晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

花村満月 『ゲルマニウムの夜』

2009-02-21 | 日本人作家 は
よくレコードを購入する基準のうちで「ジャケ買い」という、その
レコードの歌手あるいはバンド名を知らず、どんな曲かも知らない
のに、とにかくジャケットのカッコ良さ、インパクトで一目惚れして
買ってしまうこと。当然それなりのリスクもあり、あたりはずれは
避けられないもの。自分で出費したものだから、はずれとは認めたく
ないので、あくまでこれは良い買い物だったと言い張ることもしばしば。

この『ゲルマニウムの夜』は、なにせ天下の芥川賞受賞作品ですから
新聞や雑誌で取り上げられているから見たり聞いたりしていたので、
つまりレコードでいうところの「ジャケ買い」にはあたらないのです
が、まあ、タイトルのインパクトに惹かれたので、そういうこと。

主人公は、東京西部にある修道院で育ち、卒業して外の世界に出るも
殺人を犯し(これは主人公の妄想かも知れない)、また修道院に戻る。
ゲルマニウムという鉱石を受信源としたラジオを常に携帯し、イヤホン
を片耳に突っ込んで進駐軍放送を聴いている。
この修道院というのが、どこぞの収容所に負けず劣らずの劣悪な環境
で、教育する立場であるはずの神父は聖と性をごっちゃにするわ、
暴力、欺瞞、蔑視、矛盾、屈辱が渦巻くような、とても希望を見出せ
そうにない施設。
そこで、主人公の男は、宗教とはなにか、人生とはなにかを考えたり
するのですが、とにかくこの男の素地というものが良い出来とはいえず、
彼なりの解釈はともすれば自分可愛さのただの屁理屈とも捉えられます
が、暴力やグロテスクから生まれる思想は、絶望からの回避であり防衛
手段。もともと宗教とはそんなものかもしれませんね。

慈愛に満ちた「御言葉」とは、実際には非力なもので、言った側の自己満足
だけの場合もあります。教訓や愛の説教を「存在」として尊び敬い奉るのは
言われた側も自己満足で思考停止しているのでは。
コメント
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