あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

反駁 ・ 菅波三郎 「 昭和皇政維新法案は澁川が書いたのです 」

2020年08月10日 13時17分58秒 | 反駁 3 後事を托された人達 (公判狀況)


菅波三郎
第四回公判狀況

二・二六事件公判狀況ニ關スル件 ( 第四回、第一公判廷 )
十二月二十一日午前八時五十五分 被告菅波三郎、志岐孝人 入廷、
仝九時五分 若松裁判長以下着席、檢察官席に第六師團法務部長澤田檢察官立會ニテ開廷、
本日ハ菅波三郎ニ對スル事實審理續行。

幕僚ファッショトハ如何ナルモノヲ云フカ
幕僚ニシテ、上ヲ欺キ 下ヲ煽テテ君權ヲ歪曲陋断ろうだんシテ、直接行動ヲ以テ
國體、皇軍ノ團結、統率ヲ破壊シテ、建軍ノ本義ヲ誤るモノヲ云フノデアリマスガ、
今次事件ニ依リ根底ヨリ之ノ信念ヲ覆ヘサレマシタ。

十月事件ニ關係シタル内容ヲ述ベヨ
昭和六年八月頃鹿児島ヨリ上京スルト、
櫻會ヲ中心ニシテ満蒙振興問題ニ附テ國策ヲ論議シテ居ルノデ、
大變良イ事ダト思ツテ入會シマシタガ、
満洲事變勃發ト同時ニ橋本中佐ハ ケマルパシャ ヲ引用シテ旺ニ直接行動ヲ稱賛シ、
或ハ料亭ニ於テ大豪遊スルノデ、少シ様子ガ變ダト思ツテ居タ処、
三月事件ト同様ニ、
橋本中佐ガ陸軍大臣トナリ、長勇少佐ガ警視總監ニナルンダト大言壯語シテ居ルノニ嫌氣ガシテ、
( 尤モ、私ハ最初ヨリ偵察ノツモリデ入會シテ居タノデスガ )
極力靑年將校ヲ抑ヘテ來タノデスガ、
ダンダン具體的ニ、シカモ漠然トシタ計畫ガ判ツタノデ、
橋本中佐ニ其ノ非ヲ責メタ処、
或ル日ノコト、小原大尉カラ決闘ヲ申込マレテ神楽坂ノ料亭デ大喧嘩ヲシタコトガアル位デス。
・・・リンク→末松太平 ・ 十月事件の体験 (4) 「 なに、鉄血章、 誰が言った !! 」
時期ハ十月ノ靖國人社ノ祭礼ノ時デハナイカト思ヒマシタ。

靑年將校中誰ガ自重派カ
急先鋒ハ私デ、其次ハ大岸、香田、村中等デシタガ、大蔵ハ未ダ醒メマセンデシタ。

跳躍前進ト云フガ、如何ナルコトカ
愈々最後ニ決行スルコトニナツタカラ、
私ハ歩三ヲ引聯レテ命令ニ抗シ
參謀本部ヲ襲ヒ橋本中佐以下ヲ監禁スルツモリデ、
他ノ部隊ハ、決行スレバ仕方ガナイカラ、
之ヲ中央部ニ願ツテ、義軍トシテ統帥系統内ニ入レテ頂クツモリデシタ。
コノコトヲ後ニ至ツテ他ノ人々ガ云フ様ニナリマシタ。

茲ニ於テ、被告ニ對シ法務官ハ、直接行動ヲ是認シテ居ルデハナイカ、

跳躍前進ニシナクトモ、他ニ之ヲ中止セシムル方法アリタルニ非ズヤ、被告ノ派ト別派ガヤルノダカラ氣ニ入ラナカッタノダロウ、
ト追及シタル後、
被告ハ軍内ニ派閥アリト思料スルヤ、アリトセバ、其ノ現象ヲ示セ

封建軍隊ノ殘留物タル粕ガ殘ツテ居ルト思ヒマス。
長閥、何々閥ト云フモノガアル様ニ思ヒマス。
長閥ヲ壓ヘタモノハ永田鐵山デス。
之ハ陸大入リヲ阻止シタ實例デス。
現在ノ思想的ニハ、具體的ニハ知リマセンガ、
新聽界等デハ清軍、皇道、統制派ト呼ンデ居リマスガ、
私ニハ何レデモアリマセン。皇道原理派デス。

具體的事例ハ
私ノ體驗ニ 二、三アリマスガ、申シ上ゲカネマス。
靑年將校ヲ無理解ニ彈壓スルノガ、派閥抗爭ノ一譬デセウ。

日本改造法案大綱ニ對スル認識如何
前回申上ゲタ通リ、常ニ私ハ批判的態度デス。
其ノ心底ニ流ルゝ哲學原理ハ之ヲ肯定スルモ、
其ノ
國體観ニ附テハ私ハ天降リ説ヲ信ジ、彼ハ進化論、三段論法ヲ云ツテ居リマス。
政策ノ點ニ就イテハ一考ヲ要シマス。

( 茲ニ於テ澤田檢察官退廷ス)
五 ・一五事件ノ時ハ其精神ヲ重ンジテモライタイト運動シナカッタカ
陸軍ノ靑年將校ハ落附イテ居リマスカラ、
安心シテ國策遂行ニ邁進シテ下サイト陸相ニオ願ヒシタノデス。

満洲滞在間、資金ヲ多額ニ調達シタル様デアルガ、二・二六事件ノ爲準備シタルカ
私ハ新京警備司令部ニ警備將校關係ヲシテ居タ關係上、
警備關係事項ニ就キ憲兵司令官ノ部下トシテ働キ、
且ハ 關東軍第二課第三班ト密接ナル聯絡ヲシテ居タノデ、種々ノ人ノ顔ヲ知リ、
情報ノ蒐集、日人、満人、鮮人ノ永久工作タル思想善導ノ爲、
満洲靑年同志會、協和會 其他を上司ノ内諾ヲ得テ支援シテ居マシタ。
勿論、之ハ満鐵改組問題ニ就イテ満鐵側ガ反對シタカラデス。
処ガ、田中隆吉中佐ガ十月事件ノ私憤ニテ私ヲ中傷シタノデ相當困リマシタガ、
憲兵ガ證明シテ呉レマシタ様ナ事件モアツタガ、同志會ハ發展シマシタ。
其ガ爲ニ大澤隼、鳥海啓、辻正雄、北村等ヲ知リマシタノデ、
其等カラ謝礼金トカ情報用トシテ多額ノ献金ガアリマシタノデ、内地デ困ツテ居ル者ニヤリマシタ。
昨年夏内地ニ歸ヘル時ハ、内地ニ歸ヘレバ内地問題ヲ専心ヤロウト思ヒ、
機關誌ノ必要ヲ期待シ、私ハ粛軍徹底ノ爲 幕僚ファッショ攻撃センコトヲ企圖シ、
之ガ私ノ國家改造ノ第一目標デアルノデ、
現役ヲ退イテ五 ・一五事件出所者ト塾デモ開キ一生ヲ捧ゲルツモリデ金策ヲシタノデス。
之ハ前回申上ゲタ様ニ使途致シマシタ。

直接行動ノ認識ニ就イテ訊ネルカ、被告ノ理解スル改造法案中ニデモ、
昭和皇政維新法案、在満決行計畫中ニモ、大岸ニ宛タル文中ニモ、
共ニ直接行動ヲ是認シアル部分ヲ散見スルガ、如何

在満決行計畫ハ關東軍幕僚ガ昭和八年頃内地ト相呼應シテヤルト云フ案デアツテ、
私ノ深ク感知スル処デハナイ。
改造法案ノ見解ハ、前ニ申シタ通リ。
大岸宛ノ實力云々、砲煙云々ハ、相澤公判ノ證ショウ出廷スル氣持チヲ書イタノデス。
昭和皇政維新法案 ハ 
澁川ガ書イタノデス。

靑年同志會ノ テキス ト トシテ之等ノ文章ガ使用セラレテ居ルノヲ被告ハ知ラヌト云フカ
一切ハ鳥海啓ガヤリ、他ハ關東軍ノ内諾ヲ得テヤッタノデスカラ
、惡イトハ思ヒマセン。

前ニ戻ルガ、派閥抗爭ハ大將級ニモアルト思ハヌカ
新聽ニ依ルト アルト思ヒマスガ、
私ハ荒木大將ハドンナ批判ヲ受ケテモ、正シイ人ダト思ヒマス。
元來、靑年将將ハ對立的トハ申シマセンガ、十月事件關係者ハ露骨ニ云フノデ、弊害ヲ生ズルト思ヒマス。
譬ヘバ、田中隆吉中佐ノ如キハ、靑年將校ガドウシテ國家改造ガ出來ルモノカ、
非常時ハ俺達ガ造ツタノダ、俺達ハ南ヲ担グノデハナイ、板垣ヲ担グノダ、
ト 云ツテ居リマス処ヲ見ルト、上層部ノ方モ之等ニ担ガレテ居ルノデハナイデセウカ。

相澤事件ヲ如何ニ考フルヤ
其精神ヲ認メマスガ、私ガ證人ニナロウトシタノハ、其ノ行動ヲ是認シタモノデハナイノデス。
私ノ信念タル三月事件、十月事件ノ如キ幕僚ファッショヲ清算シナケレバ、何回デモ不祥事ハ起キルノデアル。
彈壓スベカラザルモノヲ彈壓し、彈壓スベキモノヲ彈壓シナイ様デハ駄目ダ、
之ガ肅軍デアリ、上下一本、建軍ノ本義ニ基ク統帥ヲ正スコトニナルト思ツタカラデス。

斯カル事件ヲ公開スルコトハ差支ナキヤ
部内ニ公開スルコトデス。
相澤公判ヲ利用シテ全國ノ靑年將校を奮起セシムル爲デハアリマセン。

茲ニ於テ裁判長ハ、三月事件、十月事件ガ左様迄惡イコトデアルト云フナラバ、
今次事件ガ上層部ニ於テ高等政策ニ依リ、
部隊ト將校トヲ切離シテ有耶無耶ニスルト云フコトハ考ヘラレナイコトデハナイカ
ト 豫審調書ニヨリ 詰寄リタリ。
次デ、法務官ハ前回ト同様ニ 二十八日ニ於ケル訓示内容中
「 中隊長ヲ殺セ 」
トカ、

「 中隊長ニ附イテ來イ 」
トカ、
「 君民一體デアルベキニヨリ、中間的存在ヲ許サナイ 」
トカ 云フコトハ、
明ニ東京事件ヲ聲援スル様ナ演説ヲシテ、
兵ニ疑ハシテハ不可ナイト思ツテ居タコトハ事實デハナイカ、
ト 憲兵ノ證言、豫審調書ヲ讀聞カレタルガ、
被告ハ當時ノ狀況ヲ説明シ
斷ジテ支援シタリ、兵ヲ聯レテ上京スルガ如キ意思ナシ
ト弁明シ、
中隊長トシテ熱心ノ餘リ 斯カル疑イヲ受クルニ至リタル
旨ヲ應ヘ、
午後四時三十五分、次回ハ明十二日午前九時開テイスル旨ヲ告ゲ、閉廷セリ

第五回公判狀況
二・二六事件公判狀況ニ關スル件 ( 第五回、第一公判廷 )
十二月二十二日午前八時五十五分 被告菅波三郎、志岐孝人 入廷、
仝九時十分 若松裁判長以下着席、直チニ開廷ヲ宣シ、
前回ニ引續キ、菅波三郎ニ對スル事實審理續行

被告ガ昨年八月東京ニ來ル往復間ニ和歌山ニ立寄リ 大岸頼好ニ面談シタル内容竝ニ上京ノ主目的如何
満洲ニ長ク居タ爲、大岸トハ文通程度ニシテ、
無二ノ親友ノ安否ヲ案ジテ立寄リタルモノデアルガ、
満洲ニ居ル頃、大岸ノ書面中ニ、東京同志ハ漸次自分ヲ離レツツアルトノ意味ガアツタノデ、
感情的カ思想的カヲ確メル必要モ感ジタノデ、
東京ノ同志ニ一應當ツテミル必要アルヲ感ジテ上京シタガ、
其ガ主目的デハアリマセンデシタ。
談話ノ内容ハソンナ話バカリデ、大シタコトハアリマセンデシタ。
オ土産ガ無カツタノデ、其際百圓ヤツタ事ハ前回申上ゲタ通リデス。

裁判長  「 其際、東京ノ同志ノ動向如何。十二月ニハ、又、東京ニ集合スル必要アル様ニ、
同志、殊ニ末松、小川等ノ間ニ喧傳セラレアリタリト云フガ、如何 」
今カラ考ヘレバ、隊務モ多忙デアッタデセウガ、餘リココロヨク會ツテ呉レマセンデシタ。
村中丈ガ充分面會ガ出來タ位デス。
大岸トノ關係ハ、ヤハリ西田派ニ傾ク様子ガ多分ニアリ、大岸ヤ私カラ離反シテ行ツタノデス。
急先鋒ハ誰カ判リマセンガ、磯部、栗原デハナイデショウカ。
其他不穏ノ模様ハ全然アリマセンデシタ。

次デ、菅波ハ法務官ニ對シテ、前回ノ補充トシテ、
私ハ罪ヲ負フコトニ何等躊躇スルモノデハアリマセンガ、
私ガ誠心誠意中隊長ノ職務ヲ主観的ニノミ判斷シテ、
東京事件ノ如何ナル事態ニナルカヲ顧慮セズ
演習ヲ實施シタルハ道義的ニハ大イニ反省スベキモノガアリ、
林大尉トノ交渉モ全ク自己本位デアツテ、
上司ニ迄多大ノ迷惑ヲ及ボシタルヲ甚ダ遺憾ニ思ツテ居リマスガ、
之ガ叛亂ヲ利スル行爲ニナロウトハ夢ニモ思ヒマセンデシタ、
此點、私ノ性格ヲ明瞭ニ認識シテ下サイ。
ト涙ヲ流シテ強調シ、邸内ヲ肅トセシム。
次デ、法務官ヨリ補充的ニ、
二月二十八日ノ演習終了後ニ於ケル演説内容ハ、被告ノ主観ニ基クモノト雖モ、
第三者ノ判斷ニヨリスレバ、東京事件ヲ是認シテ兵ノ勢イヲ扶ケタルモノト思料ス
殊ニ、中隊長ニ附イテ來イト云フコトヤ、
中隊長ヲ殺セト最後ニ云ハナケレバ兵ガ疑ウ様ナ演説ヲ爲シタルハ事實ト認メザルヲ得ナイ
岡島ヲスパイ視シタト云フ理由ニ多分ノ疑ヲモツモノデアル
前回申上ゲタ通リデス。

裁判長 「 被告ノ 「 獄中有感 」 ノ手記中ニ於テノ皇道哲學ハ、
勅諭、勅語ヲ實践躬行シタル結果得タル哲學ト信ズルコトヲ得ザルガ、如何
一體観ノ點ニ於テ同一ナリ。
私ノ思索シタル哲學デアルガ、
聖論ノ實踐躬行ノ結果ト同一哲學ニナルモノト信ジテ居リマス。

裁判長 「 被告ノ思索ニ依ル皇道観ハ必ズ是ナリト云フ批判ヲ誰ヨリ得タルカ
個人ノ獨善的哲學ヲ他ニ之ヲ教フルハ危險ニ非ズヤ
況ヤ軍隊ニ於テ聖論ノ實践躬行ヲ考ヘザル処ニ誤リナキヤ
殊ニ禅問答中ニ、「 悟リハ如何 」、「 理屈ハイラヌ、坐ハレ 」 トアルガ、聖論ハ只讀メバ良イト云フノデハナイカ 」
其ハ菩薩ノ精神デアリマス。
菩薩ハ、云フ事ノ行ヒハ正シイガ、最後ノ目的タル佛タリ得ナイモノヲ云フノデス。
私モ、私ノ信念、主観ニ誤リハナイト思ヒマスガ、完全人デハアリマセン。
故ニ、先ヅ坐レト云フ問答ニナツテ來タノデス。

裁判長 「 反省ヲ希望スル 」
承知シマシタ。
茲ニ於テ、檢察官ト超法行爲ニ就イテ二、三問答アリタルガ、
菅波ノ云フ超法行爲ハ消極的ニシテ、
軍紀ヲ保持スル爲ニ已ムヲ得ザルニ至リタル行爲ノ如キ場合ナリ
ト 弁明セリ

次デ證據調トナリタルガ、志岐中尉ニ對シテハ約四十分間、菅波大尉ニ對シテハ約二十分間ニ亘リ、
各々關係憲兵訊問調書、豫審調書、檢察官訊問調書ヲ讀聞ケタルガ、
菅波ニ對シテハ被告ニ豫メ示シアルヲ以テ之ヲ省略スル旨ヲ告ゲ、被告ニ有利ナル證據ノ提出ヲ求メタル処、
菅波大尉ヨリ歩兵第四十五聯隊附田中要大尉ヲ證人トシテ喚問セラレタキ旨を述ベタル処、
合議ノ結果却下トナリ、午後二時五十分、次回ハ明十三日午前九時開廷スル旨ヲ告ゲ、閉廷ヲ宣セリ


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