緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

舘野泉演奏 フォーレ 夜想曲第1番を聴く

2014-06-01 22:06:17 | ピアノ
冷房を入れないと過ごせないほどの暑さだ。去年よりも暑さがやってくるのが早いように感じる。
ガブリエル・フォーレの夜想曲で珍しい録音を聴いた。
フォーレの夜想曲は私の最も好きなピアノ曲の1つであり、私にとってピアノ曲の素晴らしさを教えてくれた偉大な音楽である。
フォーレの夜想曲は全部で13曲あるが、フォーレの全生涯に渡って作曲された。
この夜想曲を13曲全て聴くことで、フォーレという人物が辿った精神の歴史を感じ取ることができる。そしてフォーレのピアノ曲は、他の自身の作品に比べると、フォーレの心情を正直に曲に反映させたものであることが分かる。
夜想曲の中で素晴らしいのは、第1番、第6番、第7番、第13番である。
特に第1番を初めて聴いた時の衝撃は忘れられない。初めて聴いた録音はフランスのピアニスト、ジャン・フィリップ・コラールのものであった。
それ以来、フォーレの夜想曲の最高の演奏を求めて数多くの演奏者の録音を聴いてきた。
今日紹介する舘野泉の録音も長年探し求めていたものであるが、なかなか見かけることがなく、今回幸運にも中古で手に入れることができた。



フォーレの夜想曲第1番は、なかなか名盤と呼ぶべき演奏がない。最初の出だしは概ねどの奏者も同じ演奏をするが、21小節目からの6連符のアルペジオの伴奏が現れる部分から、期待に反する演奏をする奏者が多く、失望させられるのである。
今までこの夜想曲第1番で唯一私が素晴らしいと感じた演奏は、先のジャン・フィリップ・コラールのものだけであった。
まず21小節目の6連符、2拍目裏と3拍目についているスタッカートである。



この音型は曲を通して全てスタッカートを要求しているが、このスタッカートを全て弾くことなど不可能である。だから多くの奏者は弾くことが可能な部分だけスタッカートを付けて、弾けない部分は付けていない。そのアンバランスな弾き方がこの曲の完成度を低めているのである。
恐らくフォーレ自身はこのスタッカートを明瞭に弾くことを求めていないと思う。音を完全に切らずに気持ちの上で音を切るように表現するほうが、この夜想曲の求める曲想にマッチングしていると思う。下手に音を切ってしまうと曲を壊してしまう。
次に、50小節目からのフォルテであるが、ここをあまりにも強く、速く弾きすぎる奏者がたくさんいる。まるで行進曲を聴いているようで、全くこの夜想曲の音楽の流れが分かっていないかのようである。



この第1番は、夜の静寂の中で、静かで感傷的な霊感を感じる部分、穏やかで夢想的なやすらぎを感じる部分、何かの対象に情熱的な気持ちを強く向けている部分など、さまさまな心情の変遷が感じ取れるが、全体的にあまりにも強く、速く弾いてしまうと曲を台無しにしてしまう。
73小節目から次第に感情が高まり、フォルテで頂点を迎えた後、次第にヴォルテージを落とし、独特の素晴らしい上昇、下降音階を経て短いトリルのような音型に至るが、ここの部分をやたら強くアクセントを付けすぎて弾いてしまうの聴くと幻滅すらしてしまう。





この夜想曲第1番は小さなガラス細工のように精巧で繊細な曲なのである。短い曲であるからこそ、わずかな音の加減や、弾き方次第で曲が崩れてしまうのだ。
このように考えると、フォーレの夜想曲の中で最も演奏が難しいのは、実はこの第1番なのではないかという気がする。
さて今回聴いた舘野泉の演奏であるが、実に素晴らしいものであった。
聴き進むにつれて、次はどんな表現をするのであろうか、また多くの奏者のように幻滅してしまうのではないかと、緊張しながら聴いたが、私が理想としている表現通りの演奏であった。驚きとともに自分求めているものに一致したことに感動した。
この舘野泉のCDはスペインのフェデリコ・モンポウのピアノ曲も収録されているが、先日のブログで書いたようにモンポウはフォーレの演奏を聴いて作曲家を志すことを決心したと言われており、両者は全く無関係のように見えて実はつながりがあったことも興味深い。
フォーレの夜想曲は第6番までしか収録されていないが、13曲全て聴きたかった。
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