緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

宍戸睦郎作曲 合唱組曲「奥鬼怒伝承」を聴く

2013-10-20 18:59:15 | 合唱
こんにちは。
今日は1日中どしゃぶりの雨で寒い1日です。この秋初めて暖房を入れました。
外は雨降りなので今日は家の中でゆっくりと音楽鑑賞でくつろぐことにしました。
今日たまたま宍戸睦郎のCDが目に付き聴いてみました。
宍戸睦郎氏(1929~2007)は北海道出身で、フランスのパリ国立音楽院に留学し、作曲家のアンドレ・ジョリヴェに個人指導を受けたといわれる作曲家です。代表作に「交響曲」や「ピアノ協奏曲第Ⅰ番、第Ⅱ番」、器楽曲に「ピアノのためのトッカータ」や「ギターのためのプレリュードとトッカータ」があります。
宍戸氏自身の言によれば、ベートーヴェンの音楽を敬愛し、最も強く影響を受けているとのことだ。
私が宍戸睦郎の曲を初めて聴いたのは、確か1990年ごろだったと思いますが、ギタリストの中峰秀雄氏が出したアルバム「祈り」の中で収録されていた先の「ギターのためのプレリュードとトッカータ」に出会った時です。





その後10年くらいたってこの「ギターのためのプレリュードとトッカータ」が東京国際ギターコンクールの本選課題曲に採用されたのですが、会場で聴いてその独特な日本的情緒溢れるこの曲を改めて聴いて大いに感動し、すぐに楽譜を買って弾きました。
この曲は5年くらい前にも東京国際ギターコンクールの本選課題曲の選ばれていましたね。審査委員長の野田暉行氏が講評で、この曲のことをギターの名曲だと高く評価していたのが思い出されます。
この曲はピアニストの宮沢明子(めいこ)氏が宍戸睦郎に依頼して書かれた「ピアノのためのトッカータ」という曲をギタリストの小原聖子氏が聴いて、ギターでもこのような曲を作って欲しいと頼んだことが作曲のきっかけだと言われています。
この「ピアノのためのトッカータ」が入ったCDが確かあったはずなのですが、どこかへしまいこんでしまい出てきません。整理整頓が出来ないので聴きたいときに望むCDが出てこず、長時間探すはめになってしまいには聴く気持ちが失せてしまうことが多々あります。これに懲りて整理整頓を心がければいいのですが、しないので困ったものです。
宍戸睦郎氏の録音は驚くほど少なく、今手に入るのはフォンテックから出ている「宍戸睦郎 作品集」くらいだと思います。



今日このCDに収録されている、合唱組曲「奥鬼怒伝承」(作詞:高内壮介、1985年作曲)を聴いてみました。
演奏は森明彦指揮、Akademie Chor Japan。
CDの解説書を読むと宍戸氏は、「私は以前より、日本的情感の中で、哀しさ、静寂、又、赤裸々な迫力を、合唱曲で、まとめてみたい意図をもっていた」と言っているように、この組曲は古来から脈々と伝承されていた日本独自の素材を用いた独特でまたなかなか聴き応えのある曲です。
このCDを買ったのが今から10年くらい前で、この時この曲は全くと言うほど関心を持てなかったが、今改めて聴いてみると現在殆ど聴く事が出来なくなってしまった、かつて日本人のみが持っていたであろう独自の情感を感じることができる。
5曲からなる組曲であるが、感動したのは「Ⅰ 姫ヶ淵悲歌」と「Ⅲ 奥鬼怒子守唄」。
「Ⅰ 姫ヶ淵悲歌」は、平家落人の姫が姫ヶ淵に身を投げた物語を元にしており、とても悲しい曲です。歌もいいが伴奏のピアノにも惹かれる。途中ソプラノの独唱が挿入されます。短い歌詞の繰り返しですが、悲しくも美しい旋律と独唱のあとの盛りあがりにはきっと心に刻まれるものがあるに違いありません。
「Ⅲ 奥鬼怒子守唄」も悲しい歌ですね。何故日本の子守唄はこんなに悲しいのでしょうか。五木の子守唄、中国地方の子守唄、島原地方の子守唄など、日本の代表的な子守歌の多くは日本陰旋法で作られた悲しい旋律を持ちます。
このような子守唄が作られたのがいつ頃かわかりませんが(島原地方の子守唄は比較的新しいようだ)、江戸時代の頃なのであろうか。鎖国時代の厳しい身分制度のもとでの抑圧された生活、誰もが長生きできなかった時代、貧しい農民のくらし、質素だけど感性のあるくらし、美しい日本の自然、このような生活の中から生まれたのであろうか。
この子守唄のような日本陰旋法の曲は、今至るところで氾濫する西洋音楽のうねりの中で、聴くことはまれである。しかし宍戸氏が活動した1960~1970年代には、日本の音楽界でまだ日本独自の情感を表現しようとする動きがあったと思う。
宍戸睦郎氏は日本的情感を大切にし、表現しようと務めた最後の世代の作曲家だと思います。
このような日本独自の音楽は今の日本において、どんなに西洋音楽に凌駕されても、われわれの心から決して消滅するものではないと思っています。
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