緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

小原安正著「ギタリストの余韻」を読む

2014-06-08 01:30:47 | ギター
6月に入り早くも梅雨入りである。昨日は台風のように雨風が強かった。
外へ出かけることもなく家にいたが、今日は久しぶりにギターの話題にしたい。
家の本棚に置いてあった「ギタリストの余韻」という本が目についた。クラシック・ギター界で草分け的存在であった故・小原安正氏の著作である。



この本が出版されたのが今から25年以上前の昭和63年、確か東京目白のギタルラ社で買った記憶がある。
この本が発売されてまもなくして小原安正氏は他界した。
小原安正氏というと私がギターを始めた1970年代半ばでも実演に触れることが出来なかった。しかしその当時小原氏の存在は日本のクラシックギター界で権威的な存在であったように思う。
この本を読むと小原氏が日本のギター界に多大な貢献をしてきたことが分かる。
具体的には以下のようなことである。

・日本ギター連盟の結成
・現在の東京国際ギターコンクールの創設
・武井賞(優れたギター曲の創作に与える賞)の創設
・ギター専門誌「ギタルラ」の創刊
・数多くの後進の育成

このように日本のギター界の発展に大きく寄与してきたわけだが、それだけでなく小原氏がギターに並々ならぬ情熱を持って生涯を送ったことが伝わってくる。
この著作の中で小原氏は「私は自分に厳しい人間だと思う。それだけに、ギターをしていて苦しみが多かった。いいことよりもいやなことが多かったように思う。」と述べている。
小原氏は信念が強く個性も強いため、人から誤解されることもあったようだが、私から見るととても充実した人生を送ったのではないかと思う。この本を読むと、ギターの発展期に、丁度人生で最も情熱を傾けることのできる時期が重なったという幸運もあるが、日本のギター界でゼロからスタートし、多くの人々と交流を持つ中で様々な体験をできたことはうらやましく思う。ギター音楽の成長がほとんどなくなった現代において、このような体験ができることは稀であろう。
また小原氏は最後の章でこのようにも述べている。「日本のクラシック音楽は、歴史の浅いこともあって、はなはだ遅れていると思う。特にギターは遅れている。西洋のマネではない日本の独自性を持ったクラシック音楽がもっと欲しいと思った。武井先生とか武満徹さん、間宮芳生さん、林光さん、原嘉寿子さん、小橋みのるさん、西山竜平さん、原博さん、早川正昭さん、菅野浩和さん、宍戸睦郎さん、江崎健次郎さん、下山一二三さんなど大勢の作曲家に頼んでギター音楽を書いて頂いた。それは日本の音楽だけが持っている世界があるからである。」
私がこの著作を読んで最も共感したのはこの文章であった。
1960年代から1970年代にかけて上記の邦人作曲家のギター曲がギタルラ社などからたくさん出版された。
今これらの作曲家の多くの楽譜は絶版になっているが、外国の曲にはない日本の独自性を感じる格調高い力作もある。
例えば宍戸睦郎の「ギターのためのプレリュードとトッカータ」は日本人だけしか感じ取れない情感に満ちた他に類を見ない個性的な力作である。宍戸氏によると、ナルシソ・イエペスもこの曲をコンサートで演奏したようだ。早川正昭の「三つのプレリュ-ド」は西洋的な書法で書かれているが、外国の有名な現代音楽作曲家の曲と比較しても何ら遜色を感じないほどの優れた曲である。これらの曲は北海道のギタリスト赤坂孝吉氏の録音で聴くことができる。
原嘉寿子の「ギターのためのプレリュード・アリアとトッカータ」は不気味な不協和音を多用した今では珍しい曲であるが、人間の奥底の裏の感情をあぶりだしたかのような強い個性を持つ曲である。この曲は10年くらい前に東京国際ギターコンクールの本選課題曲にもなった。
原博は現代ギター誌で楽曲分析を担当していたこともあり、クラシックギター界に関わりのあった作曲家であったが、ギター独奏曲で出版されたのは、「ギターのための挽歌」と「オフランド」しかない。「ギターのための挽歌」は元々ギター合奏曲のある楽章を独奏曲用に作曲し直したものであるが、先の宍戸睦郎の「ギターのためのプレリュードとトッカータ」と同様、1960年代から1970年代に感じることのできた日本の持つ情感を湛えた強烈な個性のある曲である。この曲も宍戸睦郎の曲と同様、東京国際ギターコンクールで2度も本選課題曲に選出された。
菅野浩和氏も現代ギター誌に度々登場していたが、ギター曲では「北の歌」というアイヌの音楽を素材にした組曲があり、荘村清志氏のために作曲されたという。他にも三善晃、野呂武男、伊福部昭、平吉毅州、野田暉行、毛利蔵人などの諸氏が優れたクラシックギター曲をこの時代に作曲している。
今思えば日本のクラシックギター界で曲作りが最も盛んだったのはこの時代だったのではないかと思う。外国でもブリテンやバークリー、オアナなどの作曲家が優れた曲を書いた。
それは小原氏が言うのようにこの時代のギタリスト達が盛んに作曲家にギター曲を作るよう働きかけたからである。
しかし1980年代に入って、これらの作曲家はギター曲を作ることは殆どなくなった。代わってギタリスト兼作曲家が作ったような曲がさかんに演奏されるようになった。ブローウェルやディアンスなどがその代表的な作曲家である。
そして今、クラシックギターの新譜やコンサートの曲目を見ると、過去の弾きつくされたおなじみの曲とバリオスやピアソラの編曲ものなどの組み合わせが目立つようになった。今のギタリストにギターのオリジナルの新しいギター曲を開拓していこうというパワーを感じない。何故なのだろう。日本の作曲家にもまだまだ優れた方がいるのに積極的に働きかけないのは不思議に思う。
その理由はおそらく、現代のギタリストは機能調性を持たない難解な曲を敬遠する傾向があることと、親しみやすいポピュラーな曲が好きな方が多いからだと思う。
小原氏はこの著作の中で日本の音楽大学にギター科が設置されないのを嘆いていたが、その理由はクラシックギター界を離れて、例えばピアノ界、ヴァイオリン界などの音楽に触れてから改めてギター界を客観的に見てみると答えを見出せるのではないか。
つまりギター界はピアノなどの分野から見ると、クラシック音楽なのかポピュラー音楽なのか判然としないからなのだ。ピアノ界にはポピュラー音楽が入り込む余地がないほど豊富なクラシックの優れた名曲や音楽家、演奏家で満ちている。しかしギター界は容易にポピュラー音楽をその自らの領域に引き寄せてしまう、音楽のあいまいさ、オリジナル曲の脆弱さ、優れた演奏家の少なさなどがあるからだ。
ギター以外のクラシック音楽関係者からすると、クラシックギターという分野とは一体どういう音楽なのか、クラシックなのか民族音楽なのか軽音楽なのか、はっきり見えてこないという印象を持つのではないか。
また致命的なのは19世紀のクラシック音楽が最も隆盛だった時期に、優れたギター曲がないことである。
だから芸大などにギター科がいつまでも設置されないのだと思う。
クラシックギターを弾く人にはクラシックギターという枠の中では大変な深い広い世界を持っている方がたくさんいるが、クラシックギター以外のクラシック音楽にもギターと同じくらい目を向けている人は意外に少ないのではないかと思う。
クラシックギターは19世紀の有名な作曲家のように、同一作曲家がピアノやヴァイオリンやオーケストラなど多くの分野の曲を作曲することなく、クラシックギターのみに特化した作曲家が多いから、他の楽器の音楽に目を向ける機会が少なく、クラシックギター独自の世界を持っていることも他の器楽の分野と性格を異にする面を感じる。
ギターという楽器は手軽で昔から庶民的な楽器であったから必然的にそうなるのであろうが、今のクラシックギター音楽界にはいささか物足りなさを感じるのは正直なところだ。
クラシックギターはもっと素晴らしい音楽を生み出せる可能性を持っていると思う。
先に述べたように1960年代から1970年代にかけてそのような動きが活発だったが、今は衰退気味だ。
でもいつかはギター界に他のクラシックの分野の関係者も一目置くような曲がたくさん生まれていくようになれば、たとえ19世紀のギター曲に不足があったとしても、芸大にギター科が設置されることも現実になると思う。
コメント (4)

舘野泉演奏 フォーレ 夜想曲第1番を聴く

2014-06-01 22:06:17 | ピアノ
冷房を入れないと過ごせないほどの暑さだ。去年よりも暑さがやってくるのが早いように感じる。
ガブリエル・フォーレの夜想曲で珍しい録音を聴いた。
フォーレの夜想曲は私の最も好きなピアノ曲の1つであり、私にとってピアノ曲の素晴らしさを教えてくれた偉大な音楽である。
フォーレの夜想曲は全部で13曲あるが、フォーレの全生涯に渡って作曲された。
この夜想曲を13曲全て聴くことで、フォーレという人物が辿った精神の歴史を感じ取ることができる。そしてフォーレのピアノ曲は、他の自身の作品に比べると、フォーレの心情を正直に曲に反映させたものであることが分かる。
夜想曲の中で素晴らしいのは、第1番、第6番、第7番、第13番である。
特に第1番を初めて聴いた時の衝撃は忘れられない。初めて聴いた録音はフランスのピアニスト、ジャン・フィリップ・コラールのものであった。
それ以来、フォーレの夜想曲の最高の演奏を求めて数多くの演奏者の録音を聴いてきた。
今日紹介する舘野泉の録音も長年探し求めていたものであるが、なかなか見かけることがなく、今回幸運にも中古で手に入れることができた。



フォーレの夜想曲第1番は、なかなか名盤と呼ぶべき演奏がない。最初の出だしは概ねどの奏者も同じ演奏をするが、21小節目からの6連符のアルペジオの伴奏が現れる部分から、期待に反する演奏をする奏者が多く、失望させられるのである。
今までこの夜想曲第1番で唯一私が素晴らしいと感じた演奏は、先のジャン・フィリップ・コラールのものだけであった。
まず21小節目の6連符、2拍目裏と3拍目についているスタッカートである。



この音型は曲を通して全てスタッカートを要求しているが、このスタッカートを全て弾くことなど不可能である。だから多くの奏者は弾くことが可能な部分だけスタッカートを付けて、弾けない部分は付けていない。そのアンバランスな弾き方がこの曲の完成度を低めているのである。
恐らくフォーレ自身はこのスタッカートを明瞭に弾くことを求めていないと思う。音を完全に切らずに気持ちの上で音を切るように表現するほうが、この夜想曲の求める曲想にマッチングしていると思う。下手に音を切ってしまうと曲を壊してしまう。
次に、50小節目からのフォルテであるが、ここをあまりにも強く、速く弾きすぎる奏者がたくさんいる。まるで行進曲を聴いているようで、全くこの夜想曲の音楽の流れが分かっていないかのようである。



この第1番は、夜の静寂の中で、静かで感傷的な霊感を感じる部分、穏やかで夢想的なやすらぎを感じる部分、何かの対象に情熱的な気持ちを強く向けている部分など、さまさまな心情の変遷が感じ取れるが、全体的にあまりにも強く、速く弾いてしまうと曲を台無しにしてしまう。
73小節目から次第に感情が高まり、フォルテで頂点を迎えた後、次第にヴォルテージを落とし、独特の素晴らしい上昇、下降音階を経て短いトリルのような音型に至るが、ここの部分をやたら強くアクセントを付けすぎて弾いてしまうの聴くと幻滅すらしてしまう。





この夜想曲第1番は小さなガラス細工のように精巧で繊細な曲なのである。短い曲であるからこそ、わずかな音の加減や、弾き方次第で曲が崩れてしまうのだ。
このように考えると、フォーレの夜想曲の中で最も演奏が難しいのは、実はこの第1番なのではないかという気がする。
さて今回聴いた舘野泉の演奏であるが、実に素晴らしいものであった。
聴き進むにつれて、次はどんな表現をするのであろうか、また多くの奏者のように幻滅してしまうのではないかと、緊張しながら聴いたが、私が理想としている表現通りの演奏であった。驚きとともに自分求めているものに一致したことに感動した。
この舘野泉のCDはスペインのフェデリコ・モンポウのピアノ曲も収録されているが、先日のブログで書いたようにモンポウはフォーレの演奏を聴いて作曲家を志すことを決心したと言われており、両者は全く無関係のように見えて実はつながりがあったことも興味深い。
フォーレの夜想曲は第6番までしか収録されていないが、13曲全て聴きたかった。
コメント