今朝目覚めたとき、何故か30年以上も前に聴いたCDの演奏が記憶に蘇ってきた。
それは20代半ばの頃、ひどいうつで苦しんいた時代、チャイコフスキーの交響曲第6番悲愴を何度も何度も聴いていた頃であったが、その頃を少し過ぎてから聴いたCDであった。
わずかであるが希望のようなものが芽生えてきていた時期だった。
ローラン・ディアンス演奏 ヴィラ・ロボス作曲「ギター協奏曲」
今日、そのCDを30数年振りに聴いた。
ヴィラ・ロボスの「ギター協奏曲」を初めて聴いたのが大学1年生も終わりとなる春休みが始まった頃だった。
当時私はマンドリン・クラブとは別の大学の団体にも所属していたのだが、その団体の卒業生の追い出しコンパが、朝里川温泉の一番奥にある朝里川温泉センターというちょっと小汚い温泉宿で行われた。
その泊りがけの追い出しコンパは楽しいなんてものではなかった。
浴びるほど酒を飲まされ、夜通しトイレでゲロを吐いていなければならなかった(汚い話ですみません)。
翌朝の帰りのバスの中で、丁度この頃FMラジオから録音したこのヴィラ・ロボスのギター協奏曲が頭の中に流れていたのを今でも思い出すのである。
演奏者はジュリアン・ブリーム。ホセ・ルイス・ロマニリョスがブリームのために最初に作ったと言われるギターで録音されたという。
このあと、イエペスやジョン・ウィリアムスなどの演奏を聴いた。
最近はこの曲を演奏会や録音で取り上げられることはなくなったようだ。
この曲はセゴビアがずいぶん苦労してヴィラ・ロボス夫人を通して頼み込んで作られた曲らしいが、セゴビアはついにこの曲を録音することはなかった。
初演は大成功だったようだが、その音源はないのだろうか。
ローラン・ディアンス演奏のCDは秋葉原の今は無き石丸電気で買ったと思う。
こういう超マイナーなCDは当時、石丸電気でしか手に入らなかったからだ。
このCDを聴いた時の頃はよく覚えている。
陽の当たらない会社の寮の部屋で休日の昼間に聴いていた光景が思い出される。
この演奏を初めて聴いたとき、なんか他のこの曲の演奏と違うな、と感じた。
それがなんであるかよく分からなかったが、とにかくなんか違うな、と感じたのである。
今日、30数年振りで聴いたみたが、その当時感じた「なんかちがうな」という感覚は、演奏者たちの「熱い感情」が流れてきている、とういうことではなかったのではないかと思った。
とくにカデンツァのあとの第3楽章でそれを強く感じる。
何か、心の深いところからポジティブな感情、強い力が出てくるような感じなのだ。
実を言うと、ローラン・ディアンスはあまり好きでない。
クラシック・ギター界とポピュラー音楽界との境界線を崩してしまったからだ。
彼の作曲した曲はクラシックギター界ではよく演奏され、好きな方も多いようだが、私は好きになれない。
中途半端、という感じがするのだ。
ポピュラー界にはもっとすごいプロがいる。
しかしこの「ギター協奏曲」の演奏は、若干オリジナルを変更している部分があるものの、楽器の音をフルに生かそうという熱意の感じられるものだ。
私はこの曲の演奏として、ナルシソ・イエペスの録音も好きで、今までよく聴いたが、イエペスの演奏と聴き比べてみるのも興味深い。
Youtubeでローラン・ディアンスのこの曲の演奏の録音を探してみたら、意外にもあったので貼り付けさせていただく。
Villa-Lobos: Concerto for Guitar and Small Orchestra, Roland Dyens
それは20代半ばの頃、ひどいうつで苦しんいた時代、チャイコフスキーの交響曲第6番悲愴を何度も何度も聴いていた頃であったが、その頃を少し過ぎてから聴いたCDであった。
わずかであるが希望のようなものが芽生えてきていた時期だった。
ローラン・ディアンス演奏 ヴィラ・ロボス作曲「ギター協奏曲」
今日、そのCDを30数年振りに聴いた。
ヴィラ・ロボスの「ギター協奏曲」を初めて聴いたのが大学1年生も終わりとなる春休みが始まった頃だった。
当時私はマンドリン・クラブとは別の大学の団体にも所属していたのだが、その団体の卒業生の追い出しコンパが、朝里川温泉の一番奥にある朝里川温泉センターというちょっと小汚い温泉宿で行われた。
その泊りがけの追い出しコンパは楽しいなんてものではなかった。
浴びるほど酒を飲まされ、夜通しトイレでゲロを吐いていなければならなかった(汚い話ですみません)。
翌朝の帰りのバスの中で、丁度この頃FMラジオから録音したこのヴィラ・ロボスのギター協奏曲が頭の中に流れていたのを今でも思い出すのである。
演奏者はジュリアン・ブリーム。ホセ・ルイス・ロマニリョスがブリームのために最初に作ったと言われるギターで録音されたという。
このあと、イエペスやジョン・ウィリアムスなどの演奏を聴いた。
最近はこの曲を演奏会や録音で取り上げられることはなくなったようだ。
この曲はセゴビアがずいぶん苦労してヴィラ・ロボス夫人を通して頼み込んで作られた曲らしいが、セゴビアはついにこの曲を録音することはなかった。
初演は大成功だったようだが、その音源はないのだろうか。
ローラン・ディアンス演奏のCDは秋葉原の今は無き石丸電気で買ったと思う。
こういう超マイナーなCDは当時、石丸電気でしか手に入らなかったからだ。
このCDを聴いた時の頃はよく覚えている。
陽の当たらない会社の寮の部屋で休日の昼間に聴いていた光景が思い出される。
この演奏を初めて聴いたとき、なんか他のこの曲の演奏と違うな、と感じた。
それがなんであるかよく分からなかったが、とにかくなんか違うな、と感じたのである。
今日、30数年振りで聴いたみたが、その当時感じた「なんかちがうな」という感覚は、演奏者たちの「熱い感情」が流れてきている、とういうことではなかったのではないかと思った。
とくにカデンツァのあとの第3楽章でそれを強く感じる。
何か、心の深いところからポジティブな感情、強い力が出てくるような感じなのだ。
実を言うと、ローラン・ディアンスはあまり好きでない。
クラシック・ギター界とポピュラー音楽界との境界線を崩してしまったからだ。
彼の作曲した曲はクラシックギター界ではよく演奏され、好きな方も多いようだが、私は好きになれない。
中途半端、という感じがするのだ。
ポピュラー界にはもっとすごいプロがいる。
しかしこの「ギター協奏曲」の演奏は、若干オリジナルを変更している部分があるものの、楽器の音をフルに生かそうという熱意の感じられるものだ。
私はこの曲の演奏として、ナルシソ・イエペスの録音も好きで、今までよく聴いたが、イエペスの演奏と聴き比べてみるのも興味深い。
Youtubeでローラン・ディアンスのこの曲の演奏の録音を探してみたら、意外にもあったので貼り付けさせていただく。
Villa-Lobos: Concerto for Guitar and Small Orchestra, Roland Dyens