緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

心の苦しみの解消に比例して人に対する親和力は増していく

2024-04-19 22:38:01 | 心理
今月は月初からずっと忙しい毎日だった。5日は久しぶりに休日出勤。
今日でやっと落ち着いた。

今日の夜、4年前の講習会で親しくなった仙台の友人といつものライン電話でなく、zoomで会話をした。
9月の演奏会で弾く、ギターのちょっと難しい部分を聴いてあげるということでzoomにしてくれたのであった。

彼ともう一人、静岡在住の方と4年前の講習会を通じて親しくなった。
講習会では受講生どおしのマン・ツー・マンでのセラピーの練習があったので、あのずと1対1で会話をすることになるわけであるが、60人ほどいる受講生の中で、深い話の出来る関係を築けたのは彼らのみであった。
60人もの人がいると、さまざまな人がいることが分かってくるが、そのうち本当に親しくなれるのはせいぜい2人くらいなんだな、と今では思う。
彼らとは5時間ぶっとうしで話し込んだことも4、5回はあった。
今よりも対人恐怖が強かった4年前の自分でもよくここまで話せたものだと思う。

でも考えてみると、本当に親しくできる人間というのはせいぜい2人くらいなんだと思う。
小学校、中学校時代もそうだった。
逆に言うと、そのくらいの人数で十分だということだ。
相性がいい人というのはそういるものではない、ということでもある。だから真に相性のいい人と出会うことが出来た場合は、その関係を出来るだけ長く続けていきたい。

今から10年以上前の、もっと心が苦しかった頃は、人と親しくなることは無理だったと思う。
心の深いところで、「人は嫌だ、人は恐ろしい、人は信用出来ない」とかたくなに感じている状態で、人といてやすらぎを感じることなど不可能なのである。
表面意識上でいくら親しくしようとふるまっても、心の深いところでは拒否しているわけであるから、辛いだけなのだ。
そして、相手も自分の心のそういう心の葛藤や苦しみを無意識的に感じ取るものである。
頭ではよく分からないが、何となくこの人と話していると落ち着かない、話を早く切り上げたくなる、といった感じを持つ場合、その相手は心理的に深刻な問題を抱えていることが殆どである。
無情なことであるが、心に深刻な苦しみを抱えている人とあえて親しくしたいと思う人はまずいないというのが現実だ。

だから心に分厚い鋼鉄の壁を築いているときは、じっと孤独に耐えていくしかない。
この分厚い鋼鉄の壁に、自ら穴を開けることが出来たとき、はじめて人と親しくなれる可能性が芽生える。
この穴がある程度広がったとき、運が良ければ、この穴をさらに広げてくれることを手伝ってくれる人に出会えるかもしれない。

分厚い鋼鉄の壁に最初に穴を開けることが出来るのは自分しかいない。
そのために何をすればよいだろうか。

「心に壁を築いた自分」を嫌わない、否定しないことである。
心に壁を築くに至った自分の生き様を振り返ることである。そしてその不幸続きだった自分に最大限の暖かいまなざしを送ることである。

「心に壁を築いた自分」を嫌い、否定するのは何故か。
幸せになれないからである。思うような人生を歩めないからである。苦して苦しくてしょうがないからである。
でも、この「心に壁を築いた自分」を嫌い、否定する自分も許してあげたい。言い分を聞いてあげたい。

激しく葛藤していた心の中の2人がお互いを分かりあい、和解したとき、心は統合され、いい方向に前進していく。
そして少しずつ、親しくなれる人が出来てくる。

人と親しくなれないことにコンプレックスを抱くことはない。
人と親しく出来ない程、心に衝撃を受けていても、自分を幸せにすることは出来る。
この苦しみの自分を何とかしようとするのではなく、そのままにあるがままに受けとめてあげたい。
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2 コメント

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仏の道です (武田の赤備え)
2024-04-21 01:51:06
いつも拝見させていただいております。
私も高校時代あることで、人は信頼できない、己のみ
信頼できると妄信して、武道と大藪春彦の小説に没頭
していた期間が長く続きました。とある所でこの苦
しい心持をお寺のお坊さんに話しました。すると
返答が私には意外でした。「それでいいんです。
それも仏になる道なのです。」その時暗黒に一つの
光明が見えた気がしました。
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Unknown (緑陽)
2024-04-21 23:24:30
武田の赤備えさん、こんばんは。コメントありがとうございました。
武田の赤備えさんは生きる過程で、壁にぶつかり、悩まれ、苦しみ、人生を模索した時期があったのですね。
人を信じることが出来ず、それでもあえて孤独に生きるということは、大変な勇気を要することですね。
どんなに無様であっても、他人に安易に迎合せず、自我を抹殺することなくじっと辛抱の道を生きたという経験は、不幸であっても長い目で見れば、自分を強くし、幸福につながる道であったことを、今となっては振り返ることができます。
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