世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

アメリカ同時多発テロに思う

2010年09月11日 22時34分08秒 | Weblog
今日でアメリカ同時多発テロから9年が経つ。

あの時、私は何をやっていたか?

店舗から本社に異動して半年たった日にあの事件は起きた。
あの日の夜、私は家でパソコンをいじっていた。
電話が鳴った。
男友達からだ。
「すぐにテレビつけて」
と言われたとおりにテレビをつけてみた。テレビの中で起こっていることに理解ができなかった。ビルの一部から煙が出ている。映画の撮影かと咄嗟に思った。
「世界貿易センタービルに飛行機が突っ込んだんだよ!」
既にあの土地に行ったことがある彼の嘆きっぷりは相当なものだった。
そうこうしている内にもう1機の飛行機がビルに突っ込んでいった…。
その晩はずっとテレビに釘付けだった。どのチャンネルをまわしても、煙を出している二つのビルしか映っていなかった。異様な感じがした。
その後ニューヨークでのあの惨状が明確になるにつれて、なんとも言えない気持ちが湧き起こってきた。

あの犯罪の手口や犠牲者の痛みは、私の理解を越えていた。
あれから9年後。
先月。
私はあの悲劇が起こった跡地グランドゼロに立った。
「ここにあんな建物があっただなんて信じられない」
というのが率直な感想だ。









クレーン車やトラックが行き交う現場。
復興は目覚ましく、何も言われなければただの工事現場と間違えてしまうぐらい普通の光景だった。
壊れたビルを再建することは可能だ。しかし、壊れた命はどう頑張っても元通りにならない。
そんな当たり前である命の脆さや尊さについて、きちんと理解をしていれば、人としてあんなことを起こそうとは思わないはず。思わないはず…と思っている私が甘いのだろうか。
とにかく、復興中のあの地をこの目で確かめられて良かった。
そして、もうあのような悲劇が起こらないように祈ろう…今夜は。
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実家の秋2

2010年09月11日 22時33分45秒 | Weblog
雀宮駅から歩いて実家に帰る前。
雀宮中央小学校の前を通った。
20年前に卒業した母校。
懐かしい。





手前にある屋外トイレ、ここ、掃除当番だった。




4号線前の南国フルーツ。
ここの前の信号機、なかなか青にならなくて。
通学のとき、相当イヤだった。



夕御飯は毎度お馴染みの「正嗣」の餃子。


デザートはかき氷。


母ヨーコたんのピアノタイム。
ジムノペディ 第1番、完璧にマスターしていた!
びっくり。


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実家の秋

2010年09月11日 22時33分08秒 | Weblog
吉熊と宇都宮の実家に帰省。
夏休み前から1度も帰省していなかったので、ニューヨークのお土産を持参。
生憎、クマパパは出張中で不在。残念なり。
母ヨーコたんは、私のために、暑い台所で夕御飯をこしらえてくれていたもよう。ありがとう。ピーナッツご飯、美味しかった~。
お袋の味を楽しみつつ、二人で会話。といっても夜な夜な電話をしているので、お久しぶり感ゼロ。
庭からは秋の虫たちの大合唱が聞こえてくる。

これぞ、実家の秋。