緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

立教大学マンドリンクラブ 和光公演を聴く

2017-08-06 01:10:28 | マンドリン合奏
今日(5日)、埼玉県和光市の和光市民文化センターで立教大学マンドリンクラブの和光公演があった。
立教大学マンドリンクラブの演奏を聴くのは4、5回になろうか。
関東地区の大学マンドリンクラブの中では中央大学に次いでハイレベルな大学だ。
この大学のカラーを改めて考えてみると、安定した高い技巧に支えられた、洗練された演奏と言える。
かつての私の母校のマンドリンクラブのように、感情やパワーを炸裂させるような激しさはないが、細かい部分をおろそかにぜず、端正で、曲の仕上がりの完成度が高い。リズムの取り方などもよく訓練されている。
今日の演奏会では、とりわけ1stマンドリン、ドラの音に芯のある美しい音を聴くことができた。

さて今日の演奏会のプログラムは下記のとおり。

第Ⅰ部

海の少女  作曲:服部正

Moon River  作曲:H.マンシーニ 編曲:小穴雄一 加筆:上田詩織

狂詩曲「海」  作曲:鈴木静一

第Ⅱ部

雲の行方(Phantasmal Overture vol.2)  作曲:柴崎利文

舞踊風組曲第二番  作曲:久保田孝

第Ⅰ部最初の曲「海の少女」は6月の中央大学の定期演奏会でも聴いた。
服部正(1908-2008)は、ラジオ体操第一の作曲者として有名であるが、学生時代にマンドリンクラブに所属していたことから、マンドリンオーケストラ作品も多い。
私は学生時代に「旅愁の主題による変奏曲」という曲を弾いたことがある。
「海の少女」はギターソロのあとの中間部の哀愁のある旋律がいい。
ドラの旋律の後に、フルートとマンドリンの旋律が重なる部分が美しかった。

2曲目の「Moon River」は誰でもが知っている有名な映画「ティファニーで朝食を」の主題曲。
日頃難しい曲ばかり聴いているので、このようなロマンを感じさせる曲を聴くのは久しぶりだ。
毎日、大半が仕事漬けの生活を過ごしている身からすると、この曲から連想される、非日常的な幸福感、長い人生にはそうあるものでは無い「生きることの喜び」を何かずっと遠い存在のように感じながらも、このようなひとときが毎日の生活に少しでもあればなあ、と思ってしまった。

第Ⅰ部最後の曲は鈴木静一の「狂詩曲 海」。
この曲は大学3年生の時の夏の演奏旅行(旭川)で弾いた思い出の曲だ。
この時の楽譜(ギターパート)が芥川也寸志の弦楽のためのトリプティークとともに紛失し、とても残念だ。
この曲は鈴木静一の初期の作品ながら人気曲で、学生時代の演奏以来、聴くのは30数年ぶりだ。
学生時代はギターパート中心にしかこの曲が聴こえていなかったが、今日改めてこの曲を聴き手として聴いてみると、こんな曲だったのか、と改めて新鮮な気持ちを感じた。
冒頭は夏の明るい陽射しを受け、ゆったりとした波の印象を歌ったものと思う。
その後、一変して、暗い、寂しい曲想に移る。
この寂しい旋律の後、速度を速め、あの印象的なリズミカルな音楽が流れる。
この鈴木静一特有の低音パートは30数年経過しても忘れていない。
ギターパートの運指も恐らく憶えているだろう。
1stマンドリンのソロの後、また鈴木静一特有の日本の郷愁を感じさせる素晴らしい旋律が流れる。
「雪の造型」の終楽章のある部分を彷彿させる。
その後、またこの曲の最も印象的な激しいリズミカルな音楽が再現され、一気に曲を終える。
今日の立教大学の演奏は、音の外れ、乱れなどが無く、完成度の高い演奏だった。

休憩のあと、第Ⅱ部に入る。
第1曲目、雲の行方(Phantasmal Overture vol.2)は恐らく初めて聴く。
冒頭の感傷的な旋律、和声進行は、若い世代の感性を感じるし印象的だ。
リズミの刻みも激しく、情熱的だ。なかなか力のある曲。構成力があり、高い技巧を要する難易度の高い曲だ。
昨今の若い世代の軽い曲とは一線を画す曲に感じた。ギターパートの使い方も上手い。
中間部は、難しいリズムの刻みの連続。
よほど時間をかけて練習を積み重ねないと完成できないほどの難しさ。
立教大学はよくここまで仕上げたと思う。
曲の変化が目まぐるしい。1stマンドリンの力のある旋律がよく他パートを牽引している。
長い中間部が終ると、冒頭の感傷的な旋律を1stマンドリンとギターのソロで再現し、全パートに引き継がれる。
最後の1stマンドリンの力強い、芯のあるトレモロに驚くとともに感動を覚えた。

第Ⅱ部最後の曲は久保田孝の「舞踊風組曲第二番」は1990年代半ば頃に買った、久保田孝氏が率いるマンドリンオーケストラの演奏CDで初めて聴いた。
久保田孝の曲の中では一番人気の曲で、マンドリンオーケストラの演奏会でかなり取り上げられている。
中間部の幻想的な美しい音楽は、他のマンドリンオーケストラ曲には無い、独特のものがある。
若い世代に受け入れられやすい音楽であろう。
後半部は速度の速い、リズムの刻みの難しい曲に移る。
ここでパーカッションが加わるが、立教大学の演奏はパーカッションと他パートとの音のバランスをよく考えた演奏だった。パーカッションを強くしてしまうと聴き苦しくなる。
終結部は、冒頭と後半部のフレーズを織り交ぜ、クライマックスを迎える。
柴崎利文の「雲の行方」に比べれば構成力は今一つであるが、親しみやすいエンターテイメント性を感じさせるところが人気のある理由だと思う。

今日の演奏会はプログラミングが成功したと思う。バランスがとてもいい。
力のあるマンドリンオーケストラ曲へのこだわりが感じられる選曲だ。
安易さや、聴衆への迎合により、親しみやすい曲ばかり選曲すると、マンドリン音楽の本当の魅力を感じることは出来ない。
鈴木静一、藤掛廣幸、熊谷賢一、帰山栄治などの世代の曲は既にマンドリンオーケストラ界では現代の古典曲のような位置付けとなり、演奏される機会が昔に比べかなり減少したが、これらの作曲家の後を引き継ぐ世代の作曲家の曲に聴くべきものは正直言って無い。
しかし今日、立教大学の演奏で聴いた柴崎利文の曲は新たな発見であった。
いかにも現代の世代の作風であるが、曲の構成力が大きく厚みがあり、力強い。
他の曲も聴いてみたい。

立教大学の今日の演奏は、音の間違い、乱れが殆どなかった。
ハイポジション、難しいパッセージでの音の間違いはかなり目立ち、時にそれが曲を台無しにすることすらある。
一見地味な演奏に聴こえたが、思い返すと豊富な熱心な練習量に支えられた、マニアックな演奏で細かいところも妥協を許さない厳しさを感じさせた。
欲を言えば、腹の底から湧き起るエネルギーを感じさせて欲しいとも思ったが、大学のカラーはそれぞれ異なっており、その違いを楽しみのもいいと思った。

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