器楽曲の中ではギター曲とピアノ曲をよく聴くが、30代の半ばまではギター曲の鑑賞が殆どであった。
この頃までにはギター曲の関連から、アルベニスやグラナドス、そしてモンポウといったスペインの作曲家の手によるピアノ曲は聴いていた。
しかしピアノ曲の素晴らしさに真に開眼させられたのはガブリエル・フォーレ(1845~1924)のピアノ曲を聴いてからである。
フォーレのピアノ曲を初めて聴いたのは「舟歌第1番」であるが、その後に聴いた13の夜想曲にのめりこんだ。
同じフランスの作曲家であるドビュッシーやラベルのピアノ曲は何度聴いても深く感じるものが得られなかったが、このフォーレの夜想曲は何度繰り返し聴いても深い感動を得られた。
作曲家と聴き手には相性があると思うが、フォーレの音楽と私の求めている音楽にはかなりの一致点、共有点がある。
「夜想曲」は全部で13曲あるが、そのうち第8番は、元々8曲からなる「小品集」の8曲目に収められていた曲であり、後になって夜想曲第8番として出版された。従ってこの第8番は本来の夜想曲ではない。
フォーレ自身の精神史的な歴史の流れからしてもこの第8番は別枠として聴くべきだ。
フォーレはこの夜想曲を30歳頃から書き始め、最後の第13番は死の3年前の1921年に作曲されている。
従ってこの「夜想曲」はフォーレが音楽を職業として作曲するようになってから、約半世紀近くに渡って作られたわけであり、フォーレの人生の変遷、とくに精神的な変化を時系列的に感じ取ることが出来る。
フォーレの作品は歌曲や室内楽など膨大かつ多岐に渡っているが、この夜想曲は外向きに作曲したとは思えない。
第6番までは演奏会での演奏を意識したかもしれない。しかし曲に野心的な雰囲気はない。
私はこの夜想曲は、演奏会で広く取り上げられることを念頭に作曲されたのではなく、フォーレ自身のために作曲されたのではないかと思っている。
その目的はフォーレ自身の内面の精神的、心理的開放である。
フォーレの夜想曲の中でとりわけ優れている曲は、私の主観になるが、第1番、第6番、第7番、第13番の4曲だ。
フォーレの夜想曲はコンサートなどで取り上げられることは皆無に近いが、13曲の中で比較的人気があるのは第4番である。
この第4番は親しみやすく優雅であり、甘美で変化に富んでいながらも激しい部分はなく、よくまとまった曲である。
サンソン・フランソワや、マルグリッド・ロンも確かこの曲を録音していた。
しかし私はこの第4番はあまり好きではない。
最も好きなのは第1番であるが、最も優れていると思うのが第6番、そして第13番、第7番と続く。
第13番は一般向けのコンサートでは取り上げられないであろう。
しかしあのホロヴィッツはこの曲を取り上げ、録音した。
特異な曲で普通の人は1回聴いて終わりだろうが、ホロヴィッツはこの曲を評価したと思う。
しかし後半部の激しい、凄まじい超絶技巧を要するフレーズが無ければ弾かなかったと思う。
第7番はフォーレの曲想がこれまでの傾向に対し変化していく境目にあたる曲だ。
第9番から暗さ、陰鬱さ、悲観的、時には狂気的な要素が曲に現れてくる。
これはフォーレが聴力を次第に失っていったためにそのような心境が曲に現れたと、見る向きもあるが、果たしてそれだけであろうか。
第7番は前半と後半とで曲想が全くと言っていいほど違うが、両者は別の音楽ととらえるのではなく、相互に密接に関連していると思われる。
ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第27番も第1楽章と第2楽章は全く曲想が異なるが、両楽章が揃って通しで演奏されることで、各楽章の求めるものが際立って聴こえてくるのと共通したものを感じる。
第7番の前半部は重々しい和音の連打で始まる。
この重々しい和音は、鉛色の陰鬱さ、荒涼とした景色や第13番にも通じる悲痛な気持ちを連想させる。
(※この続きは後日書きます)
この頃までにはギター曲の関連から、アルベニスやグラナドス、そしてモンポウといったスペインの作曲家の手によるピアノ曲は聴いていた。
しかしピアノ曲の素晴らしさに真に開眼させられたのはガブリエル・フォーレ(1845~1924)のピアノ曲を聴いてからである。
フォーレのピアノ曲を初めて聴いたのは「舟歌第1番」であるが、その後に聴いた13の夜想曲にのめりこんだ。
同じフランスの作曲家であるドビュッシーやラベルのピアノ曲は何度聴いても深く感じるものが得られなかったが、このフォーレの夜想曲は何度繰り返し聴いても深い感動を得られた。
作曲家と聴き手には相性があると思うが、フォーレの音楽と私の求めている音楽にはかなりの一致点、共有点がある。
「夜想曲」は全部で13曲あるが、そのうち第8番は、元々8曲からなる「小品集」の8曲目に収められていた曲であり、後になって夜想曲第8番として出版された。従ってこの第8番は本来の夜想曲ではない。
フォーレ自身の精神史的な歴史の流れからしてもこの第8番は別枠として聴くべきだ。
フォーレはこの夜想曲を30歳頃から書き始め、最後の第13番は死の3年前の1921年に作曲されている。
従ってこの「夜想曲」はフォーレが音楽を職業として作曲するようになってから、約半世紀近くに渡って作られたわけであり、フォーレの人生の変遷、とくに精神的な変化を時系列的に感じ取ることが出来る。
フォーレの作品は歌曲や室内楽など膨大かつ多岐に渡っているが、この夜想曲は外向きに作曲したとは思えない。
第6番までは演奏会での演奏を意識したかもしれない。しかし曲に野心的な雰囲気はない。
私はこの夜想曲は、演奏会で広く取り上げられることを念頭に作曲されたのではなく、フォーレ自身のために作曲されたのではないかと思っている。
その目的はフォーレ自身の内面の精神的、心理的開放である。
フォーレの夜想曲の中でとりわけ優れている曲は、私の主観になるが、第1番、第6番、第7番、第13番の4曲だ。
フォーレの夜想曲はコンサートなどで取り上げられることは皆無に近いが、13曲の中で比較的人気があるのは第4番である。
この第4番は親しみやすく優雅であり、甘美で変化に富んでいながらも激しい部分はなく、よくまとまった曲である。
サンソン・フランソワや、マルグリッド・ロンも確かこの曲を録音していた。
しかし私はこの第4番はあまり好きではない。
最も好きなのは第1番であるが、最も優れていると思うのが第6番、そして第13番、第7番と続く。
第13番は一般向けのコンサートでは取り上げられないであろう。
しかしあのホロヴィッツはこの曲を取り上げ、録音した。
特異な曲で普通の人は1回聴いて終わりだろうが、ホロヴィッツはこの曲を評価したと思う。
しかし後半部の激しい、凄まじい超絶技巧を要するフレーズが無ければ弾かなかったと思う。
第7番はフォーレの曲想がこれまでの傾向に対し変化していく境目にあたる曲だ。
第9番から暗さ、陰鬱さ、悲観的、時には狂気的な要素が曲に現れてくる。
これはフォーレが聴力を次第に失っていったためにそのような心境が曲に現れたと、見る向きもあるが、果たしてそれだけであろうか。
第7番は前半と後半とで曲想が全くと言っていいほど違うが、両者は別の音楽ととらえるのではなく、相互に密接に関連していると思われる。
ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第27番も第1楽章と第2楽章は全く曲想が異なるが、両楽章が揃って通しで演奏されることで、各楽章の求めるものが際立って聴こえてくるのと共通したものを感じる。
第7番の前半部は重々しい和音の連打で始まる。
この重々しい和音は、鉛色の陰鬱さ、荒涼とした景色や第13番にも通じる悲痛な気持ちを連想させる。
(※この続きは後日書きます)
下記録音で聴きました。
<https://www.youtube.com/watch?v=5hHSpGwPFTk>
<https://www.youtube.com/watch?v=j8Mh7qB7rTc>
<https://www.youtube.com/watch?v=xM2qtc3NnkE>
<https://www.youtube.com/watch?v=c3lbIbMFwdI>
最近トレモロ練習を始めた途端右親指の悪癖(局所性ジストニア?)があるようで最近はアルペジオも弾けなくなってしまいました。因みに左親指は問題なく左手は
練習したこともないのにトレモロが弾けるので不思議な気もします。残念ながら長期戦になりそうです。
フォーレの夜想曲、お聴き下さりありがとうございました。
右指の調子が悪いとのことですが、指をしばらく休ませた方が良いと思います。
右指が上手く動かない原因として、私の経験ですが、例えばiとmの交互は良く動くが、mとaの動きははるかに遅い、そのために動きのバランスがうまくとれていない、また各指に余計な力が入っていることが考えられます。
私の場合、ギターを弾かずに、右腕をだらんと垂らし、力を完全に抜き、手の甲や指にも力を入れない状態で、iとm、そしてmとaを交互に動かす練習をします。
最初はmとaの動きがぎこちなく、遅いことに気が付きます。
iとmの交互運動とのバランスをとるためには、mとaの交互運動を多めにすると、次第にmとaの交互運動もiとmの交互運動の速さに近づいてきます。
ここで注意しなければならないのは、完全に脱力した状態で、始めはゆっくりと行うことです。速く動くようになっても決して力は入れません。
これを暇な時に行うと良いと思います。
ギターを持たずに、弦を弾かないため、指にストレスを与えません。
Tommyさんの場合は、親指の動きで悩んでおられるので、この方法が有効かわかりません。
トレモロの場合、4本の右指(ip,i~a)を左指の同じ指の先にあてがって、トレモロの動きをする練習方法があります。
これも完全に脱力した状態で行います。
p→i→m→aの動きを均等にし、ゆっくり行うと良いと思います。
以上あくまでも参考ですが、お役に立てれば幸いです。