晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

宮部みゆき 『黒武御神火御殿 三島屋変調百物語六之続』

2022-12-24 | 日本人作家 ま

今年も残すところ一週間。今年もいろいろありました。というより個人的に今年は特にいろいろありました。まあそんなこといって来年もいろいろありそうですけど。

以上、人生いろいろ。

さて、宮部みゆきさん。この作品は「三島屋変調百物語」シリーズで、とある旅館の娘(おちか)の身の回りでショックな出来事があって、江戸にある親戚の袋物屋「三島屋」で預かることになり、主人がおちかに世間知をつけさせるといいますか心のリハビリといいますか「百物語」の聞き手をさせようと思いつきます。一般的な百物語は百本のろうそくを灯して怪談話をして一話終わるごとにろうそくの火を一本消していってろうそくが全部消えるまでやるという一種の娯楽ですが、三島屋では客が世にも奇妙な不思議な話を語ってもらい、おちかがそれを聞いて、おしまい。一切他言無用で「語って語り捨て、聞いて聞き捨て」を決め事としています。

で、そのおちかなんですが、前作の五巻で聞き手がおちかから三島屋の主人の次男、富次郎にバトンタッチします。もともと百話までやるというよりはおちかの心の傷が癒えたらそれで目的は達成するので百物語をやめても別に良かったのですが、世の中には「王様の耳はロバの耳」のように自分の心の内にしまっていた誰にも言えなかった話をどうしても誰かに聞いてもらいたいという人が多いようで、巷で有名なった三島屋の百物語は順番待ちなんだとか。

三島屋の百物語の舞台に来た客は、富次郎と同年代の男。相手は富次郎を知っていて、富次郎も豆腐屋の息子だと思い出します。その豆腐屋の八太郎は、かつて自分の家で起きたゴタゴタを話したくてやって来たのですが・・・という「泣きぼくろ」。

次の客は年配の女性。桜の咲いている時にお話したいということなのですが、この女性の生家では村人が集まるお花見に一家の人は参加してはいけないというしきたりがあり・・・という「姑の墓」。

次の客は威勢のいい男性。ちっちゃな頃から悪ガキで十五で不良と呼ばれた亀一という男性は火消しの修行に入りますが途中で逃げ出し町飛脚となったのですが・・・という「同行二人」。

三島屋に「二葉家」という質屋が来ます。質流れになった着物や帯を買ってもらうためなのですが、今回は印半天を持ってきます。二葉家で奉公している女中が持っていたものらしく、三島屋で見ていただきたいとお願いしたそう。半天には襟に「黒武」、背中には四角に十字があります。黒武は武家の名前ではなく、背中の印は家紋でもありません。この半天をよく見ていると背中になにか布が縫い付けてあり、剥がしてみると「あ、わ、は、し、と、め、ち」と漆でひらがなが書かれています。呪文なのか異国の言葉か。富次郎は貸本屋「瓢箪古堂」の勘一に聞いてみることに。すると勘一は、調べるのに時間がかかるといって、しばらくして「あれはご禁制にふれるものだ」と報告。しかし二葉家の女中は異国の宗教の信者(キリシタン)ではありません。その女中(お秋)には奇妙な噂があり、ある日行方不明になり、三日後に戻ってきますが、その間のことは思い出せないというのです。そんな中、百物語の語り手に大急ぎでお願いしたいという客が。齢四十ほどの男で身なりは上等の着物なのですが髪は真っ白、体じゅうに傷跡と指も欠けています。喉も潰れています。さっそく話し始めますが、二葉家の女中(お秋)の知り合いで、件の印半天を三島屋に見てもらったことでお秋を叱った、というのですが・・・という表題作「黒武御神火御殿」。

 

全四話のうち一話から三話までは短編といえるほどなのですが、表題作の四話目は中編ほどでこの話だけで一冊分はありそうな量。いつからでしょうか、たぶん「模倣犯」のあとあたり、なんといいますか宮部みゆきさんの作風が変化したような気がしまして、文章の上手さは変わらず読みやすいのですが、全体的に「重い」テーマになってるなという印象がありまして、といっても終始絶望的な内容というわけではなくラストには光明を見いだせるようになってますが、どうにも重い雰囲気が漂っているような気がします。別に嫌になったわけではないんですけどね。

この投稿が今年最後にならないようもう一冊読みたいと思います。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする