緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

母校マンドリンクラブ第50回定期演奏会を聴く(前編)

2018-11-25 22:03:13 | マンドリン合奏
9月上旬に発生した北海道地震の後、父が体調を崩し入院、また体の不自由な母の介護をしてきた兄がこの連休中不在となるため、私が代役として故郷の北海道にほんの短い間であるが一時帰省した。
格安航空券を利用して成田を出発し、千歳空港に降り立った時、気温はマイナス1.7℃であった。
また雪が積もっており、関東との気候とのギャップを大きく感じたが、何故かこの寒さが自分をほっとさせるのには不思議な感じがした。
この寒さは関東の寒さとは異質だ。
関東の寒さは嫌いだ。骨身に染みる冷たい寒さだ。
故郷の寒さを久しぶりに感じてみると、この寒さが自分に心地よいのが分かってくる(自分はホッキョククマか?)。

実家に着くとすぐに病院へ向かう。
衰弱した父を見るのは忍びなかった。1日も早く回復することを祈る。
翌日の24日は偶然にも、母校のマンドリンクラブの定期演奏会だった。
母の面倒も見なければならないのであるが、せっかく来たんだから聴きに行ってきたらと言われた。
正直、母校の演奏を聴きたかった。

母校の定期演奏会を聴くのは3回目だ。
OBになってすぐの1986年に聴いた時は熊谷賢一の「バラードⅥ 河の詩」がメイン曲だった。
そしてそれから30年経過し、2015年11月に聴きに行った。
この時のメイン曲は藤掛廣幸の「星空のコンチェルト」だった。
今年は50周年ということで、記念演奏会に出演するという貴重な体験をさせてもらった。
遠方なので練習を毎回出席というわけにはいかなかったが、事前練習は3回参加、100%の出来ではなかったが、自分としては悔いのない演奏が出来た。
同期の連中とも30数年振りに再会し、演奏だけにとどまらぬ感動を得た。本当に感謝に堪えない。

昨日は午前中、入院している父を見舞い、昼過ぎに母校のある地方都市に着いた。
開演まで約2時間。
駅周辺を少し歩いてみることにした。
学生時代、この町の住人だった。
学生時代はややさびれていた。しかし落ち着いた風情のある町だった。昔はにしん漁で栄えた商業の町だった。
私はこの町が好きだった。思い出のある町だった。
しかし卒業後、バブルの時にテレビで紹介されてから一変した。
本州から資本がなだれこみ、昔の風情が失われた。嫌な町になった。
それからこの町に行くことは殆どなくなった。

それでも昨日この町の駅を降り立った時は、雪のせいであろうか、30数年前の昔の風情をかすかに感じ取った。
坂の多い町で、歩道は溶けた雪が凍結し、すべって2度もころんだ。
駅近くのアーケード街を歩いてみた。
このアーケード街近くの飲み屋でよくコンパが行われた。
「ヨシヤ」という古い衣料品店がしぶとく生き残っていた。
この「ヨシヤ」で学生時代、演奏会で着る黒ズボンを買ったのを思い出した。
格安だった。貧乏学生でも買える値段(1500円くらいだったか)だったと思う。
今でもその場面ははっきり覚えている。
このアーケード街を歩いていると、次々に懐かしい店の名前が目に入ってきた。
学生時代の時の記憶が蘇ってきた。
「オランジュ」という喫茶店が記憶に蘇った。
アーケードから脇に入った所にある小さな喫茶店だった。
学生時代、弟子と行った喫茶店だ。
たった1回だけだったがその時のことはよく覚えている。
今でも思うのだが、何故もっと弟子の面倒を見なかったのだろうと。
卒業してもずっと折にふれ、そういう思いが湧き起ってくることがあった。
このオランジュには弟子と私の同期の女性と3人で言った。
弟子と同期は今どうしているのであろう。もう再会することはかなわないのであろうか。

アーケード街を登っていくと、館というケーキ屋の先に「ウーシャン」という店内は小汚いが、腹いっぱい食べさせてくれる中華料理屋があるのを思い出した。
ボーリング場の手前だったはずだ。
中華丼がめちゃくちゃおいしかった記憶がある。
そこで昼飯を食べようと思って向かったが、その店は見当たらなかった。
少し落胆したが、引き返すことにした。
今度は下り坂だ。
滑ってころばないように神経を集中させて歩く。
途中でマンドリンクラブの飲み会で定番だった「三川屋」という古い飲み屋を通り過ぎた。
定期演奏会の打ち上げの一次会や新歓コンパはいつもこの店だった。
定期演奏会の打ち上げはいつも2次会、3次会とはしごし、24時間営業の駅前の喫茶店、何と言ったっけ、エンゼル?、そこで夜を明かすのが定番だった。
この喫茶店に来る頃には酔いつぶれて、胃の中はからっぽという状態が常だった。
この喫茶店でいつだったか、私の後輩の一人がもっと親身に指導して欲しかったと、辛い心境を先輩に訴え、先輩が心を痛めていたことがあったのを思い出した。
私も学生時代にやり残したことは多々ある。
今思えばもっともっとこうしておけばよかったと思うことが今になっていくつも心に昇ってくる。
30年以上たって、母校の演奏会に足を運ぶのはもしかすると、この気持ちが潜在的に動かしているのかもしれない。
もしかすると昔の弟子、先輩、後輩、同期に出会って、かつて出来なかったことを再現させたいと思っているのか。

あまりぶらぶらしても時間がもったいないので、駅近くの「桂苑」という中華料理屋に入った。
ここは学生時代に1回だけ入って食べた記憶がある。
チキンライスを注文したが、量は少なかった。
昔この店を出たあと青色のスポーツバックを買ったことを思い出した。
確か980円だったはずだ。
この近くに「まるた」という安い焼き鳥屋があったはずだが、見当たらなかった。
廃業したのか。
ここには学生時代よく行った。雀の焼き鳥も食べた。
それから「ジーパン」というカクテルを出す店を思い出した。
「ドラキュラ」というトマトジュース割や、カツゲン割などを面白がって飲んだ。
そういえばここで、「オイルサーディン」というものを、「何だろう」と先輩と言いながら、食べてみようといって注文したことを思い出した。
今でもやっているのか。


昼飯を食べてもまだ時間があったので、駅前の長崎屋に入ることにした。
この長崎屋もしぶとく生き残っていた。
確かここで学生時代、バーゲンセールで売っていた半袖のポロシャツと冬物のセーターを買った記憶がある。
このポロシャツとセーターのデザインは今でも覚えている。
何せ学生時代の買った洋服などわずかしか無かったからだ。
それと確かここで、演奏会に着る衣装の赤いネクタイも買った。
この赤いネクタイが4年生の時の夏の演奏旅行の前日に探しても見当たらなく大騒ぎになり、演奏旅行に行けなくなった後輩に夜遅くに電話し、翌日の朝、それは演奏旅行の出発当日であったが、早くに家に行くから貸して欲しいと言って、朝4時くらいに兄の車でこの後輩の家まで行ったことがあった。

(続く。次回は演奏会の模様を紹介します)
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