緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

静かな夜に(17)-合唱曲「太陽と海と季節が」-

2020-06-12 21:21:54 | 合唱
いい合唱曲を見つけた。
作曲:森山 至貴・詩:高野 民雄、混声合唱組曲「太陽と海と季節が」。
組曲の中で「海の記憶」と「林の中を風と歩く」を聴いた。

混声合唱組曲「太陽と海と季節が」より 海の記憶/曲:森山 至貴・詩:高野 民雄 CHMS-G002


「海」と言えば、よく行ったのが北海道の日本海。
古潭、望来、銭函、張碓、朝里、塩谷、余市(忍路)、積丹、雷電、弁慶岬、瀬棚など。
独特の潮のにおい。
海鳥の鳴き声。
想い出にあるのは中学時代、新聞配達の休刊日の8月のお盆の時に、販売店の人たちとバスに乗って積丹に行った時だ。
深みにはまっておぼれそうになり、必死になってこんぶをつかんだけど、それが切れてしまって、でもなんとか助かって。
水中めがねを深みに落としてしまって、中学の同級生で一番の親友だったやつが潜って探してくれたけど結局見つからなかった。
その親友がくらげに刺されてその日に近くの病院の入院してしまった。
浜辺で大きなテントを張って、ジンギスカンを鉄兜の上で焼いて、海辺で取ったサワガニを生きたまま鉄兜に放り込んで焼いて食べたけど、最高に上手かったな。
翌日戻ってからすぐ夕刊の配達だった。
泳げないけど、海辺でボーっとして、海の波を見ていたり、潮のにおいや海鳥の鳴き声を聞いているのが好きだ。
ジンギスカンやったり、ビールを飲むのもいい。
あと日本海って夕陽がとても美しいのだ。
昔、積丹半島左側の盃温泉というところに行ったときに出会った、日本海に沈む夕日は本当に美しかった。
あと日本海の海岸って岩場が多い。
知られるようになる前の積丹岬の絶景は、本当は人に教えてはいけなかったのだ。

今度行くとしたら、秋田の象潟(一度訪れたことがある)とか、山陰地方の日本海かな。
有名な観光地に行くより、こういう寂れた素朴で静かなところに行って、のんびりと滞在してみたい。

混声合唱組曲「太陽と海と季節が」より 林の中を風と歩く/曲:森山 至貴・詩:高野 民雄 CHMS-G002


林というと、中学2年生になったばかりの頃を思い出す。
さっき海のところで書いた新聞配達の友達から「福寿草と取りに行かないか」と誘われた記憶が蘇ってくる。
これが彼と友達になったきっかけだった。
大学に時代に今私が乗っているのと同じスズキに軽四輪駆動車(SJ30)を乗り回していた。
私の実家の裏に、低い山というのか、一応、原始林という名前のついた広大の林があって、今はゴルフ場などでだいぶ開発されてしまったのだが、当時は藁ぶき屋根の古い民家の廃屋が点在していたり、牧場もいくつかあり、手つかずの自然が残っていた。
その中でも原始林と呼ばれていた林、それは針葉樹林がたくさん生えていた広大な林であったが、友達とその中に入って福寿草を探したのだが、結局見つからなかった。
だけど針葉樹林の林の中って、地面に草が生い茂っていないので、すごくきれいなのだ。
季節が春になったばかりだったかもしれないけど、針葉樹林の中が意外にもすっきりしていて歩きやすかったのは驚きだった。
その原始林にはそれかも何回か行ったが、ぐみの実を取りに行こうということで林に分け入り、野ぶどうに出くわし、その野ぶどうを食べたものだった。
黒くて小さな実で、結構甘くて。
楽しかった中学時代の想い出だ。

もう長い間、林の中を歩くようなことはしていない。
でも林の中を歩いてみたいという気持ちは強い。
緑色の木漏れ陽が見えるような林。
空気がさわやかで、人が殆どいなくて、小鳥の鳴き声が静かにこだまするような林だ。
昔小型四輪駆動車で林道に行ったとき、そのような雰囲気を持つ林があったような気がする。

なんか自然って人の気持ちをリセットして、本来の人間の魂に戻してくれるような気がする。
殺風景な都会の雑踏の中で、競争心にあおられギスギスとした気持ちで過ごしてばかりいると、人間らしい感情が失われていくのではないか。
そういう環境でいくら贅沢な暮らしや刺激的な経験をしても、恐らく虚しさだけが残るような気がする。
もちろん、そのような環境で精いっぱい苦悩しながら現実を生きていくことも貴重な体験であることを否定するものではないけれど。
人間って絶対自然が必要だ。それも素朴な自然。
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