晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

宇江佐真理 『三日月が円くなるまで』

2015-10-09 | 日本人作家 あ
この話は、じっさいにあった南部藩と津軽藩の確執を題材にしていて、南部を仙石藩、津軽を島北藩にしています。

仙石藩の武士、刑部小十郎は大八車をひいて「紅塵堂」という古道具屋に着きます。この古道具屋の主は小十郎の父の知り合いで、小十郎は「紅塵堂」の貸し家に住んで、ある任務をするのですが・・・

発端は、仙石藩主が徳川将軍家に、隠居所を建てるのに仙石の領地の檜を使いたいとお願いします。藩主はさっそく家臣に命じますが藩の財政は逼迫していて、藩主は断ることに。しかし、それを聞いていた島北藩主が「自分の藩の檜を使ってください」と横やりを入れてきたのです。
もともと島北藩と仙石藩は隣地で仲が悪く、「仙石の腑抜け、独活の大木」と馬鹿にされる始末。これに怒ったのが仙石藩の正木庄左衛門。正木は島北藩主を斬ると飛び出したのです。

この正木と小十郎は同じ歳で、小十郎の「任務」とは、正木の助太刀。

さっそく小十郎は江戸のどこかに潜んでいる正木を探すことに。ところで小十郎の住むことになった貸し家は元蕎麦屋で、なんと一家心中したとのこと。
夜に物音がして怖いので、見かけた托鉢僧にお祓いをしてもらうことに。賢龍という修行僧は仙石藩の出身で、なんだかんだで小十郎の家に泊まることに。

やがて正木の潜伏場所もわかり、島北藩主襲撃の計画も進んで・・・

「紅塵堂」の娘と小十郎の恋の行方も面白いですね。

『三日月が円くなるまで』とは、仙石藩の領地を端から端まで歩くと三日月が満月になるまでかかる、というたとえ。実際の南部藩も今の岩手県の南部から青森県の下北半島まででしたから、たしかにあれを南北縦断すると考えたらゆうに十日以上はかかりますね。
コメント
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