緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

北杜夫著「岩尾根にて」を読む

2022-01-09 23:00:39 | 読書
この3連休、文学作品を1つでも読みたいと思っていた。
今日は朝から雑事に追われていたこともあり、「悲愴」とギターはお預けとなった。

今日読んだのは北杜夫著「岩尾根にて」。
何故この小説なのかというと、年末年始に帰省した折、実家にいる兄との会話の中で、登山の話題となり、その中で偶然出て来たのが北杜夫だったことから来ている。
兄は山好きで北海道の山は殆ど登ったようだが、多分、利尻岳の「這松」のことがきっかけで、この小説に行き着いたのだと思う。
この「這松」というキーワード。
この言葉が終始現れてくる小説が、遠い記憶を呼び覚ました。
それが中学か高校時代の国語教科書で読んだ「岩尾根にて」という小説であった。

「這松」以外にも、連鎖するように奥にしまわれていた記憶の貯蔵庫から他のキーワードが次々に蘇ってきた。
「ウィスキー」、「ベーコン」、「黒蠅」、「ヤッケ」、「遭難」、・・・・・・。
晩秋の山を登っていた主人公が、黒蠅の出現をきっかけに遭難者の死体を発見する。
その直後、信じられない体勢で岩場をよじ登る人間が視界に入ると、主人公は双眼鏡でその様子を恐る恐る観察する。
そして頂上で出会った若者と会話を重ねていくうちに、その若者と自分の区別が無くなり、どちらがどの話をしているのかも判別できない心理状態に陥っていく。
次第に我を取り戻した主人公は、途中で遭遇した遭難者の死体のことを切り出す。そして尋常ではない登り方をしていた登山者が対面している若者その人であったことを指摘する。

若者はその登り方は自分の意志によるものではなく、ある病気がそうさせることを打ち明ける。
死体を見たショックで無意識に自分でも知らないうちにそうのような行動に出たのだという。
そして下山に取り掛かる際に、こう言った。
「僕はねえ、怕いんですよ」、「僕はいつかは必ず堕ちますよ。これ以上山にきているうちには、きっと・・・・」。

終始鉛色の空が覆いかぶさり、冷たい風が吹きすさぶような連想シーンの中、不気味な人間心理が嫌でも読む人にぞっと感じさせ、一度読んだら長い間そのストーリーやキーワードが記憶から消えることなく、貯蔵庫に封印された状態で何十年も保管されるような不思議な力を持った短編小説だ。

原因不明の病を持つこの若者が、遭難での死という恐怖を常に感じながらも、登山を止められない理由も不思議だ。
私は30代初めの頃、北海道から来た兄と合流し、秋田県の象潟から鳥海山に登ったことがあった。
登り始めは晴天だったが、次第に天候は下り坂となり、頂上に着く頃には雨が降り始めていた。
頂上の山小屋には、大学のワンダーフォーゲル部のメンバーや単独登山の方などが既に入っていた。
9月の下旬であったが、夜から朝方にかけて寒くて一睡もすることができなかった。
眠れないシュラフの中で、次は四国に行ってみたいという考えが湧いてきて、絶景を写真に収めたいということをずっと考えていた(のちに実現、大堂海岸)。
翌日、小雨の中、山小屋を出発、急斜面を登って、祓川に出る登山道を目指した。
しかしそのルートは非常に分かりにくかった。
大きな石がたくさんある枯れ沢のような所を下っていくのであるが、石に塗られた道しるべのペンキの表示が曇天ということもあり、見つけるのに苦心し、何度も迷いそうになり、その都度ルートを確認しなければならなかった。
途中、「康新道」との分岐点に差しかかった。
兄が「康新道」を行こうと言ってきた。
天候が悪く、早く下山したい気持ちだった。それとこの祓川に抜ける登山道が分かりにくかった。
しかし私はこの「康新道」に行くのはどうしても嫌な予感がした。
事前に読んでいたガイドブックに、確か片側が切れ落ちた上級者向けのコースだと記載されていたのを思い出したからだ。
私は「康新道」への選択を強く反対し、ゆっくりでもいいから石に塗られたペンキを頼りに下ることを求めた。
しばらく下ると、避難小屋が見えた。
何の設備も無いただの小屋であったが、これまでの道のりが正しかったことが確認でき、ここで初めて安堵感を感じた。

20年くらい前だったであろうか。
我々が鳥海山のこの祓川へ下るルートを歩いたときから数年後だったと思う。
このルートを下った、中高年の夫婦が道に迷い、遭難して死亡した記事を新聞で読んだ。
このとき、身震いするほどぞっとした。
このルート、当時はわかりにくく、一歩間違えば我々も遭難していたかもしれなかったからだ。



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