緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

即席マルタイラーメン作ってみた

2021-02-13 23:59:07 | グルメ
先ほどけっこう大きな地震があった。
丁度地震が起きたときに、仙台在住の方と電話中だったのだが、仙台は相当揺れたようだ。
一瞬、原発は大丈夫か?、と心配になった。

今日、以前から気になっていたある即席ラーメンを作って食べてみた。
「即席 マルタイラーメン」という商品。





このラーメンの存在を知ったのはかなり前なのであるが、パッケージがレトロということもあり、何故か気になっていた。
おそらくパッケージはずっと長いこと変えていないのではないかと、思ったのである。
ということはロングセラーであり、それはとりもなおさずこの商品に対するかなりのファンがいる、ということが推測される。
インターネットで調べてみたら、昭和34年発売以来の超ロングセラーだった。
何種類かバリエーションがあるようだが、今日食べたのはスタンダードな「あっさりしょうゆ味」というもの。
商品説明に、「即席棒状めんのパイオニア商品です。めんはノンフライ・ノンスチーム製法で仕上げた、生めんに近い風味のストレートめんです。スープはポークとチキンをベースにした風味豊かなあっさりしょうゆ味です。」
とある。

乾麺で、一見するとそーめんと変わらない。
極細めんだ。乾麺なのにおいしいのか?。
まずは作ってみよう。

材料は、もやし、ねぎ、ゆでたまごにした。



まずはたまごをゆでる。



その間にねぎを刻む。



次に刻んだねぎともやしをフライパンで炒める。



もやし&ねぎ、焼き上がり!。



たまごがゆであがる前に、スープ用の湯を沸かす。



麺とスープを準備。
スープは粉、調味油が付いている。



麺をゆでる。そーめんと同じ感じだ。本当にラーメンなのか?



3分ゆでて、スープと調味油を入れる。



どんぶりに移す。



炒めてあったもやし&ねぎをどんぶりに乗せる。完成だ!。



さて、味はどうか。

けっこううまいではないか!。
あっさりしてておいしい。
インスタントラーメンの多くが、味が濃すぎるのに対し、このラーメンはあっさりしていて後味がいい。
超ロングセラーなのもうなづける。
また食べたいと思った。

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さようなら DD51

2021-02-12 21:37:47 | 鉄道
2月3日の新聞に残念な記事が載っていた。
それは1960年代から1980年代にかけて、非電化区間で一世を風靡したディーゼル機関車「DD51」型が廃止されるというものだった。



1962年以来、計約650両製造されたという。
私が高校時代だった1970年代終わりから大学を卒業する1980年代半ば過ぎまで、北海道ではよくこの機関車を見かけたものだった。
この機関車を意識したのは高校2年生のとき。
鉄道に熱中していたころで、実家から自転車で15分程のところにある踏切まで行って、昼でも夜中でも見に行ったものだった。
下の写真はその時に撮影したものだ。



上の写真では分かりにくいが、この機関車のデザインは究極とも言える。
シンプルな形状、色使いであるが、それ故にこの機関車にあかがれを感じた方は私だけではないであろう。
当時高校生だった、デザインのことなど全く分からなかったその私でさえ、この機関車の美しさにほれぼれしたものだった。
当時通学にバスを利用していたのだが、途中、バスが国鉄某駅に朝8時20分に到着すると必ず貨物列車を牽引したこの「DD51」が駅に停車していた。時間待ちをするためであろう。
そしてこの停車中のDD51見たさにこのバスに乗って通学していたのであるが、このバスの時間だと、高校近くの停留所からダッシュしなければ始業時間に間に合わなかった。
時々始業時間に間に合わないことがあり、朝のホームルームが始まっている最中にそっとドアを開けて教室に忍び込んだが、大抵は先生に見つかり、出席簿で頭を猛烈に叩かれたものだった。

DD51に最も惹かれるところは、シンプルでありながらも、これ以上ないというくらいの完成度の高いバランス感覚を持った形状だと思う。
前後対象の運転室、フロントガラスの傾斜の確度、運転室の大きさ、など全てが素晴らしい。
デザインだけではない。
独特の汽笛の音がまた素晴らしいのだ。
この汽笛は運転室の天井から吊りさげされた引手を引いて慣らすものなのだが、結構大きな音がしたものだった。
大学時代、卒論を書いていた頃、札幌駅ホームで、札幌駅23時ちょうど発の稚内行きの夜行急行「利尻」が出発する時の、大きく、ちょっと長い時間慣らす汽笛の音とその時のシーンは今でも憶えている。

北海道は私が高校2年生の途中までは、電化されていたのは旭川・小樽間だけだった。
そして高校2年生の途中から札幌・室蘭間が電化された。
この時に走っていた普通列車や特急列車はこんな感じだった。





今はもしかすると学園都市線の途中まで電化されたかもしれないが、おそらくそんなもんだ。昔とあまり変わっていない。
1980年代まではとにかくこのDD51をしょっちゅう見た。
貨物列車の牽引が多かったが、1980年代前半まで走っていた、旭川・函館間の普通列車(蒸気機関車時代に牽引していた、こげ茶色もしくは紺色の古い車両、木の椅子、床が板で天井がアーチ状になったやつ。夜走るものは夜行だった。)の非電化区間を牽引することもあった(電化区間は電気機関車のED76型が牽引していた)。
この時代は電化区間でも並行してまだまだディーゼルの客車が走っていた。
朱色一色や朱色とクリーム色の2色の車両のディーゼル列車だ。小樽・歌志内間、札幌・小樽(蘭越)間、札幌・南千歳間などだ。

高校時代、本気で将来国鉄職員になろうと考えていた時期があったが、のんびりとゆっくり貨物を牽引して走るDD51の機関士になってみたいと何度も思ったものだった。
この想い出深いDD51を今後見れなくなってしまうのは実に寂しい。

このDD51は1990年代に入ってから上野・札幌間の寝台特急「北斗星」や「エルム」の函館・札幌間の牽引用として重連で使用されていたことがあったが、この寝台特急用のDD51は朱色、灰色、白の標準色ではなく、青と白に塗り替えられてしまった。
これはあまり好きになれなかった。
やはりDD51は標準色が一番似合っている。

【おまけ】

高校2年生の時、京都、奈良、東京方面の修学旅行で乗ったときの鉄道、上野駅などで停車中の車両を撮影した写真が残っていた。

特急北斗。函館まで乗った。



北斗の運転席。



青森までは青函連絡船。
青森から寝台特急「日本海」。



翌朝、日本海沿線のどこかの駅で機関車交換した時のシーン。



上野駅で撮った、電気機関車EF64。たしか寝台特急「北陸」だったはずだ(当時はヘッドマークの取り付けが省略されていた)。



帰りに乗った寝台特急「ゆうづる」(常磐線経由の青森行き。寝台特急としてはいち早く廃止になったのではなかったか?)。





あとはどこの駅で撮ったか分からないが、ディーゼル機関車2種類。
2枚目はDE10であろう。これも頻繁に見かけた。




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金属の魅力-銅ワッシャ-

2021-02-12 20:50:01 | 金属
1か月ほど前だったか、インターネットの広告に、真鍮を加工したアクセサリーのようなものがコロナ対策として販売されているのをたまたま見かけた。
真鍮とは銅と亜鉛の合金である。
銅は導電性が高く、電線等、身近な製品を構成する素材として幅広く利用されている。
銅はまた、抗菌性に優れた金属素材だと言われている。
最近はあまり見かけなくなったが、流しの三角コーナーにたわしやスポンジを入れる銅の箱のようなものを見たことはないか。
これは箱に菌が繁殖しないようにするために選ばれた素材が銅であることを示している。

Wikipediaに次のような記述があった。
「多くの抗菌効果の研究において、A型インフルエンザウイルスやアデノウイルス、菌類だけでなく広範囲にわたる細菌を不活化するための銅の有効性について10年以上研究されてきた。研究の結果、建物内の給水管に使用した場合、表面に生成される酸化膜や塩素化合物の影響により短期間に不活化能力が低下する現象のほか、残留塩素の低減作用が明らかとなっており、実用上の課題として認識されている。
銅合金の表面には広範囲の微生物を不活化する固有の能力があり、例えば腸管出血性大腸菌やメチシリン耐性黄色ブドウ球菌 (MRSA)、ブドウ球菌、クロストリジウム・ディフィシル、A型インフルエンザウイルス、アデノウイルスなどを不活化する。
(中略)
銅製のドアノブは病院で院内感染を防ぐために用いられ、レジオネラ症は配管システムに銅管を用いることで抑制することができる。抗菌性銅合金製品はイギリス、アイルランド、日本、韓国、フランス、デンマークおよびブラジルにおいて医療施設に用いられている。また、南米チリのサンティアゴでは、地下鉄輸送システムにおいて銅-亜鉛合金製の手摺が2011年から2014年の間に約30の駅に取り付けられることになっている。」

つまり銅及び銅の合金である真鍮は抗菌性に優れているおり、水道の蛇口、ドアノブ、流しの三角コーナー、使用頻度の高い小銭(10円玉等)など、菌が繁殖しやすい、または菌が四六時中付着するような環境の物質に使用されるということだ。
目下、新型コロナウィルスが蔓延している最中、もし菌が多数付着している可能性の高いものに触れてしまった場合、しかもアルコール消毒用のスプレーが備え付けられていなかった場合や、携帯用の消毒スプレーをうっかり忘れてしまった場合、感染の確度は増大する。
このような場合に遭遇することを念頭に用意周到に準備をしておかなければならない。
ではどのような対策を取ったら良いのか。

先日たまたまホームセンターに行って、なにげなくボルト類の売り場を通りかかった際に、赤銅色のひときわ目立つものが目に入った。
それは「銅ワッシャ」であった。



サイズは外径Φ32、内径Φ16、厚みt2.5、2個入りだった。結構大きい。



ワッシャは裏と表がある。平の方が裏だ。





これを抗菌対策に使えないか考えてみた。こっちのほうが安上がりだ。

これをいつも持ち歩き、公衆トイレなどに入った後にこれを握ることで消毒しようというわけだ。
そこでこの2個の特大銅ワッシャを手持ちのカラビナに吊るし、ショルダーバックのファスナーの紐に取り付けてみた。



これはいい。ちょっとしたアクセサリーにも見える。

ただ銅は新しいうちは赤銅色に輝き、美しく見えるが、古くなるとどうしても茶色く変色してしまう。
下の写真は昭和49年の10円玉と昭和51年の5円玉だ。
ともに日本が最もいい時代だったころに作られたものだ。



このように変色してしまうのが銅の宿命だ。
この銅ワッシャもいずれこげ茶色に変色していくに違いない。

下は新品の時は鮮やかな赤銅色だったカップだが、使用に伴いえび茶色に変色してしまったものだ。



しかしこのような状態の方がかえって渋くていいかもしれない。
写真のカップはいいあんばいに銅の表面が変化してきている。

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シベリウス :5つの小品(樹木の組曲) Op.75より第5番「樅の木」を聴く

2021-02-07 21:42:02 | ピアノ
フィンランドの作曲家であるジャン・シベリウス(1865-1957)のピアノ小曲集「5つの小品(樹木の組曲) Op.75」より5曲目の「樅の木」は短い小品ながら、とても美しく、せつなさを感じさせるピアノ曲だ。

中間部のアルペジオは強い情熱のようなものも感じる。
静かな夜に聴くべき曲であろう。

Jean Sibelius - 5 Pieces for piano, op.75 no.5 'The Spruce' (w/sheet)



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物質的豊かさだけでは虚しい

2021-02-07 10:47:10 | 心理
今日の朝刊の社説に、昨年約45年ぶりに見た山田洋次監督の映画「家族」のことが書かれていた。
この映画の中で、1970年に開催された大阪万博会場での雑踏のシーンが描き出されているが、山田洋次さんはこのシーンのロケで「万博は未来の幸福を描いているか。幸せとは、という考察を離れ、物質的な豊かさを追い求めていいのか。暮らしや家族が壊れてしまわないか」と自問を続けていたという。

社説の執筆者は言う。「監督はこの作品や寅さんシリーズで、失われてしまうかもしれぬ人の情や触れあい、心の豊かさを問うたのだ。経済成長主義への深い疑問を抱きながら。」

1960年代半ばから1970年代にかけての日本は、最も活気に溢れていた時代だった。
私はこの時代に、幼少期、少年時代、思春期を過ごした。
その頃の人々は、生活が、社会がどんどん良くなっていくことを確信していた。
そしてこの時代にはとてつもなくやさしい人や、素晴らしい人がたくさんいた。
この時代に作られた映画、ドラマ、アニメ、小説などの質の高さがそれを物語っている。

1980年代に日本経済は頂点を迎えた。しかしその反動として精神的豊かさは1970年代の頃に比べて低下していった。
情や触れあいというものは徐々に姿を消していった。
今の日本は経済活動も衰退し、一人当たりGDPは韓国に抜かれようとしている。
経済の繁栄はもちろん大事なことだ。人々の生活基盤にかかわることだから。
しかしそれと共に精神的豊かさを高めていくことはもっと大事なことだと思う。
今の日本は、衰退しつつあるなかで依然として物質的豊かさに固執し追い求め、競争主義の中で疲弊している。

今求められるのは何かと言ったら、やはり人の情や触れあいだといいたい。
絵空事ではなく、本気になって行動すれば今の時代でもそれを得るのは可能だということだ。
私は、1980年代に入り20代初めからずっと長い間、人間に失望して生きてきたが、その感じ方を変えるきっかけとなるものに出会った。
昨年から始めた講習の中で、講習仲間との出会いのなかで、60年代、70年代にいたようなとてつもなくやさしい人たちがいたのだ。
それは全参加人数中3%ほどと、ごくわずかな人数であるが、いたのである。

今の時代、このような人たちとのつながりを持つことが最も大切なことだと痛感する。
経済成長をおろそかにしてもいいとは言わないが、物質的豊かさのみを追い求めることは虚しい。
確率3%でも、行動×チャンスがあれば得られることは可能だと思う。
チャレンジしていきたい。
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