります
此の信念を人生の進化向上に置くこと夫れ即ち信仰の世界でありまして、
我々は、ここに一體になろーと云ふのが歸納と申したことがあります
我等は建國の精神を實踐することが信仰の世界になのであります
陛下の世界に君臨なさらなければならないのは、此の爲めであります
決して現在の撞著したる階段上に於て世界に君臨なさるることを観念するのは不可でありまして、
天皇の眞姿を誤り考へることはいけません
是は大事なことと思ひます
かりそめにも「我國 陛下が世界を統一するとか征服なさる」などの考を起すのは御徳を潰すものであります
現在の社會にのみ溺惑し天孫民族たることを忘れたる人には、
拙者相澤の擧を以て
「 苟も上官を殺害して臺灣に赴任するは現在の世の中に於て不可能ではないか、それは誤りでないか 」
と念を押されますが、
私の考へます眞の日本國の姿に於ては、之を行はずして赴任は不可能だと申上げるのも、
玆に根柢があるのであります
此の現在の社會主義の御方には到底御理解は不可能と思はれますが、
建國の御精神を、ほんとーに信仰なさるゝ方にはよく御了解が出来るものと思ひます
次ぎに、よく国家改造とか云ふ大胆の考の下に色々論議工夫せらるゝ人がありますが、
夫れは生存慾に立脚するものが多い様であります
つまり現在の窮乏行き詰りに一案を提げて腕を振はんとする様でありますから、
戰國ゝ時代の群雄のよーなもので、英雄思想が多分に含まれて居ります
即ち見よーによっては、私心があるとか云ふ非難が他方より生ずるのは當然でありまして、
此の範囲でありましたならば、勝てば官軍、敗るれば賊と云ふた、
明治維新の惨狀を現代に無意味に繰り返す如きものであると思ひます
某師團長閣下は部下上長官に、靑年將校の指導は理論と観念との究明を要すと訓められましたが、
閣下の思想程度も現代のある紛域より一歩も出て居られませんから、
到底大御心を部下に徹底せしむることは困難と思はれました
即ち理論観念を究明し、
尚進で 天皇信仰によってのみ始めて靑年將校の指導が可能であると喝破せられなかったことは、
心窃かに殘念でありました
其後同僚で然も陸軍大學出身の内々嗜の深い人と思って居った大隊長に意見を申しましたが、
到底了解せしむる譯に行きませんでした
私は此の次の階段は、 
天皇陛下を中心として世界人類の一大家族となり、
世界人類は四海同胞の實をあぐるであると申すのが此度の一階段であります
現下の社會状勢は客観的には大部其の必要を認めたよーですが、
現實までの關係は此の階級昇登には非常に難事と考へられるゝ傾もあります
是れ人間の弱点として利害關係から結果を先に考へ、活動が生命なることを忘るゝからであります
此の點に滞って遂に現在に安住するは誠に遺憾なことであります
殊に有識者に一層其の感を深くするのであります
其の一例でありますが、私の知人で秀才、殊に数學に非凡な頭脳を持った某大佐に一昨々年夏、
偶々其の所を訪ね隔意なき意見を交換しましたが、友人は現代の社會を能く能く承知して居りまして、
其の承知したる現代を基礎として生命を全くせんとする個人主義であります
其の牙城に不抜のものもあります
從て徹底したる社會主義とでも申したいのであります
優秀で國家の養殖に居る人に此の類の人が多數あることを想像せられます
天皇機關説を提げて社會に警鐘を亂打せられましても、
微塵も建國精神復興更生には彼等の間には何等の影響を及ぼさないのでありまして、
豈美濃部博士のみではないと思ひます
そこで社會機構の改革の如きことを案出し、社會に覺醒を促しても、
一方に賛成する人あれば反對に非常に脅威を感ずる人がありまして、
結局は池中で盥を廻す様なもので、幾らか、人生の進化途上に貢献することと思ひますが、
此の尊き神より授かりし、人生を其の方に使用活動するだけではすまないと思ひます
そこで、私は餘り其の方法等に深入りを致しませんでした
一應目を通すことがありましても、新聞を見る位なもので餘り心を止めません
唯々社會の實相を了得すること、尊い人によって眞理を究めることには甚大の努力を拂ひました
其の中には非凡なる英雄思想の人や、純真の人や、偉大な人や、智の人や、
畧の人や、色々の人に會し、
殊に將來國家の重要なる關係にある人等に接して自らを練りました
決して自己擴大の思想によったのではありません
人によっては私の或る一部分を捉へて、相澤には覇気があったと申さるゝ人があるかも知れませんが、
それは全部を御覧下されないための誤解であります

即ち方法等に關しては成るべく具體案に触れずにをりました
具體案に滞れば、迷に入り根本を失する恐あるからであります
故に若い友人に交はめにしましても、其の純情に心から尊敬し、自らを励ましたのみであります
悠久に活動するものに或る具體的のことをきめつけると云ふ思想は、
どーしても何かの滞りでないかと云ふ観念は、一貫して居るのであります

信仰の活動上に自然に現下文化途上にある人類吾等には必ず適時適當なる、
よい方法はあみ出せる様になると思ひます

私は信仰に入らざる人類に向っては、幾何の良策も亦一願の価値をなさざることは、
現實の社會の相であると思ひます

どーしても昭和の維新と云ふのは自力によって更生し「神を信ずる故に吾あり」の信仰に邁進し、
玆に暗より漸次にほのぼのと明け行くごとき、

境涯に於て、人生は悠久に進歩活動するものでありまして、
其の明け行く境涯は既に導かれたる神の仕業によって、

自力によって神の御意に適ふ如く厚生活動するにあると確信します
自然に明け行く空を見て人生も必ず自然に天佑を保有すること云ふは、
自己に留まった精神力を考へる迷信でありまして、

自然と云ふ眞意には無窮の活動を不問に附するは誤りと思ひます
尚言を換へて申せば、物質文化の行き詰りより、精神文化に更生することでありまして、
精神文化の目標は信仰であります

信仰の時代に世界人類の貢献すべき活動が人生進化途上現下に於て直面したこと、
それが昭和維新と申し上げたいのであります

精神文化と云ふても何も変わったことでありません
一歩一歩正しく實行するところに一歩一歩信仰を深くし、少しづつ神の御側に近づくのであります
其の間に現在科學を以て推し計るべからざるエネルギーが次第に養成せられます
其の極点は太陽の如く白熱化して無窮とも申したきものがあります
つまり熱を覚へない所には信仰は燃へません
無窮に燃へんとするのが昭和維新の發端だと思ひます
各々持場持場にあって何を燃しても 陛下の御爲めになります
至誠であります
縦ひ全く世間を知らなくとも正しく淸く生命を全せば足ります
豈爲政者のみに止まりません
随時に神の存在を認識し、到る所に神の存在を認識し、
到る所に神を信仰するによって一歩一歩全體に進みます

希くば此の天理を妨ぐることない様になりたいと思ひます
尚私の昭和維新に關する希望を申上げます
一、
神と人類との間には信仰上何人の介在もないのでありますから、
神の御身代の 陛下と吾等臣民との間には
尠くとも速やかに大御心を完全に拝受することを願ひたくあります

大御心を拝受すると云ふのは、
決して現下の情態に於て一人と雖、所を得ようと云ふ具體的のことでありません

一寸誤れば下剋上的の思想と混じまして名分を濁しますから、言及しません
玆に其の要諦であります
即ち實狀下状をよく御照鑑を垂れ給ふて頂くことであります
陛下の御目にとまりましたなら、どなたと雖も、どんな苦しいことでも、
不平どころか死しても 陛下の萬歳を唱へ喜んで生を終へます

恰かも戰場の最後はそれであります
其の心境は即ち 天皇信仰でありまして、平常そこに行く唯一の手段であります
陛下は神の御身代りであらせられますからであります
故に更生に第一の要件は、 陛下が實情を御知り下さることであります
二、
次には、陛下を神として崇拝するのあまり、色々申し上げにくいことを内々にすることはいけません
是は人情ではありますが、玆が懺悔のしどころでありまして、一歩誤ると、 天皇の御徳を瀆すこととなります
御身代りを辱かしめ奉ることになります
陛下が加味の御身代であらせらるゝ爲には、
神の如く何でも大事なことは御照鑑を垂れ給ふのでありますが、
人格をもたせらるゝ 陛下であられますから、
臣下は神の御身代りとして御照鑑を必要となさるゝことは、必ず臣下のより言上しなければなりません

此の事を欠いては、 陛下は機關となります
信仰を破壊します
即ち、 天皇陛下を機關視しまして築きあげることは總て砂上の楼閣であります
築き上げることは、そー急がなくとも心配はありません
徳明なれば自然に現在の進化途上にある吾等は、大御心によって活動の目標は適時明かとなります
信仰を破壊しません
建國精神を宣布することに翼賛し奉ることを得ます
何とかして現在先づ第一に大義名分を明かにしたてものと思ひます
三、
次に今少し奉仕について具體的に申上げますれば、
先づ第一に人格より神格に
陛下になって戴くことに仕へ奉ることであります

養育扶育、補育、輔弼翼賛等の言葉其儘を奉仕奉ることが肝要であります
玆に九千萬凡てが、 陛下の御前に於て活動奉仕することになります
此の奉仕に吾等九千萬が凡て一致することになります
そー申しますと相澤は、こしゃくだ、そんなことはとーに上で、
誰も皆考へて居ると云ふ人がありましょーが、其の自我が大賊であります

例を擧げますれば、永田將軍は誠心誠意大臣閣下を補佐し、若し御採用にならなかったら、
あとはしかたがない、と云はれましたが、

玆が最も大事なことでありまして、永田將軍でさい其の行けんは皆通るものではありません
是が神に萬里隔つる人間だからであります 
仕方がないでなく(玆に下剋上と、永田閣下に御諫め申したところであります)一歩進んで踏み込んで、
懺悔なさるところであります

聡明なる智を以て、自ら足りなかったことを明かに見出し、
大臣閣下との間に眞に一體のものを體得することが、建國精神で國體信念であります

玆に人類は神の前に一體観を實現する所以であります
玆に至るのが信仰であります
全く一例に過ぎませんが御了解を願ひたくあります
どーぞ 陛下を信仰して更生して頂きたいのであります
四、
次には 陛下を英雄観に基て信仰なさることは全く不可であります
勿論人格にして神格を御供へ遊ばす 陛下におかせられましては、人格的差はありましょー、
そこで 明治明治天皇を頌へらるゝ迄はよくありますが、
歴代の 天皇の神格に於て毫末と雖、差別観を有することは大なる誤りで、

此の誤りは建國精神を了解しない爲めであります
私はもっと徹底的に日本人は現御神であらせらるゝ、
陛下を信仰崇拝し尊皇絶對でなければならないと堅く信じます

明治神宮を參拝するのは即ち歴代の 天皇の御靈を參拝するのであります
是れはつまり 陛下を參拝することであります
陛下を尊ぶの餘り、若し事實を明かにせず、體面論に滞り、
奉仕の眞髄を没却して勝手な私心に基く裁判等は絶對によくありません

神徳を潰し奉ります
權力で、御名に於て行はるゝ政事、軍事總ては昭和自力更生の職分を
放擲したるもので大逆族になると存じます

五、
尚現在の國内の情態を一部見た考へを述べさして頂きます
現下の戒嚴狀態現出には、臣民吾等殊に皇國陸軍將校が惡しくありました
從って此結末には皇國陸軍將校の懺悔を必要とします
何となれば皇軍將校は總て三月事件、十月事件を承知しあるに拘らず、
不問に附し來りたるは天人共に斷じて許さざるところであります

此の懺悔を契機として、始めて昭々たる大御心を仰ぎ奉ることを得ると堅信します
皇國陸軍を眞面目顯現の爲めには此の際凡てを懺悔するの外決して他にありません
本件決行を神がかりの狀態でやった、と云ふ人もありますが、
夫は神人同格の思想に基いたのだと思はれます

人間は幾ら尊くあった人でも、世界に唯御一人 陛下の外は皆臣であります
陛下の赤子であります
萬物總て陛下のものであります
私は信仰の白熱化によって愈々大義名分を明かにし、
神聖なる高等軍法會議によって裁判を仰ぐことが、臣節を全くする所と信じ玆に上告致しました

此の統帥權干犯を明かにすることが、神國に最も大切であります
辱くも相澤は其の爲めに神命を 陛下に奉る無上の光榮を担ふたに過ぎません
有難き極みであります
唯此の神命は皇國陸軍將校が懺悔せらることに於てのみ達成せらるると堅く信ずるに至りましたから、
別に三月事件及び十月事件を告發して神聖なる裁判を至急仰ぎます

限りなきめぐみの庭に使へして
今たちかえる神の御側に

昭和十一年五月三十日
相澤三郎拇印
陸軍高等軍法會議裁判長殿

現代史資料23 国家主義運動3 から


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