こんにちは。
先日のブログで宍戸睦朗(ししどむつお)の合唱曲を紹介しましたが、宍戸氏が若い頃に留学してフランスのアンドレ・ジョリヴェ(1905~1974)から指導を受けたことなどを話しました。
宍戸氏が学んだというアンドレ・ジョリヴェの音楽がどのようなものか興味を抱き、聴いてみることにした。
ジョリヴェの音楽はyoutubeでも投稿されているが、やはり自分としてはCDでちゃんと聴くことにした。購入したのは下の写真のCD(ジョリヴェの代表作を収めたもの)と有名な「赤道コンチェルト」が収録されたCDです。赤道コンチェルトの感想は別の機会に譲り、今回はジョリヴェのフルート曲の感想を述べたい。
CDで聴いたのは以下の曲です。
1. フルートと弦楽のための協奏曲第1番
演奏者:ジャン・ピエール・ランパル(フルート)、アンドレ・ジョリヴェ(指揮)
コンセール・ラムルー管弦楽団(オーケストラ)
2.フルートと打楽器のための協奏的組曲
演奏者:ジャン・ピエール・ランパル(フルート)、ジャン・クロード・カサドシュな
ど(打楽器)
3.フルートのための5つの呪文
A.To Welcome the negotiators ― and for a peaceful interview
(交渉相手を迎えるために、そして会見が和解に達するように)
B.For the unborn child to be a boy
(生まれる子が男であるように)
C.For a fruitful harvest from the ploughman’s furrows
(農夫の耕す田畑の収穫が豊かであるように)
D.For tranquil communion with the world
(生命と天地との穏やかな合致のために)
E.At the chief’s funeral ― to win the protection of his soul
(首長の死へ―その魂の庇護を得るために)
演奏者:ジャン・ピエール・ランパル(フルート)
4.アルト・フルートのための呪文 「イメージが象徴となるため」
演奏者:ジャン・ピエール・ランパル(フルート)
基本的に作風は無調の現代音楽ですが、同時代のメシアンほどの難解さは感じません。理論的な難解さよりもジョリヴェ自身の持つ感性や感覚的なものに従って作られた音楽だと感じます。「フルートと弦楽のための協奏曲第1番」は聴きやすい曲です。
「フルートと打楽器のための協奏的組曲」を聴いて思い出したのは、毛利蔵人氏が作曲した、アルト・フルートとパーカッションのための「冬のために」という曲です。毛利蔵人の力作ですね。小泉浩氏の名演の録音があります。
聴き応えのあったのは「フルートのための5つの呪文」と「アルト・フルートのための呪文」。
フルートというとマドンナの宝石のように美しい曲を連想させますが、このジョリヴェのフルート曲は暗く、少し不気味で怖い雰囲気が漂います。真夜中の静かな時にこれを聴くと怖くなる人もいるかもしれません。
私は現代音楽ではこういう曲が好きです。何百年という歴史を刻んできた調性音楽とは全く次元の異なる(優れている劣っている、良い悪いとかではなく)感性、領域の音楽です。
調性に従った曲のみが音楽だとは思いません。音の組み合わせによる創造は無限です。人が何かを意図して複数の音を組み合わせて創造されたもの全てが音楽になるとは思いませんが(例えば騒音のようなもの)、十分に熟考された技法や理論を用い、人間の感情や感性(それは不気味さや不快感を感じるものであっても)にしたがって創造されたものは全て音楽であり、芸術だと思っています。調性音楽だけが音楽だという見方は狭いと思う。
ジョリヴェのこのフルート・ソロの曲は難しいし、題目との関連性を音楽表現に見出すことは至難なことです。しかしこれは難解な哲学書を読むがごとく取り組みがいがあります。
どんな難解な現代音楽でも創造した人の心理的動機が必ずあると思います。この作者の心理的動機をつかむこともやりがいのあることだと思います。
私はこの2年間ほど、ある忘れ去られた邦人作曲家のギター曲に惹かれて、自己流ですが何度も弾いているうちに作曲者の気持ちがだんだんわかるようになってきました。ものすごく暗く荒涼とした曲ですが、人間が触れたくない闇の感情を描きだしたことに驚かざるを得ません。
このジョリヴェのフルート曲のような無調音楽が作曲されなくなったのは1980年代に入ってからだと思いますが、では調性音楽で聴き応えのある音楽が多数生まれているかと言えばそうは思えません。演奏家も1940年代くらいから1970年代までは巨匠と呼ばれる人がたくさんいたが、1980年代以降は巨匠クラスの演奏家は殆どいないのではないか。
現代音楽が何故作られなくなったのか。それは第二次大戦が終わり世の中が平和になり、激動の時代から安定の時代、豊かな時代に変わったことと無関係ではないと思います。
平和で変化の少ない豊かな生活の中で好まれる音楽は、軽く聴きやすい曲だと思います。
文学界でも難解な書物は敬遠され、村上春樹のような作風の書物が好まれる。
音楽でも文学でも難しいものに取り組もうとする時代ではなくなったと感じます。
現代音楽が衰退した今の音楽界に、現代音楽が多数作曲された時代のような熱気は感じられません。
今の時代に、これがまさに現代音楽だという曲を書いたら時代遅れだと言われるのかもしれません。だから今は現代音楽とも調性音楽ともいえないような中途半端な曲もある。
しかし自分としてはこのジョリヴェのフルート曲のような理解するのに長期間かかるような曲をもっと聴きたい。
筋金入りの現代音楽作曲家や演奏家がもっといたっていいのではないか。
先日のブログで宍戸睦朗(ししどむつお)の合唱曲を紹介しましたが、宍戸氏が若い頃に留学してフランスのアンドレ・ジョリヴェ(1905~1974)から指導を受けたことなどを話しました。
宍戸氏が学んだというアンドレ・ジョリヴェの音楽がどのようなものか興味を抱き、聴いてみることにした。
ジョリヴェの音楽はyoutubeでも投稿されているが、やはり自分としてはCDでちゃんと聴くことにした。購入したのは下の写真のCD(ジョリヴェの代表作を収めたもの)と有名な「赤道コンチェルト」が収録されたCDです。赤道コンチェルトの感想は別の機会に譲り、今回はジョリヴェのフルート曲の感想を述べたい。
CDで聴いたのは以下の曲です。
1. フルートと弦楽のための協奏曲第1番
演奏者:ジャン・ピエール・ランパル(フルート)、アンドレ・ジョリヴェ(指揮)
コンセール・ラムルー管弦楽団(オーケストラ)
2.フルートと打楽器のための協奏的組曲
演奏者:ジャン・ピエール・ランパル(フルート)、ジャン・クロード・カサドシュな
ど(打楽器)
3.フルートのための5つの呪文
A.To Welcome the negotiators ― and for a peaceful interview
(交渉相手を迎えるために、そして会見が和解に達するように)
B.For the unborn child to be a boy
(生まれる子が男であるように)
C.For a fruitful harvest from the ploughman’s furrows
(農夫の耕す田畑の収穫が豊かであるように)
D.For tranquil communion with the world
(生命と天地との穏やかな合致のために)
E.At the chief’s funeral ― to win the protection of his soul
(首長の死へ―その魂の庇護を得るために)
演奏者:ジャン・ピエール・ランパル(フルート)
4.アルト・フルートのための呪文 「イメージが象徴となるため」
演奏者:ジャン・ピエール・ランパル(フルート)
基本的に作風は無調の現代音楽ですが、同時代のメシアンほどの難解さは感じません。理論的な難解さよりもジョリヴェ自身の持つ感性や感覚的なものに従って作られた音楽だと感じます。「フルートと弦楽のための協奏曲第1番」は聴きやすい曲です。
「フルートと打楽器のための協奏的組曲」を聴いて思い出したのは、毛利蔵人氏が作曲した、アルト・フルートとパーカッションのための「冬のために」という曲です。毛利蔵人の力作ですね。小泉浩氏の名演の録音があります。
聴き応えのあったのは「フルートのための5つの呪文」と「アルト・フルートのための呪文」。
フルートというとマドンナの宝石のように美しい曲を連想させますが、このジョリヴェのフルート曲は暗く、少し不気味で怖い雰囲気が漂います。真夜中の静かな時にこれを聴くと怖くなる人もいるかもしれません。
私は現代音楽ではこういう曲が好きです。何百年という歴史を刻んできた調性音楽とは全く次元の異なる(優れている劣っている、良い悪いとかではなく)感性、領域の音楽です。
調性に従った曲のみが音楽だとは思いません。音の組み合わせによる創造は無限です。人が何かを意図して複数の音を組み合わせて創造されたもの全てが音楽になるとは思いませんが(例えば騒音のようなもの)、十分に熟考された技法や理論を用い、人間の感情や感性(それは不気味さや不快感を感じるものであっても)にしたがって創造されたものは全て音楽であり、芸術だと思っています。調性音楽だけが音楽だという見方は狭いと思う。
ジョリヴェのこのフルート・ソロの曲は難しいし、題目との関連性を音楽表現に見出すことは至難なことです。しかしこれは難解な哲学書を読むがごとく取り組みがいがあります。
どんな難解な現代音楽でも創造した人の心理的動機が必ずあると思います。この作者の心理的動機をつかむこともやりがいのあることだと思います。
私はこの2年間ほど、ある忘れ去られた邦人作曲家のギター曲に惹かれて、自己流ですが何度も弾いているうちに作曲者の気持ちがだんだんわかるようになってきました。ものすごく暗く荒涼とした曲ですが、人間が触れたくない闇の感情を描きだしたことに驚かざるを得ません。
このジョリヴェのフルート曲のような無調音楽が作曲されなくなったのは1980年代に入ってからだと思いますが、では調性音楽で聴き応えのある音楽が多数生まれているかと言えばそうは思えません。演奏家も1940年代くらいから1970年代までは巨匠と呼ばれる人がたくさんいたが、1980年代以降は巨匠クラスの演奏家は殆どいないのではないか。
現代音楽が何故作られなくなったのか。それは第二次大戦が終わり世の中が平和になり、激動の時代から安定の時代、豊かな時代に変わったことと無関係ではないと思います。
平和で変化の少ない豊かな生活の中で好まれる音楽は、軽く聴きやすい曲だと思います。
文学界でも難解な書物は敬遠され、村上春樹のような作風の書物が好まれる。
音楽でも文学でも難しいものに取り組もうとする時代ではなくなったと感じます。
現代音楽が衰退した今の音楽界に、現代音楽が多数作曲された時代のような熱気は感じられません。
今の時代に、これがまさに現代音楽だという曲を書いたら時代遅れだと言われるのかもしれません。だから今は現代音楽とも調性音楽ともいえないような中途半端な曲もある。
しかし自分としてはこのジョリヴェのフルート曲のような理解するのに長期間かかるような曲をもっと聴きたい。
筋金入りの現代音楽作曲家や演奏家がもっといたっていいのではないか。