今日は在宅勤務で早出だったので仕事は15:30で終わった。
コロナの影響で約2年ぶりで開催された社会人マンドリンクラブの定期演奏会が昨日終わった。
開催場所が自宅からかなり離れていたこともり、前日の夜は会場近くのビジネスホテルに泊まって睡眠時間を稼ごうとしたが、予期せぬ出来事によりそのもくろみは外れた。
ホテルでくつろいでいた夜7時過ぎであろうか、大学生くらいの若者の大声、それは酒に酔って出す類の馬鹿でかい不愉快な大声であったが、断続的に聴こえてきた。
その大声はホテルの向かいの居酒屋などが入る雑居ビルの方から聴こえてきたので、窓を全開にした居酒屋の酔客が叫んでいるのかと思ったが、それにしても室内から漏れてくる声にしては大きすぎた。恐らく野外での宴会に違いない。
それでももうしばらくしたら、遅くても9時くらいまでには奴らもいなくなるだろうと考えていた。
夜9時半過ぎに寝床に入ってちょっと本を読んでいたら眠くなってきたので、照明を消して寝ることにしたが、さっきの奴らの大声は鳴りやまなかった。
それでも練習で疲れていたせいかすぐに眠りについたが、何度か大声で目を覚まされた。
そしてその大声の中に女の声が混じるようになっていた。人数も増えているようだった。
うるさい不愉快な大声が他の生活音から際立ってそれだけ切り取られたようにビルの壁に反射してこだまのように響いていた。
そしてその宴会は10時頃終るどころか延々と続けられたのだ。朝方の4時頃であっただろうか。女のやけに大きな歌声が聴こえてきたのだ。
それでまた目が覚めたが、まどろみのなかで「うん?、結構歌上手いじゃないか」なんて感心していたら、拍手なんかが聴こえてきて結局奴らの宴会が終ったのが4時半だった。しかし数名の残党がしぶとく居残り声を上げ続けていた。
結局静かになったのは5時すぎだったか。そのギャップに驚いた。繁華街なのに夜は静かだったのだ。
この連中の大声がなかったらどれだけ熟睡できただろう。
というわけで、もくろんでいた9時間睡眠は実質4.5時間くらいにしかならなかった。
前置きが長くなったが、今回の演奏会の振り返りを自分なりにしてみたい。
総じては自分としては今回の演奏会は概ね満足出来たのではないかと思ってる。
ただ1か所弾き損じたところが心残りだった。
リハーサルでは、普段の練習と異なる環境、他パートの響きが時間差で聴こえてくるような感覚にとまどい、極度の緊張もあって、音を外したり、テンポがずれる、普段弾ける箇所が弾けないなどの状態に陥ってしまった。
5月に開催された中規模演奏会のリハーサルでも同じような経験をした。
でも後から考えればリハーサルではとことん失敗した方がいいと思う。
何故かというと、本番ではこれ以上失敗することはないだろう、というなにか根拠のない開き直りのような安心感が出てくるからだ。
同時に失敗したフレーズや箇所は本番直前まで、全神経を集中させて控室で練習や運指の再確認をする、ということをやった。
今回リハサーサルでテンポが大きくずれてしまったのは、2部1曲目の終楽章の前半に出てくる難所のフレーズ。
普段はマンドリンの刻みに合わせてテンポを取っていたが、会場ではよく聞こえてこなかった。
「さずがにこれはまずいな」と思って、本番までの時間内に何度も弾き直してテンポと指の感触を確認した。
これをやったおかげか分からないが、本番ではテンポは正確に刻めたと思う。
あと感じたのは、練習で不安定な箇所、それは技巧であったり、入り方であったり、テンポ、リズムであったりいろいろあると思うが、そういうところは本番でミスが再現される確率が練習時よりも跳ね上がるということだ。不安は的中するという感じ。
本番でミスしなかったとしたら幸運だったという他ない。
だからこういう不安材料を残す箇所は徹底的に練習を繰り返し、成功率を上げなければならないと思った。
でも今回の演奏会は本番で演奏している最中に、演奏者でありながら曲に「感動」するという、今までに無い体験も味わった。
Ⅰ部の演奏だったのだが、指揮者の表情と伝わってくるエネルギー(こういうのを波動というのかな)を直に触れて、練習では全く湧き起ってこなかった感情が上がってきて、自分でも演奏中に驚いたことだった。
こういうこともあってか、Ⅰ部の曲は練習以上の演奏が出来た、という感触があった。
演奏者たちが、何か目に見えないエネルギーの磁場のような空間に包まれて互いに共鳴し、予想もしないような演奏が生まれる、まさに無心の境地での演奏といったものをいつか体験したいと思っているが、今回の本番の指揮はその雰囲気を引き出そうとしたものであったと感じた。
Ⅱ部の曲のうち、また今回の演奏曲目の中では、所属する団体の音楽監督兼指揮者が自ら作曲した曲に最も思い入れをもって練習してきた。1番練習した曲だ。
この曲は最初は分かりにくいというイメージしかなかったのだが、だんだんと練習を重ねるうちに惹き込まれていった。
この曲の背景を理解しようと関連する書籍を読んだり、現地にも行ってみた。
難所は終楽章の次のフレーズ(先述のリハーサルで上手くいかなかった所)。
簡単そうに見えるが複数弦にまたがる所は何度練習しても100%ミス無く弾けるところまでいけなかった。
運指はこの運指がベストだと思ったから変えなかった。
この部分は自分で言うのもなんだけど本当に練習したと思う。本番の直前の最後まで弾いていた。
次の部分が凄いのである。ここでヴォルテージは最高潮に達する。
強いエネルギーが体内の底から湧き上がってくるという感じだ。だから弾いていると凄い汗が出てくる。
曲の持つ根源的な力を感じさせる。
この曲の1楽章で1か所音が半音ずれてしまったことが心残りだ。たくさん練習していただけに残念だった。
それでも全体的には満足のいく結果だったと思う(あくまでも自分自身での演奏の評価ですが)。
演奏終了後は有志による反省会に参加。結構遅くまでやってが終バスが無くなっていたので、タクシー代4,100円かかった(自宅は辺鄙なところだからな)。
反省会は楽しかったが、後半になると会話するのも疲れてしまっていた。
非常識な奴らのせいによる寝不足や心残りのミスも何か自分として残念だったという後悔の念が残っていたからかもしれない。
反省会で自分の母校マンドリンクラブのOB・OGが結構いる団体から入部を誘われたが、どうしようかと思う。
団体を掛け持ちでやっている方がたくさんいるのだ。
それだけこのジャンルははまるとのめり込むほどの魅力ある音楽に満ちているということか。
確かにそんな気がする。
掛け持ちはちょっと考えてみることにしよう。
社会人マンドリンオーケストの世界に入って3年になるが、そのことで自分は大きく変わってきたと思う。
団体のメンバーとの交流により自分の閉ざされた心が徐々に開放されていくのを感じ、そのことに対し感謝に堪えない。
この世界の人たちともっと交流を持ちたいし、心底好きな音楽を共有するときの感動をメンバーと味わう、という今までの自分の社会人になってからの人生で得られなかった体験を遅ればせながらではあるがこれから積み重ねていきたいと思うのである。
コロナの影響で約2年ぶりで開催された社会人マンドリンクラブの定期演奏会が昨日終わった。
開催場所が自宅からかなり離れていたこともり、前日の夜は会場近くのビジネスホテルに泊まって睡眠時間を稼ごうとしたが、予期せぬ出来事によりそのもくろみは外れた。
ホテルでくつろいでいた夜7時過ぎであろうか、大学生くらいの若者の大声、それは酒に酔って出す類の馬鹿でかい不愉快な大声であったが、断続的に聴こえてきた。
その大声はホテルの向かいの居酒屋などが入る雑居ビルの方から聴こえてきたので、窓を全開にした居酒屋の酔客が叫んでいるのかと思ったが、それにしても室内から漏れてくる声にしては大きすぎた。恐らく野外での宴会に違いない。
それでももうしばらくしたら、遅くても9時くらいまでには奴らもいなくなるだろうと考えていた。
夜9時半過ぎに寝床に入ってちょっと本を読んでいたら眠くなってきたので、照明を消して寝ることにしたが、さっきの奴らの大声は鳴りやまなかった。
それでも練習で疲れていたせいかすぐに眠りについたが、何度か大声で目を覚まされた。
そしてその大声の中に女の声が混じるようになっていた。人数も増えているようだった。
うるさい不愉快な大声が他の生活音から際立ってそれだけ切り取られたようにビルの壁に反射してこだまのように響いていた。
そしてその宴会は10時頃終るどころか延々と続けられたのだ。朝方の4時頃であっただろうか。女のやけに大きな歌声が聴こえてきたのだ。
それでまた目が覚めたが、まどろみのなかで「うん?、結構歌上手いじゃないか」なんて感心していたら、拍手なんかが聴こえてきて結局奴らの宴会が終ったのが4時半だった。しかし数名の残党がしぶとく居残り声を上げ続けていた。
結局静かになったのは5時すぎだったか。そのギャップに驚いた。繁華街なのに夜は静かだったのだ。
この連中の大声がなかったらどれだけ熟睡できただろう。
というわけで、もくろんでいた9時間睡眠は実質4.5時間くらいにしかならなかった。
前置きが長くなったが、今回の演奏会の振り返りを自分なりにしてみたい。
総じては自分としては今回の演奏会は概ね満足出来たのではないかと思ってる。
ただ1か所弾き損じたところが心残りだった。
リハーサルでは、普段の練習と異なる環境、他パートの響きが時間差で聴こえてくるような感覚にとまどい、極度の緊張もあって、音を外したり、テンポがずれる、普段弾ける箇所が弾けないなどの状態に陥ってしまった。
5月に開催された中規模演奏会のリハーサルでも同じような経験をした。
でも後から考えればリハーサルではとことん失敗した方がいいと思う。
何故かというと、本番ではこれ以上失敗することはないだろう、というなにか根拠のない開き直りのような安心感が出てくるからだ。
同時に失敗したフレーズや箇所は本番直前まで、全神経を集中させて控室で練習や運指の再確認をする、ということをやった。
今回リハサーサルでテンポが大きくずれてしまったのは、2部1曲目の終楽章の前半に出てくる難所のフレーズ。
普段はマンドリンの刻みに合わせてテンポを取っていたが、会場ではよく聞こえてこなかった。
「さずがにこれはまずいな」と思って、本番までの時間内に何度も弾き直してテンポと指の感触を確認した。
これをやったおかげか分からないが、本番ではテンポは正確に刻めたと思う。
あと感じたのは、練習で不安定な箇所、それは技巧であったり、入り方であったり、テンポ、リズムであったりいろいろあると思うが、そういうところは本番でミスが再現される確率が練習時よりも跳ね上がるということだ。不安は的中するという感じ。
本番でミスしなかったとしたら幸運だったという他ない。
だからこういう不安材料を残す箇所は徹底的に練習を繰り返し、成功率を上げなければならないと思った。
でも今回の演奏会は本番で演奏している最中に、演奏者でありながら曲に「感動」するという、今までに無い体験も味わった。
Ⅰ部の演奏だったのだが、指揮者の表情と伝わってくるエネルギー(こういうのを波動というのかな)を直に触れて、練習では全く湧き起ってこなかった感情が上がってきて、自分でも演奏中に驚いたことだった。
こういうこともあってか、Ⅰ部の曲は練習以上の演奏が出来た、という感触があった。
演奏者たちが、何か目に見えないエネルギーの磁場のような空間に包まれて互いに共鳴し、予想もしないような演奏が生まれる、まさに無心の境地での演奏といったものをいつか体験したいと思っているが、今回の本番の指揮はその雰囲気を引き出そうとしたものであったと感じた。
Ⅱ部の曲のうち、また今回の演奏曲目の中では、所属する団体の音楽監督兼指揮者が自ら作曲した曲に最も思い入れをもって練習してきた。1番練習した曲だ。
この曲は最初は分かりにくいというイメージしかなかったのだが、だんだんと練習を重ねるうちに惹き込まれていった。
この曲の背景を理解しようと関連する書籍を読んだり、現地にも行ってみた。
難所は終楽章の次のフレーズ(先述のリハーサルで上手くいかなかった所)。
簡単そうに見えるが複数弦にまたがる所は何度練習しても100%ミス無く弾けるところまでいけなかった。
運指はこの運指がベストだと思ったから変えなかった。
この部分は自分で言うのもなんだけど本当に練習したと思う。本番の直前の最後まで弾いていた。
次の部分が凄いのである。ここでヴォルテージは最高潮に達する。
強いエネルギーが体内の底から湧き上がってくるという感じだ。だから弾いていると凄い汗が出てくる。
曲の持つ根源的な力を感じさせる。
この曲の1楽章で1か所音が半音ずれてしまったことが心残りだ。たくさん練習していただけに残念だった。
それでも全体的には満足のいく結果だったと思う(あくまでも自分自身での演奏の評価ですが)。
演奏終了後は有志による反省会に参加。結構遅くまでやってが終バスが無くなっていたので、タクシー代4,100円かかった(自宅は辺鄙なところだからな)。
反省会は楽しかったが、後半になると会話するのも疲れてしまっていた。
非常識な奴らのせいによる寝不足や心残りのミスも何か自分として残念だったという後悔の念が残っていたからかもしれない。
反省会で自分の母校マンドリンクラブのOB・OGが結構いる団体から入部を誘われたが、どうしようかと思う。
団体を掛け持ちでやっている方がたくさんいるのだ。
それだけこのジャンルははまるとのめり込むほどの魅力ある音楽に満ちているということか。
確かにそんな気がする。
掛け持ちはちょっと考えてみることにしよう。
社会人マンドリンオーケストの世界に入って3年になるが、そのことで自分は大きく変わってきたと思う。
団体のメンバーとの交流により自分の閉ざされた心が徐々に開放されていくのを感じ、そのことに対し感謝に堪えない。
この世界の人たちともっと交流を持ちたいし、心底好きな音楽を共有するときの感動をメンバーと味わう、という今までの自分の社会人になってからの人生で得られなかった体験を遅ればせながらではあるがこれから積み重ねていきたいと思うのである。