緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

大粒納豆を食べる

2019-09-16 00:13:20 | グルメ
三連休もあと1日となってしまった。
父が亡くなって間もないこともあり、静かに時を過ごしている。
静かな場所で、秋の虫の鳴き声を聴きながら深夜に思索に耽るって、なんかいいな、と感じる。
健康で、経済的に何とか生きていけるからこういうことが出来るわけであって、しかし、そこまで来た自分にも、良かったなと言ってあげたいようにも感じる。

今日、大粒の納豆を買って食べてみた。
納豆が好きで、毎日食べている。
いつもはタカノフーズのおかめ納豆を食べているが、今日は別の銘柄を試しに買ってみた。





納豆の銘柄って結構多い。
それだけ納豆好きが多いということか。

私の子供時代の納豆は、木の皮のような袋、外側がビニールで覆われていて、赤い文字が書かれた長方形の袋に入ったものだった。
この昔の納豆を探したが売っていなかった。
今は発泡スチロールの容器に入ったものが殆どだ。

いつか見た健康番組で、納豆はよくかき混ぜてねばりを出した方が体にいいと言う。
5000回くらいかき混ぜるのが理想とか言っていたが、そんなのは無理なので何十回かかき混ぜるようにしている。
それまでは殆どかき混ぜていなかった。
あと、熱いご飯に乗せると、栄養成分が失われてしまうとか。
熱々のご飯に乗せて食べたほうがおいしいのに。
熱々ご飯には、生卵に醤油をちょっと入れてかき混ぜたのをかけて食べるのも好きだ。
北海道のおいしいお米で食べるのがいい。
昔は道産米というと不味いと言われていたものだが。
学生時代、超おんぼろアパートに住んでいた時代は、お米屋で何年前の米か分からないような一番安い、量り売りの臭い米を買ったものだった。
あとはとろろ。
これも醤油をちょっと入れてかき混ぜる。
あとはバターご飯。
母がよく作ってくれた。
これもバターに醤油をちょっといれてかき混ぜる。
子供の時はこれがおいしく感じた。

さて大納豆の味は?
ちょっと甘みがあるという感じ。
たまに食べるのがいいという感じかな。

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正調 五木の子守唄を聴く

2019-09-15 22:24:56 | 歌曲
昨日の新聞に、正調五木の子守唄の伝承者である、堂坂ヨシ子さんの記事が載っていた。
8月2日死去。
丁度私の父の命日と重なる。

五木の子守唄として現在広まっているのは、第2次大戦後、作曲家の古関裕而さんによって編曲されたものであり、昔から歌い継がれていたものとは異なる。
この唄は口減らしのために子守奉公に出された五木村の娘たちの苦しみや古里を思う気持ちを歌ったものだと言われている。
このことは以前記事にしたことがあったが、現在の五木の子守唄になる前から熊本県五木村に代々伝わってきたのが「正調五木の子守唄」と呼ばれているのである。

正調五木の子守唄の伝承者は亡くなった堂坂ヨシ子さん以外に8人しかいないという。
Youtubeで探したが、数は極めて少ない。
幸いにも堂坂ヨシ子さんが歌う、2008年「五木の子守唄祭」でのライブ映像が見つかった。

五木の子守り唄まつり


それ以外にもいくつか見つかったが、ドライブインで歌う若い歌い手の映像は以前記事で取り上げたことがあった。
正調の方がしみじみとしていて、悲しい。
心にしみいるとは、このような歌のことを言うのだろう。
素朴以外の何物でもない。
プロが歌う歌ではない。

正調 五木の子守唄


正調、五木の子守歌


正調五木の子守唄・民宿ロッジ山小屋開業20周年記念


Itsuki Lullaby sung by my mother 母が歌う正調五木の子守唄


【追記】
下記、五木村のホームページでも動画が見られます。

https://www.vill.itsuki.lg.jp/komoriuta/komoriuta.html
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かわいい「がま口」見つけた

2019-09-14 23:12:15 | その他
今日スーパーでかわいいミニサイズの「がま口」を見つけて買った。
99円。本革製。









お金はたいして入らない。
お金意外に何をいれたらいいか。

入れ歯?、会社の製造現場で拾った爪ヤスリ?(写真)、



なかなか思いつかない。
一体何のために買ったの?
こういうのを衝動買いというのであろう。


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アベル・カルレバーロの初期録音を聴く

2019-09-14 22:06:54 | ギター
カルレバーロ奏法で知られるウルグアイ出身のギタリスト兼作曲家、アベル・カルレバーロのSP時代の古い録音を久しぶりに聴いた。
「SP盤に聴く”ギターの巨匠たち”黄金時代のギタリストたち」と題するCDの中に収録された2曲だ。



1曲目はバリオス作曲「練習曲」(蜜蜂と同曲)、2曲はヴィラ・ロボス作曲「練習曲第1番」。
録音年は定かではないが、1930年代と思われる。

アベル・カルレバーロは1990年代にカルレバーロ奏法と呼ばれる合理的な演奏技法を広めた教育者としてにわかに名前が知られるようになったが、録音はかなり前から行われていたらしく、数もそれなりある。



上記CD以外に20年くらい前に2枚のCDを買って聴いたことがあるが、派手さはないものの、終始安定した演奏をするという印象であるが、セゴビアやイエペスのような強烈な個性やインパクトは感じない。
1、2回聴いて終わってしまった。



しかし驚くべきことに、例えばトローバの個性的小曲集の第1曲や同じく夜想曲などを改めて聴いてみると、セゴビアの演奏スタイルに強く影響を受けていることが分かる。セゴビア奏法そのものと言ってもよい。
すなわちアポヤンドやポルタメントを多用し、ギターらしい魅力を弾きだそうとする演奏スタイルだ。
カルレバーロ奏法をセゴビア奏法とは全く異なる斬新な奏法というイメージで彼の演奏を聴くと、肩透かしをくらうであろう。
思うに、カルレバーロ奏法とは、セゴビア奏法のような伝統的奏法に忠実でありながら、脱力を主体とした合理的な奏法を意図したものではないかと思う。
すなわち高齢になっても力が衰えない奏法を目指しているということであろう。
カルレバーロの右手は弦に対し直角の角度を維持していることも注目すべきだ。

セゴビアやカルレバーロが高齢でもテクニックが衰えなかった理由が、右手のタッチや左手の押さえ方にあるように思える。
すなわち右手に関しては、アポヤンド主体の強い音を幼い頃から十分に習得していたからではないかと思うのである。
アルアイレ主体のギタリストが後年、若い頃の音を維持できず、かつてのような演奏を耳にすることが無くなってくるのと対照的だ。

Youtubeで冒頭の2曲の古い録音が見つかった。
しかし音が非常に悪くなっている。
CDでは聴こえていた魅力ある音、例えば高音の柔らかいアポヤンドの音や、ドスの効いた底から響いてくるような低音が、Youtubeでは割れてかすれて殆ど聴こえてこない。
ここにYoutubeで音楽を鑑賞することの落とし穴がある。
もし私がこの2曲をCDで聴かず、Youtubeでのみ聴いたとしたら、1回聴くだけで終わっていただろう。
今までにも何度か書いてきたが、古い音源をYoutubeでアップすると確実に大きく音が劣化してしまうということだ。
お金はかかるが、古い音源はできるだけCD、できればLPレコードで聴いた方がいい。
録音での演奏の真価に触れることなく終わってしまうであろう。
そして耳の感度も確実に劣化していく。


カルレバーロの蜜蜂や練習曲第1番の速度はそれほど速くない。
しかし聴こえてくる音楽や音には魅力が溢れているし、強い説得力を感じる。
彼の後年の平坦にも感じる演奏とはかなり異なる趣きがある。
練習曲第1番の音楽表現は非常に参考になる。
ナルシソ・イエペスの同曲の録音に共通した解釈を感じる。
もしかしたらイエペスはカルレバーロの録音を聴いたのではないか。
もしそうならば、カルレバーロの音楽表現に影響を受け、自らの演奏に取り入れたのではないかと思う。

Abel Carlevaro interpreta Las Abejas de Agustín Barrios Mangoré (1885 - 1944)


Estudio 1 - Abel Carlevaro (Heitor Villa-Lobos) Study 1
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久しぶりの日本酒(10)

2019-09-13 22:24:49 | グルメ
明日から3連休だ。
こういう連休に入る前日の夜は最高に開放感に浸れる。
こういう時は日本酒だ。
酒は毎日だらだら飲むのではなく、開放感に浸れるとき、それも独りで思索に耽ったり、このようにものかきをしているときに飲むのがいい。

今日選んだ酒は、「樽平」という山形県の日本酒だ。
特別純米酒で精米歩合は60%。美山錦100%使用。



実はこの酒、初めてではない。
20代半ばの暗く苦しかった時代に、姉妹酒の「住吉」とともによく飲んだ酒だ。
東京の社員寮に住んでいた時代だ。あの陽の当たらない部屋でだ。

この「樽平」を週末の金曜日の夜に一升瓶で買ってがぶ飲みしながら、伊福部昭の「交響譚詩」やチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」を何度も繰り返して聴いたものだった。










昔と変わらない味。
色は普通の日本酒に比べ黄色味が濃く、味も深くて濃い。
しかしいかにも昔ながらの日本酒といった伝統的な味で、今流行の華やかでフルーティな日本酒とは対極に位置する酒だ。
ラベルも昔と変わらない。
こういう地味なデザインのラベルこそが日本酒に相応しい。
今流行の現代風のラベルは好きではないし、日本酒には合わない。
せっかく伝統的な格調あるラベルだったのに、今流行のデザインに変えてしまった銘柄もある。
そういう日本酒は味も現代人の趣向に合わせて変えてしまう。
それに比べて「樽平」は頑固なまでに変えない。こういう日本酒が本物だ。
広くたくさん売れないけど、ロングセラーになっているのにはちゃんと訳がある。
日本酒ではないけど、あのエビスビールだって昔、サッポロビールに買収される前のラベルは今の金色のラベルとは全く異なる、いかにも昔ながらのビールのラベルのデザインだった。
そして味も今よりも苦く、独特の味だった。

居酒屋で飲むのは苦手だ。
うるさくて人の話す声が聞こえやしない。
居酒屋でも夜遅くに静かで小さな個室(和室)で2,3人で飲むのはまだいい。

学生時代からいわゆるコンパとか飲み会というものが苦手だった。
何を話していいかわからなかったし、周りがうるさくて人の話がよく聞こえなかったからだ。
話好きな人にとっては楽しいかもしれないが、話下手な人からするとこれは苦痛だ。
だから飲み会の前はよく気分が落ち込んだものだった。
飲み会が終って、やっとほっとすると同時に、自分はなんて皆と楽しく話せない暗いヤツなんだ、と自分を責め悲しくなったものだった。

あと苦痛だったのが社員旅行。
社会人になって5年間は社員旅行が毎年あった。
入社3年目の9月、もう30年前の話だが、会社の保養寮、伊豆だったと思うが、職場のメンバー20人くらいで泊まりに行ったことがあった。
何台かの車に分乗したのだが、私は誰の車に乗せてもらおうかと思っているうちにあぶれてしまい、最後に残った車は、以前この職場の部長兼取締役で、数か月前に常務取締役に昇格した方の車だった。
みんなそんな偉い人の車に同乗するのが嫌だったから早々と乗る車を決めてしまったのだが、私は運悪くその常務の車に同乗するはめになってしまったのである。
他に同乗者は私と同世代の女性社員1名。
私はこの常務の高級車の助手席にしかたなく座った。女性社員は後部座席に乗った。
私はこの常務が日頃から嫌いだった。
向こうもなんとなく日頃から私を疎んでいるようだった。
その頃は「樽平」をがぶ飲みして「悲愴」を何度も聴いていた時代だった。
この常務の隣に2時間以上も座っていなければならないのである。
一瞬、どう会話をしたらいいのか不安に襲われた。
そして車が動き出した時、なぜか私は開き直った。
「話をしたくないんであれば、そうすればいいじゃないか。別に常務だからといって無理に話すことなんかないさ」
時が5分、10分過ぎていった。
しばらくして何かの異変(?)に気付き始めたのか、後ろの女性社員が慌てて会話をし始めた。
といってもその女性社員もそうおしゃべりな方ではなかったから、会話は続かなかった。
私は、その高級車の中で約2時間、ついに常務に一言も話さなかったのである。
常務は異変に気づいてから、不愉快そうに重苦しいため息を何度もつき、「こいつ、ダメなヤツだ。使えないヤツだ。」と言わんばかりの態度を示していたが、私は無視した。
常務も私に話しかけることはなかった。
今思い出すと思わず笑ってしまう出来事だったが、この2時間を耐えた私は何故か勝利感に似たような感覚を感じた。

変な自信というのであろうか。
それ以来、飲み会などであまり人と会話しなくても落ち込んだりしなくなった。
自分が楽しくないのであれば、無理して話すことはないのである。自分が辛くなるだけだ。
無理して話しても相手は楽しいとは感じないだろう。
自然な気持ち、動機から出た会話ではないからだ。

人と話すのが苦手な自分で何が悪いと開きなおり、そういう自分でいるのが心地よいと思えるようになれるのが理想だ。
なかなか難しいことではあるけれど。
心から話したい、言いたいときに相手に働きかける。
それで十分だ。
飲み会で人と会話する=楽しいこととは限らない。
話をしないときはおいしい料理を楽しめばいい。

【追記20190914】

上の写真の伊福部昭作曲「交響譚詩」の録音がYoutubeで見つかったので下に貼り付けておきます。
録音:1962年(昭和37年)3月 
演奏:山田和男(一雄) 東京交響楽団
古い演奏で管楽器にやや技量不足があるのは否めないですが、私はこの演奏が好きです。
(Yutubeの音は劣化しています。オリジナルはもっといい音です!)
この曲、意外にYoutubeに投稿されていませんね。名曲なのですが。
マンドリンオーケストラへの編曲では、伊福部昭門下の作曲家、原田甫の編曲が知られています。
(この曲もいずれ弾いてみたいな)

伊福部昭 - 交響譚詩 (山田一雄、東響)

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