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晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

On the Shore of the Wide World(この広い世界の浜辺で)

2023-02-26 | 自転車

しばらく自転車の投稿はお休みしてました。寒い中に凍えながら乗るほど酔狂ってわけでもありませんし、ですがさすがに2月も終わりになってきますと日中はポカポカしてきまして、夜勤明けではありましたが見事なピーカン晴れだったので、普段は夜勤明けだと家に帰って朝食のあとちょっと仮眠するのですが、食べ物を持ってサイクリング、海まで行ってブランチといきましょう。

いつものサイクリングコース。海に近づいてきてあと1キロくらいになってくると潮の香りがしてきます。

海まであと500メートルくらいのところの川沿いに河津桜?キレイですね。

そんなこんなで海!風が冷たかったのですがサーファーがけっこういました。

とりあえず座って、ハムとチーズとレタスとブロッコリースプラウトのサンドイッチとバナナ、ボトルにはミルクティー。ぼーっと海を眺めながらいただきます。波の音をBGMに寝っ転がってぼーっと空を眺めました。

家から海まで10キロ弱で海岸沿いの道をプラプラと移動したので往復25キロくらいですか。行きはスムーズだったのですが、帰りは超絶向かい風。途中何度かくじけそうになりましたが無事生還。今度はもうちょっと暖かくなって風も弱い日にまた行こうかな。


池波正太郎 『侠客』

2023-02-25 | 日本人作家 あ

「これから〇〇を始めようと思います」という宣言を周囲の友人になりネットになり公表すると「言った手前やるしかなくなる」といった感じで自分を追い込むのもそれはそれでいいのですが、やはり一番かっこいいのは「不言実行」。もちろん「いついつまでに目標達成する!」といってその途中経過をブログやSNSで報告していくのは楽しいですけどね。と書き込んでいる最中にそういえば10年ほど前に「20キロ減量!」とSNSに投稿してたことを思い出しました。ちなみに現在の体重はそれからさらに10キロ減ってます。

 

年齢いくと痩せたら心配されますよね。

 

さて、池波正太郎さん。主人公は幡随院長兵衛。「お若えの、お待ちなせえやし」ですね。まさにタイトルの「侠客」の日本版元祖といわれていますが、そもそも侠客とはなんぞやと思い、こころみに調べてみますと「中国において義侠心を持って人の窮境を救う武力集団」とあり、いわゆる賭場や香具師の元締めとその配下、軒下三寸借りて「お控えなすって、手前生国とはっしますところ・・・」といった(やくざ)とは本来の意味は違います。

大和郡山・本多家家臣の奉公人、二十歳の塚本伊太郎は、ある使いの帰りに侍同士の斬り合いを見かけます。なんとそのひとりが伊太郎の父、塚本伊織だったのです。助けに加わりますが、父は斬られ、最期に「か、ら、つ・・・」と言い残して息絶えます。この争いを止めようと父を襲った相手を追い払ったのが、水野百助という侍。

塚本伊織は、もとは九州は唐津十二万石の大名、寺沢志摩守の家来で、伊太郎が五歳のときに藩から逃げて父子と塚本家の家来の三人で流浪の旅に出ます。途中で家来と別れ父子は江戸に。伊織は「八百屋・久兵衛」の離れに住み、伊太郎は大名家の奉公人になります。父の最期の言葉が気になるところですが水野百助は使いの途中だった伊太郎にとりあえず用を済ませてこいといい、伊織の遺体はおれに任せておけと引き受けます。

この水野百助、三千石の大身旗本、水野出雲守成貞の長男で、二十九歳。伊太郎が八百屋久兵衛に着くと百助に礼を言い、「おれに手伝えることがあったらいつでも屋敷に来てくれ」と言い残して帰ります。

塚本伊織の葬式は上野の幡随院新知恩寺で行われ、葬式の後、和尚が伊太郎に今後のことを聞くと浪人になって父の敵討ちをすると宣言。さっそく五年前に旅の途中で別れた塩田半平を探しに大坂へ行くことにします。しかし途中、伊太郎は侍に襲われて斬られます。それを助けてくれたのが旅の老人で山脇宗右衛門と娘のお金。宗右衛門は江戸で「人いれ宿」という現在でいう人材派遣・職業斡旋を営んでいます。

宗右衛門は伊太郎の話を聞いて、権兵衛という若者を大坂に向かわせますが、その時、半平は何者かに襲われ、大坂から逃げ江戸へ向かいます。権兵衛は大坂に着きますが半平が逃げたと知って急いで宗右衛門のもとへ戻り、伊太郎もいっしょに江戸に戻ります。そして半平が江戸に着くのですが何者かに殺されます。

それから数年後、塚本伊織と伊太郎殺害の命を受けていた辻十郎が斬られます。そこに「何をしてる」と通りかかったのが水野十郎左衛門。百助が家督を継いで名を改めたのです。瀕死の辻十郎を助け家に連れて行って十郎から伊太郎の父伊織を暗殺した理由を聞き、それが唐津藩の現当主の寺沢兵庫守からの命令だと知った伊太郎は兵庫守を敵討ちしようと・・・

この作品は文庫で読みまして、だいだいここまでで下巻の真ん中あたり。で、伊太郎は山脇宗右衛門の娘のお金と結婚して人いれ宿の後を継ぐことに。伊太郎は名前を捨ててまったく別の人間になろうと幡随院の和尚に相談し、長兵衛という名前をもらいます。そして世間から「幡随院長兵衛」と呼ばれることに。

しかし、運命とは残酷なもので、長兵衛はどんどん頭角を現し「町奴」と呼ばれるようになります。一方、戦も絶えて平和な時代になり、武士は官僚となりつつあるこの当時、父や祖父のように武士の本分である戦場を駆け回ることのない一部の旗本の孫や子世代にとってはフラストレーションがたまる一方で、町で乱暴狼藉をします。そんな彼らは「旗本奴」と呼ばれるようになり、その頭目が水野十郎左衛門。

町奴と旗本奴はたびたび衝突して、とうとう双方が我慢の限界に達しようとなってしまい、十郎左衛門は長兵衛と話し合いをすることに・・・

 

歌舞伎や講談は「より面白く」するために史実を脚色したりするわけですが、この作品でも歌舞伎や講談のストーリー的に不自然な部分の辻褄を合わせるようになっています。以前読んだフレデリック・フォーサイスの「オペラ座の怪人」の続編「マンハッタンの怪人」でも、「オペラ座の怪人」の不自然な部分の辻褄を合わせています。

もともと侠客や仁義や義侠心といった「弱きをたすけ強きをくじく」が、いつから「強きをたすけ弱きをくじく」になっちゃったんでしょうかね。


半村良 『晴れた空』

2023-02-19 | 日本人作家 は

暦の上では春とのことですがまだまだ寒いですね。暖房費の高騰が気になって、基本的には冬場のアウトドアやキャンプなどで使用する、ポンチョとしても着られて、開けば布団に、ファスナーを閉じれば寝袋にもなるというあったかグッズを購入しました。さすがに朝晩はストーブをつけますが日中に家にいるときはそのポンチョを着れば意外とオーケー。家の中なのにアウトドア気分。

 

ソロキャンプに目覚めようかしら。

 

さて、半村良さん。この作品は戦前・戦中辺りからはじまってるので、父母か祖父母がその世代であればあまり「歴史」とは思えませんが、知ってる家族が全員戦後生まれだとこの時代の小説は「歴史小説」と捉えるのでしょうか。

太平洋戦争で劣勢になった日本はとうとう本土に空襲攻撃を受けます。そして一九四五(昭和二十)年三月十日、東京大空襲。その夜の死者数は公式記録では八万八千七百九十三人とされています。しかし、いたるところに黒焦げの焼死体が転がっていてひとりひとりの識別などできず、地域によってはガマ口の口金を拾い集めて数えて死者数を推定したといいます。

東京は上野駅の地下道。行き場のない人たちでいっぱいに。背の高い浮浪児が「おす」と壁にもたれている二人の浮浪児に話しかけます。「なんだ、バアちゃん」バアちゃんと呼ばれた浮浪児は「飴屋と級長には教えといたほうがいいと思って」と言います。バアちゃん、飴屋、級長というのは、浮浪児たちはもはや本名は必要とせずあだ名で呼び合っています。

「今日の昼にラジオで天皇陛下がなにか喋るみたいだぞ」

この日は八月十五日。バアちゃんからそう聞いた飴屋と級長の三人は地下道の外に出て、正午、君が代が流れます。

「敗けたんだってさ」「どうしようもねえや」

三人の浮浪児は仲間の浮浪児を探します。そこに新聞を積んだトラックがやって来ると級長は新聞の束を持って逃げます。他の浮浪児も参加した連携プレーで級長は逃げおおせ、この新聞を一枚一円で売ることに決めます。ちなみにすいとんが一杯一円の時代。

新聞を売りさばいた浮浪児たちはそれぞれ自己紹介をします。級長、飴屋、バアちゃん、そしてニコ、ゲソ、アカチン、マンジュー、ルスバン。バアちゃんだけが十四歳で他は偶然みな十三歳。

ある日のこと、駅の改札口近くで四歳か五歳くらいの女の子が座っておにぎりを食べています。級長が助けようとすると「この子をよろしくお願いします」という手紙が。急いで母親を探します。その母親は遠くで見ていました。そして級長は持っていた外食券を母娘に渡して「三月十日に僕らはみなあの晩母を亡くしました。がんばってその子といっしょにいてあげてください」といって食堂に案内します。

すいとんを食べて元気になった母娘を見て安心し、自分たちが臭いと思った級長と飴屋は盗んだ石鹸で土砂降りの雨の中で体を洗います。そして自分の母を思い出し「かあちゃん」「かあちゃぁん・・・」と泣き出します。

その日から母娘は級長ら浮浪児たちの仲間になって、故買商といえば聞こえはいいですが、ようは道端に風呂敷を拡げて彼らの盗んできた品物を売ることに。母はみんなから「お母さん」、娘は頭を丸刈りにしたので「ボーヤ」と呼ばれることに。お母さんは誰もがハッと見とれてしまう(もちろん級長たちも)ほど美人で小さな子が横にいるので売れ行きは良く、どんどん盗んできては売って、そのうち彼らの目標は「お母さんとボーヤの住む家を買う」になります。

級長が食堂にいると、酔っ払った飛行服を着た元航空隊が。級長が話しかけると、男は「俺は特攻隊の死に損ないよ」といいます。この前田という男は級長たちに妙に気に入られて彼らの仲間に。そして飲み屋で仕入れてきた有益な情報(どこの倉庫に何が置いてある)を教え、盗みに行って、それをお母さんとボーヤが売るのです。そうして金も貯まって、ルスバンの家のあった場所に家を建てることに。

しかし、この背後には、お母さんがじつは亡くなった海軍中佐の未亡人で、中佐に恩義がある影の実力者たちの手回しが・・・

この作品は文庫で上中下それぞれ四〇〇ページ以上、つまり千二百ページ超の長編で、ここまでが上巻の終わりのほう。このあとさらに中、下と続くのですが、まあネタバレにならない程度に触れますと、学校に通うようになった級長たちは彼らの特性というか長所を生かした道を歩むことに。お母さんは商才と人を惹きつける魅力があり、なんと会社を立ち上げます。そして前田はお母さんと少年たちの補佐というか日向となり陰となります。そしてラストは「ええ・・・」となります。この作品のタイトル「晴れた空」というのが、美しくもあり、悲しくもあります。

時間的に余裕があったらもっと早く読み終わっていたと思うのですが、ちょうど読み始めたあたりからこまごまと忙しくなって時間がかかってしまいました。機会があれば今度はゆっくりとじっくりと読みたい、そう思わせてくれる作品です。


東川篤哉 『完全犯罪に猫は何匹必要か?』

2023-01-28 | 日本人作家 は

移住促進や移住体験のテレビ番組がけっこう好きでたまに見たりしますが、まだ先の話ではありますが、予定どおりにいけば2年後に学校を卒業するので、ちょうどいい機会なので移住を考えています。といって別に今住んでるところが嫌なわけではありません。いやむしろ快適で過ごしやすいです。

10年ほど前に人生が激変する出来事がありまして、それまでの人生がエグザイル的にいうと第1章とするならこの10年は第2章、次の10年に第3章ということで、いっそのこと環境をガラッと変えてみようかと。さすがに海外移住は現実的ではないので国内で。近くに温泉のあるところがいいなあ。

ハービバノンノン。

さて、東川篤哉さん。この作品は「烏賊川市シリーズ」と呼ばれるもので、架空の都市(千葉の東、神奈川の西)での市警察の警部と私立探偵が謎解きに奔走するというふうになってます。この作品はシリーズ3作目。

10年前、飲食店経営の豪徳寺豊蔵氏の自宅ビニールハウス内で、医師の矢島洋一郎、48歳が殺されているのを発見されます。しかしこの事件は犯人を逮捕することができず、迷宮入りとなります。

烏賊川市に探偵事務所を開業している私立探偵の鵜飼杜夫と弟子(?)の戸村流平は猫を探しています。それも三毛猫。この「猫の捜索」の依頼をしたのは、豪徳寺豊蔵。豊蔵は大の猫好きで、店舗の前に巨大な招き猫がいることで有名な回転寿司チェーン「招き寿司」の社長である豊蔵は、飼い猫の三毛猫「ミケ子」を探してくれと依頼。

夏のある日の朝、烏賊川署の砂川警部と志木刑事を乗せたパトカーが豪徳寺家に到着。敷地内にあるビニールハウスへと向かいます。殺害された被害者は豪徳寺豊蔵、第一発見者は妻の昌代と息子。ビニールハウスの中には殺人の現場にはふさわしくない、巨大な招き猫。家族が現場に着いたとき、娘の真紀は気を失っていてロープで縛られていました。検死の結果によると死亡推定時刻は前日夜の午前0時から2時ころ。真紀が目撃したのは、猫のお面を被った犯人。家族全員と豪徳寺家に住む使用人と豊蔵の友人はみなアリバイがあります。

豪徳寺豊蔵氏の葬儀が行われ、鵜飼と戸村、ビルの管理人の朱美は会場に向かいます。豊蔵氏の依頼の継続を家族にお願いするため。すると会場に鵜飼の知り合いの通称(なんでも屋)の岩村がいるのを不思議に思います。葬儀が終わり、戸村が着替えのためトイレに入ると、そこには岩村の死体が・・・

はたして豊蔵を殺した犯人は誰なのか。10年前の事件との関係は。岩村の死は関係があるのか。そして三毛猫ミケ子は見つかるのか。

 

松本清張は「仕掛け箱」の中で行われていたミステリを外に出すためにいわゆる「社会派推理小説」を書いた、とどこかで読んだ記憶があります。ですが東川篤哉さんの一連の作品を読みますと、けっこう古典的なトリックが使われています。とはいっても古臭いといった印象はなく、むしろかえって新鮮に映ります。ファッションでも昔に流行ったファッションが再流行することがありますので、そんな感じですかね。


井上ひさし 『花石物語』

2023-01-15 | 日本人作家 あ

ついこの前までなにかとお騒がせだった青い鳥がシンボルのSNSですが、その代替として「マストドン」というSNSが話題ですね。青い鳥とマストドン、似てるようで全然違う、全然違うようで似てます。そんなことを言い出したらSNSじたいが多かれ少なかれどこかしら似てるもんだろという話なのですが。今まで、流行るとすぐに「○○疲れ」という言葉が出てきますが、これから出てくるSNSもそうなるのでしょうか。

おつかれさまです。

井上ひさしさんの名前はもちろん存じてましたが去年初めて井上ひさしさんの作品「手鎖心中」を読んで感動しまして、とりあえず数冊買ってみました。そのうちの一冊。

昭和20年代後半、大学生の夏夫は、東北の太平洋側の海岸沿いを走る汽車に乗っています。目的は母親の住む花石へ向かうため。夏夫は高校まで東北に住んでいて、大学進学のため上京。本命は銀杏のマーク(東大)、他にも稲穂(早稲田)とペンのぶっちがい(慶応)を受験しますが撃沈、鷲のマークの大学(上智)を受けて合格します。なんでも定員20名の枠に殺到した受験生は16名を数えた、とか。

夏夫は強烈な東大コンプレックスがあり、さらに被害妄想に拍車がかかり「他人と会話をしない」という自己防衛を身につけます。やむを得ず話をしないといけないときは言葉がうまく出てきません。つまり吃音症。というわけで気晴らしに夏休みを母と過ごすことに。

そんなこんなで花石に到着します。巨大な製鉄所があって、街は意外と賑わってます。母親は花石で一旗揚げようと屋台で飲み屋をはじめます。母親の住まいの真横が娼家になっていて、窓の外から娼婦と客の会話が丸聞こえで夏夫はびっくりします。のちにこのかおりという娼婦と交流することになります。

はじめこそ気晴らしで花石にやってきた夏夫でしたが、娼婦のかおり、「タイガー」という店の岩舘老人、母親の屋台のライバル店で働くニセ東大生、母親の屋台の常連客の鶏先生とマドロス先生、といった人たちと触れ合うことで徐々に被害妄想や自己否定の呪縛が解けてゆき、そのうち吃音も治ってきます。夏休みもそろそろ終わり、夏夫は東京に戻るのかそれとも花石に残るのか。

井上ひさしさんの来歴をどこかで見れば、この話はおおまかにですが夏夫は放送作家・劇作家になる前までの井上ひさしさんのことだということがわかります。で、花石とは岩手県釜石市。この小説の花石は、まるで山本周五郎「青べか物語」の舞台(浦粕)のよう。浦粕とは千葉県浦安市のことなんですけどね。

鶏先生が柳田国男「遠野物語」のパクリを書こうとするあたり、どこか民話というか逸話というか、ファンタジー感が漂ってます。そういえば宮沢賢治も岩手でしたね。岩手はファンタジーが生まれやすい土壌なのでしょうか。千葉県も「ジャガー星から来た」「こりん星のりんごももか姫」となかなかどうしてファンタジーですけどね。


井上靖 『わが母の記』

2023-01-10 | 日本人作家 あ

学校の今年度分の科目を年明け早々にすべて終わらせてしまい、次の学年になる4月まで授業がありません。その間に今まで勉強した科目の復習でもすればいいのですが、そっちのほうは1日1時間くらいにしまして、ここぞとばかりに読書にいそしまないと。それにしてもあれですね、小学生の頃は夏休みの宿題を8月31日に泣きながらやってたようなヤツが大人になって期限のだいぶ前にすべて終わらすようになるとは、結局やらなければいけないことを後回しにしてもいいことありませんものね。招待状の出欠席の返信もすぐ出しますし。

以上、大人の階段登る君はまだシンデレラさ。

さて、井上靖さん。「あすなろ物語」「しろばんば」は(半自伝小説)で、この作品は(私小説)というふうになっています。

一人称の「私」はもちろん井上靖さんご本人。伊豆で生まれて、転勤の多かった軍医の父と母とはいっしょに住まずに曽祖父の妾といっしょに土蔵で暮らすというなかなかヘビーな環境で幼少時代を過ごしたのですが、国立大学を出て新聞社に就職して小説家になったのですから、しかもその幼少時代を小説にして代表作になるのですから人生わかりません。

父が退勤して、郷里の田舎で隠遁生活を送ることに。そんな父も亡くなって、母は80歳になって物忘れがひどくなって、というところから始まります。東京に連れてきてもすぐに帰りたがったり、同じ話を繰り返して「壊れたレコード」と家族が例えたり。まるでそれまでの人生を消しゴムで消してゆくような。

80歳のときの母が描かれた「花の下」。その5年後つまり85歳になった母の「月の光」、そして89歳になった母の「雪の面」の3部作構成になっていて、不思議と悲哀はありません。

以前、ネットで見かけたのですが、母親が息子に「もし私がボケてあなたを忘れちゃったらどうする」と聞いたら息子が「そしたら友だちになろうよ、きっと仲良くなれるよ」と言った、というのがあって、まあ実際にはそんなこといってられないくらい大変なんでしょうけど、素晴らしい息子さんですね。

 


宇江佐真理 『酔いどれ鳶』

2023-01-05 | 日本人作家 あ

昨年は当ブログの素人書評にお付き合いいただきありがとうございます。今年もお目汚しとは思いますがお付き合いの程を。

さて、宇江佐真理さん。この作品はサブタイトルに「江戸人情短編傑作選」とあり、ストーリーも登場人物もバラバラですが、もちろん江戸と人情という共通点はあります。

長屋に住む元武士の総八郎と(なみ)の夫婦。松前藩の家臣だったのですが、藩は国替えとなり、御役を解かれます。ある日のこと、家に戻った総八郎は大きな鳥を持ってます。それは鳶。じつは総八郎は藩士のとき「鷹部屋席」という藩主が鷹狩りに使う鷹を飼育する役だったのです。なんでも鳶を見かけたらげえげえ吐いていたそうで、なんと植木の肥料の酒粕を食べたというのですが・・・という表題作の「酔いどれ鳶」。

おろく医者(検死医)の美馬正哲は妻のお杏といっしょに植木市にでかけます。そこで盆栽の小さな梅の木を気に入りますが、あれは室に入れて咲かせた梅なので寒さですぐ枯れると教えてもらいがっかりします。そこに見かけた顔が。米屋の手代の美代治で、植木屋の友人に頼まれて店番をしているんだとか。それからしばらくして、その米屋で事件が・・・という「室の梅」。

ある秋の夜、両国広小路の傍で(聞き屋)をしている与平のもとに依田覚之助という江戸詰めの武士が来ます。顔には大きな痣が。姉と弟にも顔に痣があり、なにかと苦労をして育ってきたのですが、そんな覚之助に縁談が・・・という「雑踏」。

幕府小普請組の村松五郎太は学問所の試験になにがなんでも受かるため猛勉強。勉強の合間に字が書けない人のために文を書く(代書)の内職をしているのですが、意味のよくわからない内容の依頼を受けます。それは(浅草の二階家)で名前が(すで吉)と(ふで吉)とあったのですが・・・という「魚族の夜空」。

古道具屋の女房、お鈴は、店に来た姉弟に声をかけると「簪を買ってほしい」と姉が言い、袱紗を開いてみると銀細工でびいどろの上等の品。お鈴はちょうど夕飯の支度をしていて、ふたりにこんにゃくの田楽をごちそうします。あっというまに食べたのでおかわりを取りにに台所に行って店に戻ると姉弟の姿は無く・・・という「びいどろ玉簪」。

幕臣の娘、杉代は小納戸役の村尾仙太郎のもとに嫁ぐ予定でしたが、ときは幕末。仙太郎は杉代の家にやってきて、いきなり縁談の反故を伝えて帰ろうとしますが、それを盗み聞きしていた杉代は急いで追いかけます。すると仙太郎は彰義隊に入ると・・・という「柄杓星」。

読んでて、あれ、この登場人物知ってると思い、あとがき解説を読んで「ああそうだった」とようやく思い出すといった感じで、まあそれだけ過去に宇江佐真理さんの作品をたくさん読んできたのでそりゃ忘れてるのもあるよねドンマイと自分を慰めました。


髙田郁 『あきない世傳金と銀(十三)大海篇』

2022-12-29 | 日本人作家 た

今年も残す所あと数日となりました。2022年に投稿した自転車関連は抜かして小説だけで34回。月に3冊くらいですか。かつては目指せ年間100冊なんて意気込んでたんですけどね。来年はもうちょっと頑張って50冊は読みたいですね。

あと数日で来年なんで鬼さんも微笑みくらいでお願いします。

さて、髙田郁さん。このシリーズもとうとう最終巻。あれですかね、「みをつくし料理帖」みたいに映像化するんでしょうかね。ああでもちょっと波乱万丈というかドロドロ過ぎますか。昼の1時半からやってるドラマ枠、「牡丹と薔薇」やってた、あれだったらいけそうですけど。

吉原で行われる「衣裳競べ」に参加することになった五鈴屋。誰に衣裳を着てもらうかというと、花魁ではなくなんと女芸者。歌扇という芸者は、もとは遊女で年季奉公は終わったのですが、唄と三味線の芸者として吉原に残ることに。吉原に入った遊女が外に出られるのは・年季奉公が終わったとき・落籍(借金を完済してもらって女房か妾になる)されたとき・死んだとき、の三つしかない、といわれていて、歌扇は本来であれば出られるのですが、幼い頃から吉原というカゴの中で暮らしてきていきなり外で一般市民として暮らすのはどだい無理な話で、そういう人は吉原に残ってランクの低い女郎になってゆく、というパターンが多かったのです。

そんなことがあって後日、歌扇の髪につけていた笄(こうがい)が五鈴屋の奥の小間物屋で売っていることにある客が気付きます。菊栄デザインの笄の値段はなんと銀三匁と格安で使い勝手も良さそうでしかもオシャレ。「菊栄」ブランドの笄は飛ぶように売れます。

浅草田原町の五鈴屋では手狭になってきたので、日本橋近くの呉服町の物件を手に入れ、そこの間口を菊栄の小間物屋と五鈴屋とで半々で分けて営業をはじめますが、いきなり町名主がやって来てこの物件は二重契約なので明け渡せと・・・

この一件に音羽屋は絡んでいるのか。頼りにしていた幸の元亭主、惣次はこの件をどこまで知っているのか。

ものすごい大団円でハッピーエンドというわけではありませんが、まあ落とし所としてはこれしかない、というラスト。いわゆる経済小説というジャンルとはちょっと違いますが、「経済」とは中国の古典の「経世済民(世を治めて民を救う)」から来ていて、これが英語の「エコノミー」の訳として定着したのですが、根底に流れているものは同じかと。

今年の投稿はこれでおしまい。良いお年を。


宮部みゆき 『黒武御神火御殿 三島屋変調百物語六之続』

2022-12-24 | 日本人作家 ま

今年も残すところ一週間。今年もいろいろありました。というより個人的に今年は特にいろいろありました。まあそんなこといって来年もいろいろありそうですけど。

以上、人生いろいろ。

さて、宮部みゆきさん。この作品は「三島屋変調百物語」シリーズで、とある旅館の娘(おちか)の身の回りでショックな出来事があって、江戸にある親戚の袋物屋「三島屋」で預かることになり、主人がおちかに世間知をつけさせるといいますか心のリハビリといいますか「百物語」の聞き手をさせようと思いつきます。一般的な百物語は百本のろうそくを灯して怪談話をして一話終わるごとにろうそくの火を一本消していってろうそくが全部消えるまでやるという一種の娯楽ですが、三島屋では客が世にも奇妙な不思議な話を語ってもらい、おちかがそれを聞いて、おしまい。一切他言無用で「語って語り捨て、聞いて聞き捨て」を決め事としています。

で、そのおちかなんですが、前作の五巻で聞き手がおちかから三島屋の主人の次男、富次郎にバトンタッチします。もともと百話までやるというよりはおちかの心の傷が癒えたらそれで目的は達成するので百物語をやめても別に良かったのですが、世の中には「王様の耳はロバの耳」のように自分の心の内にしまっていた誰にも言えなかった話をどうしても誰かに聞いてもらいたいという人が多いようで、巷で有名なった三島屋の百物語は順番待ちなんだとか。

三島屋の百物語の舞台に来た客は、富次郎と同年代の男。相手は富次郎を知っていて、富次郎も豆腐屋の息子だと思い出します。その豆腐屋の八太郎は、かつて自分の家で起きたゴタゴタを話したくてやって来たのですが・・・という「泣きぼくろ」。

次の客は年配の女性。桜の咲いている時にお話したいということなのですが、この女性の生家では村人が集まるお花見に一家の人は参加してはいけないというしきたりがあり・・・という「姑の墓」。

次の客は威勢のいい男性。ちっちゃな頃から悪ガキで十五で不良と呼ばれた亀一という男性は火消しの修行に入りますが途中で逃げ出し町飛脚となったのですが・・・という「同行二人」。

三島屋に「二葉家」という質屋が来ます。質流れになった着物や帯を買ってもらうためなのですが、今回は印半天を持ってきます。二葉家で奉公している女中が持っていたものらしく、三島屋で見ていただきたいとお願いしたそう。半天には襟に「黒武」、背中には四角に十字があります。黒武は武家の名前ではなく、背中の印は家紋でもありません。この半天をよく見ていると背中になにか布が縫い付けてあり、剥がしてみると「あ、わ、は、し、と、め、ち」と漆でひらがなが書かれています。呪文なのか異国の言葉か。富次郎は貸本屋「瓢箪古堂」の勘一に聞いてみることに。すると勘一は、調べるのに時間がかかるといって、しばらくして「あれはご禁制にふれるものだ」と報告。しかし二葉家の女中は異国の宗教の信者(キリシタン)ではありません。その女中(お秋)には奇妙な噂があり、ある日行方不明になり、三日後に戻ってきますが、その間のことは思い出せないというのです。そんな中、百物語の語り手に大急ぎでお願いしたいという客が。齢四十ほどの男で身なりは上等の着物なのですが髪は真っ白、体じゅうに傷跡と指も欠けています。喉も潰れています。さっそく話し始めますが、二葉家の女中(お秋)の知り合いで、件の印半天を三島屋に見てもらったことでお秋を叱った、というのですが・・・という表題作「黒武御神火御殿」。

 

全四話のうち一話から三話までは短編といえるほどなのですが、表題作の四話目は中編ほどでこの話だけで一冊分はありそうな量。いつからでしょうか、たぶん「模倣犯」のあとあたり、なんといいますか宮部みゆきさんの作風が変化したような気がしまして、文章の上手さは変わらず読みやすいのですが、全体的に「重い」テーマになってるなという印象がありまして、といっても終始絶望的な内容というわけではなくラストには光明を見いだせるようになってますが、どうにも重い雰囲気が漂っているような気がします。別に嫌になったわけではないんですけどね。

この投稿が今年最後にならないようもう一冊読みたいと思います。

 


宇江佐真理 『富子すきすき』

2022-12-11 | 日本人作家 あ

先週くらいからですか、関東南部は急激に寒くなって、出かけるときはコートを着てます。若い頃は暑いのと寒いのとどっちが苦手かと行ったら断然暑いほうで、むしろ寒くなるのは歓迎してました。ところが歳を取ってきますと寒さが身体にこたえてきまして、寝てる時に足のつま先が冷たくなってしょうがないので靴下をはいて寝るように。じつは歳のせいだけではなくて、若い頃はぽっちゃり体型でして、マックス体重は95キロあったこともあります。ぽっちゃりどころかブーデー。そりゃ暑いの嫌ですよね。でも今は痩せ型で体脂肪も10パーセント前後。体脂肪が少ないと風邪引きやすいんですよね。

暑さ寒さも彼岸まで。

気がついたら宇江佐真理さんの作品を3連続投稿してしまいました。まあこういうこともあるでしょう。この作品は短編集です。これといって特に共通のテーマはありません。

神田鍋町にある煙草屋「結城屋」の娘おゆみは、女中と古着屋が並ぶ道を散歩しています。病弱のおゆみはある古着屋の前で足を止め、大蛇のようなものが炎を吐いている帯を見つけます。店主に帯の由来を聞くと、これは俵藤太の百足退治伝説を描いた帯だといいます。俵藤太とは藤原秀衡のことで、平将門を討った武将。おゆみはこの帯を締めれば元気になれそうだということで買います。が、帯を締めること無く息を引き取り、おゆみの友達が形見分けでこの帯をもらうのですが・・・という「藤太の帯」。

深川佐賀町の干鰯問屋「蝦夷屋」の手代、弥助は薮入りで休みをもらいますが、どこにも行く宛がなく店にいると女中のおかなが声をかけます。おかなはこれから出かける様子。おかなは「いっしょに(堀留の家)に行こう」と誘います。堀留の家とは引退した岡っ引き夫婦の住む家で、子どもが独立した後、親のいない子どもを引き取って育てていて、弥助もおかなも堀留の家で育った仲。ふたりは堀留の家に上がって育ての両親に挨拶をすると「お父っつぁん」と呼ぶ鎮五郎は弥助を酒の相手にし、おかなと所帯を持てと・・・という「堀留の家」。

出羽米沢藩上杉家の出身の富子は吉良上野介に嫁ぎます。ところが赤穂藩士の討ち入りで主人は命を落とします。ふたりの間に生まれた長男は上杉家の養子、上杉綱憲になっていて、じつは討ち入りの日、綱憲は騒ぎを聞いて吉良家に援軍に行こうとしましたが、それを富子は止めます。もし加勢してたら上杉家は改易させられてたかもしれませんので結果的には良かったと富子は思います。ある日のこと、亡き夫の墓参りに行った富子はふたりの思い出に・・・という表題作「富子すきすき」。

吉原の引き手茶屋の奉公人、沢吉は、大身旗本家の用人の小原という武士が田丸屋の九重花魁を指名したので、田丸屋へ行くと「沢どんが直接聞きに行けばいいや」と言われます。じつは沢吉と九重は小さい頃からの知り合いで沢吉は密かに九重に想いを寄せています。ところが、今日は具合が悪いといって振袖新造(花魁のお付き)が小原の相手をしますが、小原は馬鹿にされたと思い刀を抜き・・・という「おいらの姉さん」。

木場の材木問屋「大野屋」の主人の息子、市太郎は、母親が病気になって息子の世話ができないということで、わがまま放題に育った市太郎を外に出して他人の世話になって鍛えようということで、浅吉という辰巳芸者の家でお世話になることに・・・という「面影ほろり」。

浅草、下谷車坂町にある長屋に住む手習い指南の先生、元武士の吉村小左衛門のもとに知人が訪ねてきます。その知人とは町奉行の同心で、捕まった盗賊の娘を預かってほしいというのですが、その娘は読み書きができないというので、小左衛門は断ります、ところが数日後、「吉村小左衛門の家はここか」と女が訪ねてきて「おれ、この家で居候することになった」というのですが・・・という「びんしけん」。

どれもハッピーエンドでも大団円でもなく、しんみりとする話。「おいらの姉さん」の中で、花魁(おいらん)の由来は諸説ありますが若くして吉原に売られた女の子は家族が恋しくて世話役の先輩女郎を「おいらの姉さん」と実の姉のように慕って呼んだことからそれを短縮して「おいらん」になったそうです。それを聞くと切なくなりますね。