緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

今年の抱負2018(4)

2018-01-27 21:49:14 | 音楽一般
(前回からの続き)

3.ピアノ

昨年の6月、千葉県の住宅街にある小さなホールで「太田キシュ道子 ピアノリサイタル」が行われた。
数十人しか入れない小さなホールであったが、近くで聴くピアノの音はとても美しかった。
ピアノの音を、しかもとても美しい音で間近に聴く体験は初めてであった。
太田キシュ道子氏はドイツ在住で、日本に帰省した一時期にコンサート開いていた。
小さなホールであったがプログラムは本格的な内容。
ショパン、ブラームス、リスト編曲のシューベルトの歌曲などが演奏された。普通、小さなホールで、素人相手の演奏会ならばもっと親しみやすい曲を選ぶであろうが、ピアノ愛好家が生演奏で聴きたがるような曲を選んでいるのは感心だし、誠実だと思う。

今のピアニストでなかなか聴けない、力づよい芯のあるタッチ、ピアノを十分に鳴らす弾き方。
このコンサートで演奏された「美しき水車小屋の娘」D.795より「水の上で歌う(Auf dem Wasser zu singen)」は、マリヤ・グリンベルクの1976年のライブ録音での演奏で何度も聴いていたが、 太田キシュ道子氏の演奏はまた違った解釈を聴かせてくれた。
しかしいい曲だ。名曲。リストの編曲は随所に不協和音が混じるが、上手く自然に弾かないと違和感を感じてしまう。とても難しい曲。凄く感情を刺激される曲。

コンサート会場のロビーで買った太田キシュ道子のCD。
武満徹やショスタコーヴィチなどの現代の曲もあったが、私はモーツァルトのピアノソナタKV310とJ.S.バッハ、ブゾーニ編曲Choralbearbeitung - Nun komm der Heiden Heiland g-moll BWV 659 が良かった。
モーツァルトのピアノソナタはペルルミュテールやリリー・クラウスの全曲演奏の録音で聴いていたが、モーツァルトの曲はあまり相性が良くないのか、聴いても心に入って来なかった。
しかし太田キシュ道子氏の演奏でこの曲の良さが分かった。ピアノソナタの中でもこの曲は簡素であっても完成度が高い。モーツァルトの良さが凝縮されている。
モーツァルトのピアノソナタで何がいい、と聞かれたら間違いなくこの曲を答えると思う。

太田キシュ道子氏の演奏をなかなか見つけることはできないが、Youtubeでシューマンの交響的練習曲(Sinfonische Etüden Op.13)のライブ演奏を聴くことができる。
殆ど破綻のない力演。ピアノの音の重厚さ、力強さ、ダイナミックスであると同時に繊細な表現が聴ける。



昨年出会ったピアニストで2人目は、アレックス・ワイセンベルク。
テクニックだけのピアニストと見られてきたようであるが(以前の私もそう思っていた)、昨年ブラームス作曲「間奏曲イ長調 Op.118-2(Intermezzo A Major, Op118 No.2)」の演奏を聴いたのをきかっけに、彼の演奏のいくつかを聴いた。
バッハの組曲パルティータが聴きものだが、まずはベートーヴェンのピアノソナタ第8番「悲愴」の演奏に惹かれた。
テンポを決して遅くしない。くどい弾き方をしない。例えば次のような箇所。
ここを遅く意図的にくどく弾かれると辟易する。



彼の演奏はアファナシエフのような弾き方と対照的だ。
速いからテクニックを誇張していると見る方がいるが間違いだと思う。
少なくとも私にはそのように感じられない。
そのような意図が全く感じられない。
ただ、彼の音楽的技量を本当に評価できるようになるまでにはしばらく時間がかかると思う。
あと5年、10年経って、彼の演奏を聴いてどう感じるか。
本当に音楽的に優れた奏者であったのか。
ワイセンベルクの評価って本当に難しい。

さて今年の抱負であるが、ピアノ曲をどう鑑賞していくか未だ決めていない。
別に目標をたてて聴くものでもないし、仕事や勉強の計画とは違うのだから、昨年の太田キシュ道子のように偶然にいい鑑賞体験を得られるような、気ままな楽しみ方をしてみようと思う。
その中でも、私の好きなベートーヴェンのピアノソナタは継続して、マリヤ・グリンベルクの演奏を基軸として、曲の理解を深めること共に、新たな名演の発掘もしていきたい。
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