緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

もう1曲 風呂のお湯が溢れるところだったアンダルーサ

2023-04-08 22:28:41 | ギター
爪きんきん音だけど、もう1曲。

お風呂のお湯を入れている間に弾いたアンダルーサ お湯溢れ寸前 プロパンガス浪費 2023年4月8日
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久しぶりにオーガスチン赤で弾いたアルハンブラ(ゆっくり目)

2023-04-08 21:10:37 | ギター
今日は起きてからずっとマンドリン合奏練習。
演奏会が近くなってきた。
心理的には演奏会が待ち遠しくらいになっているくらいがベストなのだけど。
成功とかを意識するのではなく、とにかく自分の持つエネルギーや今までギターで蓄積したきたものを全て出し切る、演奏会が終わった後に生きる屍になってもいいから全てを放出するという感じで臨めればなと思う。

明日は朝から大規模演奏会の練習だ。明日はちょっと思いっきりいこうかと思う。
失敗を恐れずという心境をちょっと試してみようかと思うのである。

ところで弦をいつも使っているオーガスチンの黒から赤に替えたのだが、かなり張力が強く感じられる。
とくにローポジションのセーハで音がビリ付きやすくなる。
若い時は赤でも張力が弱すぎて物足りなさを感じたけど、今では逆にしんどく感じる。
やはり黒に戻そうかな。
黒は夥しい量の汗を吸い取ると2、3日くらいで死に弦になってしまうのだ。
プロアルテのノーマルもそうだった。
だから弦が安かったときは低音弦を頻繁に替えていた。
汗を吸い取らないコーティング弦もあるようだが、響きに輝きがない。
以前、アランフェスのクラシックシルバーが発売されていたときよくこの弦を使っていたが、持ちがいいし、響きが素晴らしいものだった。
こんな優秀な弦が製造中止となってしまったのは大変に惜しい。この弦は最高だった。

さて寝る前に1週間ぶりに独奏曲を弾いてみた。
他の弦に触れるミス有り。その他のミス有り。
テンポはいつもよりちょっとゆっくり目。
このテンポも意外にいいかもしれないな。
いつになったら納得のいく演奏録音が録れるやら。

久しぶりにオーガスチン赤で乳酸の蓄積された指で弾いたアルハンブラ(ゆっくり目、ちょっとミス有り)2023年4月8日
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鈴木静一の一番人気曲のCDの聴き比べをしてみた

2023-04-08 00:19:25 | マンドリン合奏
先週末から今週末にかけて仕事が忙しかった。
トラブルが発生したり、なんだかんだでギターを弾く時間が殆ど無かった。
しかし今日でピークを越えた。

今日、4月末の大規模演奏会で演奏する曲目で、鈴木静一の一番人気の曲である「交響詩 失われた都」の録音CDの聴き比べをしてみた。
今まで集めてきたCDに限り、Youtubeでの録音は含めなかった。

聴いた手持ちのCDは下記(聴いた順番)。

①中央大学マンドリン倶楽部 第85回定期演奏会 2003年11月16日



②中央大学マンドリン倶楽部 第109回定期演奏会 2015年12月5日



③立教大学マンドリンクラブ 第44回定期演奏会 2010年12月14日



④コムラード・マンドリンアンサンブル 第40回定期演奏会 2012年7月22日



⑤鈴木静一先生を偲ぶ追悼演奏会1980 1980年9月8日



⑥鈴木静一 生誕100年記念演奏会 2001年9月24日



聴き比べをして感じたのは、指揮者、演奏団体により曲の解釈、テンポなどにかなり大きな差異があったこと。
とくに採用されたテンポは団体により驚くほど異なっていた。

聴いた感想としては、テンポの違いはあまり重要ではなく、この曲で最も作者が訴えたかったことを表現、再現出来ているかが聴き手にとって最も重要な要素であるということだ。
この曲は、激しい生々しい人間の感情をテーマとしているように感じる。
我が国の過去の歴史にインスピレーションを得て作曲されたようだが、最も訴えたかったのは人間の根源的感情であろう。
それが如実に現れているのが、「蒙古軍船の襲来」の部分。
この部分が最も、各団体の演奏の差異が明確に現れており、この曲の演奏の出来、不出来を決定づけると感じる部分でもある。
ホールでの生演奏では初めて聴く人もいるし、実際に生では1回しか聴くことが出来ないが、この部分が聴き手の心に瞬時に刻み込まれ、何を感じ取ってもらいたいのか分かるような演奏でないとならないと思う。
過去にホールでの生演奏を聴いても、この部分は膨大な数の音の重なりが凝縮された音楽であることは何となく分かるのであるが、その構成要素である1音1音が聴き手に明瞭に意識せずとも伝わるような演奏でないと、多分聴き手にとっては、何か理解しがたい音楽としてしか聴こえてこないような気がするのだ。

この部分はまた、同じ種である人間どおしの血みどろの殺戮という、極限の状態で直面した人間の生々しい感情をイメージし、テーマにしている。
その、実際に直面した極限状態での人間心理、同胞である同じ人間の生命を奪うということのリアルな残酷さ、無益さ、激しい悲しみなどが理解されていなければならないし、その感情と同化しての演奏でないと決して聴き手の心を動かすことは出来ないのではないかと思う。

人間の二極的性質、側面、作者はこれらのいずれも否定も肯定もすることなく、人間の根源的宿命としてただありのままに許容し描写しているように感じられる。

聴くほどに考えさせられる曲である。
作者は歴史的史実に思いを馳せているようで単にそれを回顧するだけでなく、実はその歴史的史実の中で繰り広げられたであろう人間の不可避的な生々しい感情、宿命的生き様を主題として表現したかったのではないかと思えるのある。

これから本番までの練習が楽しみだ。



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