晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

井上靖 『天平の甍』

2020-02-03 | 日本人作家 あ
ここんとこ、井上靖ブームが来ています。

でも、まだ本を読むのが(趣味)とは言えないレベル、ようやく本を読む(楽しさ)に気付いた、そんなのころに井上靖さんの作品を読んでいたら、たぶん途中で投げ出していたような気がします。
いや別に文が難解というわけではありません。
なんといいますか、読書が習慣になってない人にはちょっと読みにくいかなあと思うのです。

ま、そこらへんはごくごく個人的な感想ですので、「自分はこどものころに読んだけどすらすら読めたよ!」という方がいらっしゃったらそれはそれで。

そんなことはさておき『天平の甍』です。
遣唐使、奈良の大仏、墾田永年私財法とか、そのあたり。この時代に日本史的に割と、けっこう、いやかなり重要な出来事があります。それは「唐招提寺の創建」。

日本史はもう遠い記憶のかなた、という方は
「ああ唐招提寺、鑑真だっけ」
なんと鑑真さん、5回も日本行きに失敗し、それでも日本行きをあきらめませんでした。
当時は船です。現代でしたら飛行機で来日してJALのハッピ着てタラップ下りて「鑑真がやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」なんてことになったんでしょうが。

天平四(西暦732)年、朝廷は第九次遣唐使発遣を発表します。ここに、普照(ふしょう)、栄叡(ようえい)、戒融(かいゆう)、玄朗(げんろう)という四人の留学僧が行くことになります。
話の流れとしては、この当時の日本には、正しい仏教の戒律が無く、自分で勝手に「オレ今日からお坊さんッス」と名乗ることもできたそうで、兵役や納税から逃れるために農民が勝手に名乗るといったケースが各地であり、留学僧に与えられたミッションは、いちはやく伝戒師(僧侶に位を与える人)を連れてこい、というもの。

日本を出発した四艘の船は、三カ月以上かかって、蘇州に漂着します。そして内陸を西へ、洛陽に到着。ここで住まいを与えられ、いろいろ学ぶことに。
ここで普照、先の遣唐使で唐に滞在していたある人に出会います。その人とは下道真備(しもつみちまきび)、そう、のちの吉備真備。

話はそれますが、西日本豪雨で岡山県倉敷市で川の堤防が決壊し浸水被害があったのは記憶に新しいのですが、その被害の大きかった地域が(倉敷市真備町)で、この地名をニュースで見て「吉備真備となにか関係あるのかな」と思い調べたらここ出身で、町名の由来になったそうな。

さらに、真備といっしょに唐にやって来たもうひとりの有名人といえば阿倍仲麻呂。百人一首ですね。

二年が過ぎ、修行僧のひとり、戒融は「托鉢僧になって旅をする」といって出て行きます。残った三人の僧は、長安に移動。ようやく本来の目的である「偉いお坊さんを日本に連れて帰る」という偉いお坊さんに会えるチャンスが。そう、揚州の高僧、鑑真。

揚州へ向かい、いよいよ鑑真に会い、いっしょに日本に行ってくださいとお願いします。鑑真は弟子たちに「この中で日本に行くものはいるか」と聞きますが誰も手を上げず「お前たちが行かないなら私が行く」というではありませんか。これに弟子たちも「じゃあ私が」「いやいや私も」とダチョウ倶楽部状態だったかどうかは知りませんが、とにかく鑑真と十七人の弟子(二十一人という説も)は渡航することに。

ところが、日本に行く準備をしている中、日本から来た僧がじつは海賊の一味だというフェイクニュースがどこからか出て、一行は捕まります。釈放されて、普照らは鑑真のもとを訪ねふたたび日本行きの話をしますが、鑑真は情熱を失っておらず、二度目のチャレンジをすることに。

しかし、今度は洋上で嵐に遭い大陸に戻って来てしまいます。

さて三度目のチャレンジ!と思っていたところに、鑑真の弟子の一人が、師匠を心配するあまり日本行きをやめさせるためにフェイクニュースを流し、一行は捕まってしまい・・・

「はたして普照は鑑真らを日本に連れて行くことができるのか・・・」と書いても、史実上鑑真は日本に来るわけです。
天平勝宝五(西暦754)年、ようやく来日します。南西諸島にどうにか辿り着いて、大宰府、奈良の平城京へと向かいます。

この日本行き計画の途中で、鑑真は失明してしまいます。さらに栄叡は病死。そうそう、普照といっしょに留学した僧に玄朗がいましたが、現地で結婚し子もでき唐に残ります。
鑑真らが日本に着いた一行は四艘の舟で、日本に着かなかった船には阿倍仲麻呂が乗船していました。しかし嵐に遭って唐に逆戻り。
先述の百人一首「「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」はこの時の船上で詠んだものだとか。

普照らがまだ唐にいるときに、先に唐にやって来て勉強していた業行という僧に会います。彼の部屋は薄暗く、部屋中にうず高く積まれているのは経本。もうずいぶん長いこと留学しているのですが、業行はただひたすら写経をしています。というか写経しかしていません。そんな業行、帰国のさいにおそろしい数の経本もいっしょに持ち帰ろうとして、違う船に移るときもこの経本も移動させて船員さんたちから嫌われます。
この業行の経本、全部が日本に着いたわけではなかったのですが、中には密教の経本もあったとかで、のちに空海が持ち帰って日本で広めた密教はもうすこし早く日本に着いていたかも、という考察は面白いですね。

個人的な話ですが、海外留学をしてたとき、文中に登場した業行とはちょっと違いますが、もうずいぶん長く留学しているのにあまり英語も上達してない(そういやいつも日本人といっしょにいましたっけ)、ぶっちゃけ「なにもしてない」という日本人がいたのを思い出しました。
コメント
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