緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

英語が好きになった学習参考書

2011-08-12 23:42:04 | 学生時代
こんばんは。
明日から夏休みです。1週間ほどですが、普段は休日しか弾けないギターが
毎日弾けます。
今回の夏休みは少し勉強もしようと考えています。
私は中学2年生まで勉強らしい勉強をしてきませんでした。小学校の時は
4年生までまず机というものが家にありませんでした。だからたまに教科書
を家で読むときは、床に寝そべって読んでいました。
5年生でやっと机を買ってもらいましたが、その机で勉強したという記憶が
ありません。中学に入っても2年生まではろく勉強せず、ギターや部活動に
熱中していました。学校の期末試験の時などは、友だちの家の庭にテントを
張って、4人くらいでそのテントの中で泊りがけで一緒に勉強したこともあ
ります。でも結局友だちとの話に夢中になって、勉強どころではありません
でした。
今から思うとこの時期はこんな生き方でも良かったでのでないかと思う時
があります。
そして3年生になって高校受験が現実に迫ってくると、2年生までの成績で
はさすがにヤバイと思うようになり、勉強をし始めました。でもどう勉強し
たらいいのか分からないんですね。社会科だけは好きだったからノートを
きちんととっていたが、英語や数学などはノートをとっていなかったんです
。高校受験は教科書だけやっていてもレベルの高い高校に入れるのに、
教科書の問題の答えや英訳がノートに書いてないので答え合わせが出来ない。
なので答えの付いている参考書や問題集に手を出すのですが、参考書や問題
集は難関高校を受験するための生徒に書かれているものが殆どで、難しくて
余計分からなくなり悪循環でした。
特に英語は教科書の訳がないので、赤尾の豆単という手帳サイズの英単語帳
を買ってきて、それをがむしゃらに覚える日々が続きました。単語さえ覚えれ
ばなんとかなると思っていたんですね。でもいっこうに英語の試験の点数は
上がりませんでした。
中学3年生になると高校受験の模擬テストが2ヶ月に1回くらいの割合で実施
されるのですが、1学期の段階で5教科500満点で230点とか良くて270
点くらいしかとれていませんでした。その模擬試験の結果を親に見せて判子を
もらって学校に提出しなければならなかったのですが、とても親に見せられ
ませんでした。なので親が寝てからそっと引き出しを開けて、判子を自分で押
して学校に提出していました。
500満点中250点前後であれば、オール3の成績であるGランクの高校
に入れません。だから当時の自分としては一生懸命勉強しました。夜2時か
3時まで勉強し、授業が終わってから学校で5時くらいまで遊んで、5時過ぎ
に家に着いて、夜7時まで仮眠し、晩ご飯を食べたら夜中の2時3時まで
勉強するという毎日を送りました。
その努力が少し実ったのか、テストの成績が300点くらいまで上がってきま
した。でも時すでに遅しという感じでした。Gランクの高校を受験するには
リスクが高かったので、願書を出す前日に志望校を変えました。
正直言って行きたくない高校でした。嫌な高校でしたがその高校しか受験
せざるを得ませんでした。
自分としては一生懸命頑張ったのに行きたい高校に一歩及ばずすごく悔しい
思いをしました。内申書の方も3年生の3学期の期末テストは凄く高い点数
を取ったのに上がりませんでした。信じられないくらい頑張ったのに成績は
あがりませんでした。その時の悔しかった時のことは今でもはっきりと覚え
ています。
努力が実らなかった悔しさから、ちゃんと勉強しなければならないと心から
思うようになりました。
入った高校は悪のたくさんいるようなすごく嫌な学校だったので、なるべく
学校にいる時間を短くして、勉強に精を出すようになりました。中学時代とは
まるで別人のようになっていました。
英語に関しては高校1年生の2学期までは中学時代の不勉強のせいで、模擬
テストの成績は悪かったのですが、ある参考書との出会いで劇的に変わりました。
その参考書とは美誠社という京都の出版社が出した、高梨健吉さんという当時
慶応義塾大学名誉教授をしていた英文学者が書いた参考書で「総解英文法」とい
う本です。紙の表紙が付いていたのですがボロボロになっていつのまにか
なくなってしまいました。







ページ総数700ページを超える本でしたが、すごく丁寧で分かりやすい
内容で英語の基礎が全然できていなくて、単語ばかり覚えていた私にとって
は救世主ともいえる存在でした。
この本を手にしてから夢中になって読みました。英語が楽しくなってきて、
テストの成績も飛躍的に上がりました。基礎から徹底的に理解できました。
この参考書を書店で4,5年前に見かけましたが、今でも売っているので
しょうか。初版が1970年ですから今でも売っているとしたら、学習
参考書としては超ロングセラーですね。ロングセラーになぜなっているの
かも理解できます。完成度の高い内容だからです。
そして高校2年生の夏に姉妹書である「英語構文の研究」も買いました。







この参考書で英語を訳していくのが楽しかったです。この本の英文を訳して
いろんな、分からないことを自分の力でわかるようにすることの達成感や
喜びを感じられるようになりました。
これらの本で私の人生が変わったといっても良いと思っています、。
勉強嫌いだった私が、勉強することの楽しさが分かるようになったのです
から。
もちろんこの本を真面目に取り組むには、その伏線として望む高校に入れな
かった時の強い感情があるのも事実ですが。
私が高校の頃は、受験戦争だとか詰め込み教育とかと言われていましたが、
私は全然そういう感じはしませんでした。
大学受験科目は一次、二次試験合わせて11教科でしたが、今思うとこの時
の経験が今の自分にすごく生きてきています。
というのは社会に出て仕事をするようになると、職種にもよりますが多くの
ことを短時間で解決しなければならないことがたくさん出てくるからなの
です。つまり多くのことを短時間で処理しなければならないので、高校時代
の経験が役立っているといってもいいと思っています。
今の時代は好きな分野で生計をたてていけられるのはほんの一握りの人たち
です。専門的な分野で仕事をするにしたって、多くのことを学ぶ必要があり
ます。だから普通の会社の仕事でも専門分野での仕事でも、多くのことを
こなすのに忍耐強く耐えられる訓練が必要になってくるのです。
だから私の高校時代のときの勉強のあり方は決して弊害がでるようなもの
どころか、大人になって仕事やその他の困難にぶつかった時に、乗り越えて
いくための忍耐力や解決力を養っていくためにあったのではないかとさえ
思っています。
ゆとり教育が1990年代頃から始まったようですが、ゆとり教育でもの
ごとを深く考えられるような人がたくさん育っていったどころか、ものごと
を深く追求せず、できるだけ量を少なくして、後は自分のしたいことをすれ
ばそれでいいというスタイルが増えたように思えます。
まあそれも一つのライフスタイルや価値観とも言えますが、世の中は、誰か
が楽をするために仕事や勉強をけずると、他の誰かの負担が増すというしく
みになっているんですね。やらなければならないことの総量は変わらない
からです。
豊かさの中で努力することから遠ざかってくると、気付かないうちにじわり
と貧しい苦しい時代に入っていきます。世の中うまくバランスが取れている
と思います。自然の法則というか。
それに努力することを忘れていくと、自分が他人に困難を肩代わりさせて
いることに気付かない人間になっていってしまいます。


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日本旋法(陰旋法)のギター曲『ギター・ソナタ』

2011-08-07 22:02:37 | ギター
こんばんは。今日も暑い日でした。
以前のブログでも書きましたが、大学2年生の時に鈴木静一作曲のマンドリン
オーケストラ曲である「交響譚詩 火の山」という曲を聴き、また演奏した
ことで、日本旋法、特に陰旋法の曲に惹かれるようになりました。
(下の写真は「火の山」のギターパート譜の一部)



鈴木静一さんは日本民族的な書法によるマンドリン・オーケストラを数多く
作曲した方で、代表作は先の「火の山」の他、「交響詩 失われた都」、
「大幻想曲 幻の国 邪馬台」などがあります。
1970年代から80年代半ば頃まで大学の定期演奏会のメイン曲に必ず
といっていいほど選ばれていました。
この鈴木静一の曲をきっかけに、伊福部昭のギター曲、宍戸睦郎や原博、塚本
靖彦といった日本人作曲家のギター曲を弾くようになったのですが、日本
旋法、それも陰旋法による曲は伊福部昭の曲しかなかったんですね。他の
日本人作曲家の曲は日本的なモチーフを用いた曲想になっているが、基本的
に西洋の書式で書かれていました。西洋の書式で作曲されているが、根幹に
はその時代の日本を強く感じさせるものがありました。今は消滅してしまった
が、その時代に生きた日本人が時代が変わってても失うことなく心に残り
続けているもの、日本の美しい自然、日本をいい国にしようと頑張った頃
の活気、エネルギー、人々の情感などを感じさせてくれます。
日本陰旋法の曲は、上記の曲が書かれた高度成長時代が始まった頃よりも
ずっと前の日本を感じさせてくれます。
日本陰旋法のギター曲は極めて少ないです。プロの作曲家が作曲した本格的
なギター曲としては先の伊福部昭のギター曲の他に、原田甫作曲「ギター・
ソナタ」があります。



10年くらい前だったでしょうか。日本人作曲家のギター曲を探すために
クラシック・ギターの専門誌である「現代ギター」のバック・ナンバーリスト
をを見ているときに、この原田甫さんの「ギター・ソナタ」の楽譜が別冊付録で
あることに気づきました。しかし現代ギターのバック・ナンバーは絶版で
あったため、上野の東京文化会館音楽資料室まで行って、コピー譜を手に
入れました。その後ヤフーオークションで偶然この付録が出品されており、
手に入れることができました。しかし3月の地震のときに、この楽譜を結露
の発生した窓のところに落ちてしまって、そのことに長く気づかなかった
ため、表紙にしみを付けてしまいました。
この曲は3楽章で構成されていますが、第2楽章が素晴らしいです。他の
ギター曲には全く見られない独特の音楽です。
特に9~12小節の部分は強烈に心に喰い込んできます。この部分に作者の
心情の全てが凝縮されていると思います。



この部分は日本が西洋の文化を取り入れるまでに、長い間日本人が培って
きたものを感じます。具体的に何かと言われるとはっきりとはわかりません。
島国である日本が、鎖国などで外国の情報から遮断された中で、日本が独自
に育て上げた感性、庶民が日々の日常の中で感じていたものを表している
のではないかと思います。因みに陰旋法は西洋にも東洋にもない日本独自の
旋法だそうです。
作曲者の原田甫さんは伊福部昭の門下で北海道の出身のようです。
ギター・ソナタの楽譜の解説の中で原田さんは、「職業的作曲家として無数の
雑曲を濫作するなかで、自分の耳に聞こえるのは唯一、5音音階陰旋法の音律
のみであることに気付いた」と言っています。
この曲を原田さんは十分な時間をかけて真剣に作曲したと思います。日本人
作曲家の貴重な名曲だと思います。
この「ギター・ソナタ」は数年前にギタリストの哘崎考宏さんにより第1楽章
のみ録音されCDになりました。第1楽章のみの録音で残念でしたが、第2、
第3楽章は作曲家自身によりピアノにも編曲されているようです。




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自分に合わない音楽は無理して聴かなくてもよい

2011-08-06 23:06:22 | その他
こんばんは。しばらく涼しい日が続いていましたが、やっと真夏らしい
暑い日になりました。寒いところで生まれ育った私には一番いやな季節
です。暑いと頭がボーっとしてしまうんですね。
社会人になったころでしょうか。会社の人とどう話していいのか真剣
に悩んだ時期がありました。
私はそれまで音楽は殆どクラシック・ギターだけに熱中してきたので、
歌謡曲とか、ニューミュージックとか誰もが聴いている音楽は全く知ら
なかったんですね。だから同世代の同僚が歌謡曲などのことを話題に
しても話に全くついていけませんでした。
同僚から「ネクラ」な人間だと思われないように必死に歌謡曲や、ニュー
ミュージックを聴いて覚えようとしました。でも全然覚えられません
でした。何度聴いても次の日になったらその曲がどんな曲だったか思い
出せない、右から左にただ通り過ぎていくだけ。
今から思うと馬鹿げたことをやっていたと思いますが、当時の私として
は必死でした。クラシック・ギターをやっていることはできるだけ言わな
ないようにしていました。
日本人は外国に比べて、他人と歩調を合わせる、人と違うことをやる
ことに恐れや罪悪感を感じる傾向があるのではないかと思います。
近年はこの傾向がだいぶ変わってきたと感じますが、私が20代だった
80年代から90年代半ばにかけてはこのような風潮があったかもしれ
ません。
自分が好きでないことを嫌われるのを恐れることを動機にしてやり続ける
と心に悪影響を及ぼします。次第に自分を見失っていきます。
歌謡曲や芸能人やテレビのことばかりを話題にする人は、本当にやりたい
ことを見出せていないのかもしれません。
仕事は別として、好きでないことや関心のないことに時間やエネルギー
を費やすことは勿体ないです。
話についていけなくても何の心配はありません。自分の本当に好きな
ことをやっていれば会合や飲み会などでも、相手の話を適当に聞く余裕
が出てきます。話したい時は自分の好きなことを共通に持っている人を
見つけて話せばよいのです。
人からネクラ(今は死語?)だと思われようが、変なヤツだと思われ
ようが自分の好きなこと(音楽)をやればいいと思っています。
社会人になったころ、人から変なヤツだと思われないようにと、クラシック
・ギター以外のジャンルをたくさん聴いていたとき、初めてジャズの
レコードを買いました。
チック・コリアのライブ演奏の録音です。このアルバムの曲は不思議と
通り過ぎることなく心に残りました。そしてこのレコードをきっかけに
ジャズのレコードを買いまくりました。
でもチック・コリアのライブ演奏のレコードしか心に残りませんでした。
他のレコードの曲は全くと言っていいほど記憶に残っていません。
結局私はチック・コリアのライブ演奏だけを聴きたかったんだと思います。





人の脳はその人の本当に好きなものしかキャッチしないように出来て
いるのではないかと思います。
だから人に合わせることを動機に好きでもないことやらないで、どんどん
自分の好きなことをやったほうがよいのです。


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優れたヘッド・ホン

2011-08-01 22:30:36 | オーディオ
こんばんは。
涼しい日が続いています。
半年くらい前だったか、CDやレコードを聴く時のヘッド・ホンが壊れて
しまったので新しいのを買いました。
秋葉原のヨドバシカメラに行って、何十種類もあるデモ用のヘッドホンを
1時間以上もかけて視聴し、その中から一番いい音がしたヘッドホンを
買いました。それがこのヘッドホンです。



オーディオ・テクニカ製で値段は1万円以上だったと思います。このヘッド
ホンでクラシック・ギターやピアノを聴くと確かに値段相応のいい音がし、
合唱曲のCDもこのヘッドホンとヤフオクで買った中古のCDプレーヤー
の組み合わせで聴いていました。



最近のことなのですが、合唱曲のCDを写真のようなポータブルのCD
プレーヤーと携帯用のヘッド・ホン、このヘッドホンはダイソーで200
円で買ったものなのですが、この組み合わせで合唱曲のCDを聴くと、
素晴らしくいい音で聴けることに気づきました。いい音というより、生の
演奏がリアル(何の加工もなくストレートに)にすみずみまで聞こえてく
るのです。たぶん200円のヘッドホンは余計な音加工をするための機能が
全くないシンプルな作りなので、CDの録音の音を忠実に再現しているのか
もしれません。



合唱曲を聴く時はこの組み合わせで聴くことに決めました。


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