あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

道程 ( みちのり ) 4 みちのり ( 昭和10年 )

2021年06月12日 14時02分48秒 | 道程 ( みちのり )


道程 ( みちのり ) 4
みちのり ( 昭和10年 )

前頁 ( 昭和8年、9年 ) の続き

昭和10年 ( 1935年 )
1月1日  相澤中佐と末松大尉 仙台で正月を共にする  ・・・「 永田鉄山のことですか 」 
2月  村中孝次、『
全皇軍青年将校に檄す 』 発送
2月25日  美濃部達吉博士、一身上の弁明 ・・・ 国体明徴・天皇機関説問題 2 「 一身上の弁明 」 
3月27日  村中、磯部、不起訴 ・・・ 
法務官 島田朋三郎 「 不起訴処分の命令相成然と思料す 」 
4月2日  磯部、村中、証拠不十分で不起訴となり釈放さる  同時に停職処分さる
4月4日  陸軍省、十一月二十日事件に関する公式に談話を発表す
4月4日  眞崎教育總監、国体明徴訓示・・・ 『 国体明徴 』 天皇機関説に関する真崎教育総監の訓示
4月9日  大御心 ・・・昭和十年四月九日 「 真崎教育総監の機関説訓示は朕の同意を得たとの意味なりや 」
4月19日  大御心 ・・・ 昭和十年四月十九日 「 朕が聴糺さんとせしことを陸軍は妨げんとす 」
4月20日  澁川善助発西田税、手紙 ・・・
末松の慶事、万歳!! 
6月  磯部、羅南に佐々木二郎大尉を訪ねる  ・・・「 佐々木、芸妓にも料理を出せよ 」 
6月  香田大尉、天津より帰還 ・・途中、宇品港外似島検疫所で相澤中佐と会見
6月3日  ・・・大蔵栄一大尉、戸山学校長岡幹事と対決 ・・・
此処に頑是ない子供がいる 「 命令、殺して来い 」 
6月14日  磯部、下関に帰着・・久留米に行き同志と会う
6月15日  磯部、若松大尉と会う  竹中、志岐
6月16日  磯部下関の野北中尉宅に一泊
6月20日  磯部、東京へ帰着
6月23日  渋谷区千駄ヶ谷五丁目九〇番地の 「 新宿ハウス 」 に転居  村中孝次と同居す
7月11日  「 
粛軍に関する意見書 磯部、村中・・・同日付で印刷、配布
7月12日  三長官会議
7月13日  栗原中尉、齋藤瀏少将宅へ ・・・
栗原中尉と斎藤瀏少将 「 愈々 正面衝突になりました 」 
7月16日  眞崎教育總監更迭

7月16日  大御心 ・・・昭和十年七月十六日 「 真崎大将が総監の位置に在りては統制が困難なる 」
7月17日  相澤中佐上京、永田鉄山軍務局長と面会  辞職を勧告す
7月20日  大御心 ・・・昭和十年七月二十日 「 教育總監更迭・・ 在職中御苦労であった 」
 
7月25日  大眼目  西田税、軍閥重臣閥の大逆不逞   村中孝次、
 教育總監更迭事情要点   
8月2日 磯部、村中、免官となる
8月11日  相澤中佐、明治神宮参拝・祈願
「 もし、私の考えていることが正しいなら成功させて下さい。 悪かったならば不成功に終わらせて下さい 」 
其晩、西田税宅に一泊  西田宅を訪問した大蔵栄一大尉と会話す ・・
「 時に大蔵さん、今日本で一番悪い奴はだれですか 」 
8月12日  午前9時40分頃  相澤中佐、陸軍省裏門に到着す
8月12日  相澤中佐、
永田軍務局長刺殺 ・・・大御心 「 陸軍に如此珍事ありしは 誠に遺憾なり 」 
朝  大蔵栄一大尉、西田税宅へ駆けつける  西田税、磯部浅一宅へ・・・磯部、陸軍省哨戒 ・・・相澤中佐事件 
    
13日の新聞                                     軍務局長室 外観            表門

8月    日  永田鉄山の葬儀  磯部、相澤中佐にリンゴを差入す
8月26日  相澤中佐、憲兵隊で訊問 ・・・
訊問調書 ・ 事件への道程 ( みちのり )  

9月3日   相澤三郎 發 西田税 ・・・特別弁護人選定の件
9月5日   10月5日
9月5日  川島義之陸軍大臣輔任
9月19日  
村中孝次 発 ・ 川島義之 宛 
10月5日  山田長三郎大佐自決
10月31日  磯部、新宿ハウスを出 一戸を構える ( 千駄ヶ谷五丁目八九七番地 ) ・・村中と別居す

11月2日  相澤中佐、起訴さる
11月3日  西田宅へ大蔵、村中、澁川 集る 途中満井佐吉来る
 国分特別大演習  13日
11月13日  西田税、相澤中佐に接見
11月19日  澁川善助、相澤中佐に接見
11月21日  大蔵栄一、相澤中佐に接見
11月22日  西田税、相澤中佐に接見
11月26日  西田税、相澤中佐に接見
12月  香田清貞、歩兵第一旅団副官に
12月3日  大蔵栄一、相澤中佐に接見
12月23日  丸亀歩兵第12聯隊の小川三郎大尉上京・・単独で古荘陸軍次官を私邸に訪問
12月24日  小川、磯部 ・・
眞崎大将、山下少将を私邸に訪問

・新宿御座敷本郷での會合
十二月ニ入ツテ私ハ大臣ニ對シ、内閣倒壊スベシト云フ意見ヲ進言シテ居リマス。
ソレハ村上大佐ヲ オ訪ネシテ大臣ニ傳言を依頼シタノデアリマス。
當時私ハ靑年將校ガ蹶起スル事ハ既定ノ事實デアルガ、
コレガ早發スルト失敗ニ終ル虞レアリ、
少シデモ合法的ニ行ケル丈ケハ行ッテオカナケレバナラヌ爲、
之ニハ倒閣ニ如カスト考ヘテオリマシタノデ、私ハ村上大佐ヲ通シ、大臣ニ進言シタノデアリマシタ。
ソレカラ十二月ノ二十四、五日頃ノ
新宿御座敷 本郷ノ會合ハ實質的 相澤公判ノ準備デアリマスガ、
コレハ私ト村中ノ相談ノ上デ 内閣倒壊ノ爲メノ一氣勢ヲ擧ゲタコトニアリマス。
即チ 此事ハ森木五郎少佐ヲ通シ
村中ガ山下少將カラ頼マレテ ( 幾分ノ金モ出テ居ルト思ヒマス )
當時議會ノ開院式當日 國體明徴ニ就イテ不信任案ヲ政友會ガ提出スル、
之ニ對シ 内閣ガ解散ヲセネバナラヌガ、之レニ對シ 陸軍大臣ガ署名ヲ拒否スル、
茲ニ内閣ハ倒レルト云フ事ニナルト云フ筋書デアッテ、
コノ大臣ガ署名ヲ拒否スル爲メニハ、
靑年將校ガ一中隊デ率イテ大臣ヲ罐詰ニスレバヨイト云フ計畫デアリマシタ。
ソレデ私ト村中トデ
外ニタイシテハ之レガ靑年將校ノ氣勢ヲアゲルト云フ外形的ナ名目デ、
而モ實質的ニハ相澤公判準備ト云フ事デ集マッタノデアリマス。
コノ事ハ私ト村中トノ外 他ノ同志モ知ラナイト思ツテオリマス。
コノ事ハ政友會ノ議ガ纏ラナカッタノデ中止ニナリマシタ。
・・・磯部淺一、憲兵聴取書 2 ・ 事前工作と西園寺襲撃中止 

栗原は 「 無為無策の岡田内閣をつぶしてくれたら思いとどまる 」 といった。
山口は同志将校と糾合、政友会の久原房之介と図って帝国議会開会式当日の十二月二十六日、
一種の無欠クーデターを起こし、内閣総辞職に追い込もうとした。
結果は久原の断念で失敗、以後、栗原らは山口の説得に耳をかさなくなった。
・・・山口一太郎大尉 「バウンダリー ・コンディシン」

12月25日  小川、村中・・古荘陸軍次官を私邸に訪問
・・・「 眞崎大将は辞表を出してはいない 」
・・・磯部浅一 「 統帥権干犯の事実あり 」
・・
『 栗原中尉の決意 』 
・・
河野壽 ・ 父の訓育 「 飛びついて殺せ 」 
12月27日  澁川善助、相澤中佐に接見
12月28日  香田清貞 ・ 眞崎大将を訪問 「 乃公は絶対に同意はしていない 」
12月30日  秩父宮、代々木陸軍衛戍刑務所巡視
12月31日  中村義明宅で志士集う
・・・
昭和十年大晦日 『 志士達の宴 』 
・・・
西田税 ・ 金屏風への落書 

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