やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

五月の庭でー

2007-05-13 | 大岡山界隈

 昨年植ゑたモンタナ・クレマチスが花をつけました。無理をしなくてもよいのに、義理堅く、小さな花を見せてゐます。






 黒椿 すっかり根付いて、けれど、黒味がすくなくまりました。






 昨年、植木市で安く買った西洋シャクナゲ。その横で、アズマシャクナゲは花をつけず、だんまりの姿で、また花をつけるまでに時間がかかりさうです。











コシアブラ、を頂く

2007-05-12 | 大岡山界隈

知人から、コシアブラを頂きました。

木の芽系の山菜では、タラノメがありますが、タラノメがあっさりとしてゐるのに対して、このコシアブラはその鮮やかな若葉色、羽毛のやうな軽やかさとは裏腹に、独特の風味(苦味といふよりは、えぐみに近いものかしらん)があります。
そのあたりが”山菜の王様”といはれる所以かもしれません。
クセになる味で、ここ山形では、タラノメよりもこのコシアブラを好む方が多いのもうなづけます。








昼食に、山菜ラーメンにして少し食しましたが、美味でした。
一本の樹が、冬を越したその生命力と、早春の山の水と空気が凝縮されたやうな、本当に味はひ深い風味でした(写真は、忘れてしまひましたー)。


インバルの『復活』

2007-05-11 | 音楽を
     

先日、月山道を走った時の車内の音は、インバルのマーラーの『復活』、でした。

グスタヴ・マーラーの前半の交響曲は、自然の姿を曲想に取り込んだものが多い。
それは、具体的な鳥の鳴声であったり、抽象的な壮大さであったりー。
風光明媚な場所にあったといふ彼のアトリエの前で、マーラーは弟子に、”目の前の景色は、すべて、私の第三番の交響曲に取り込んだよ”と云ったとかいふエピソードが物語るやうにー。

第二番の『復活』もまた、深い雪の果てに命を再生させてゐた月山の姿を見ながら聴くと、その音楽の有機性に感動する。
マーラーが三十代後半に、絶対の自身をもって作曲した、破天荒なまでの音の連なりが、峰々に吸い込まれる。


エリアフ・インバル指揮/フランクフルト放送交響楽団による1985年の録音。
この組み合はせによる、まさに絶頂期の録音です。
たった二日間で、この長大な曲を録音してゐます。
そのせゐか、とても演奏に一貫性が感じられる。

そのころは、マーラーブームのピークだったでせうか。
クラウディオ・アバドによる、精密だけれども、いまひとつ熱が伝はらない一連の録音の後に、インバルの精緻で、熱情的なマーラーの録音をすべて聴きました。
小生は、5番あたりまでの録音がすきです。


実演でのインバルによるマーラーの『復活』は、二度聴いてゐます。
都響への客演、そして、手兵のフランクフルト放送交響楽団とのものです。
17、8年前だったでせうか。サントリーホールでした。
演奏時間も90分を超えての熱演でした。ソリストの声がとてもよかった記憶が残ってゐます。
フランクフルトを去って、大きなポストに就いた話も耳にしませんが、その後のインバルは、どうしてゐるのだらうか?


植木市

2007-05-10 | やまがた抄

家人が里芋の苗が欲しいーとのことで、山形市の植木市に足を運びました。
400年ほど前から続くといふ、”お薬師さま”の春祭りに付随して起こったらしい植木市で、三日間で30~40万人の人出で賑はひます。
ちょっと覗いての帰りは、すでに駐車場はいっぱい、付近の道路も渋滞。

以前にも記しましたが、市の姿が以前とは変はってしまひ、確かに数万円から数十万円する植木をポンと買ふ人も少なくなり、小さな庭木や鉢物が多くなってゐます。
それでも、関東や名古屋、関西方面からきてゐる露天商の出店で道筋は埋まり(500ほどの店がでてゐるらしい、です)、色々な言葉が飛び交ってゐる店先の風景では、昔もかくやと思はせる、市の面白さを楽しめます。

小生等は、いつもの神社の横ではなく、30円安かった!他の出店でよい苗を見つけたので10本ほどを購入。


       
       
       

月山道を通る

2007-05-09 | やまがた抄

注連寺へ行くには、”月山道”を使ひます。
今の季節、その道すがらの景色は、生命が再生してゆく姿のやうです。
根元に雪を残しながらも、ブナの樹々は自らの体温?でその雪を解かし、早くも天に向かって新葉を出してゐる姿は、まったく、あっぱれです。















途中で、藪椿の姿を見ました。
数メートルにもなる雪に耐へて、根曲がりしながら、花をつけます。







湯殿山の桜

2007-05-08 | 櫻探訪

注連寺の七五三掛桜

今年最後の、桜めぐり、です。
湯殿山注連寺の境内にある七五三掛(しめかけ)桜。

樹齢200年ほどの、カスミ桜、です。
まったくに雪深い山郷に(まだ境内には雪も残り、桜の近くでは水芭蕉も見頃でした)、すっくと白い花を見せてゐました。

咲き始めは白く、散り際には桜色になるといふ桜です。
いつの日にか、その、色のついた姿をみたいと思ひつつ、またの楽しみを残してきました。


































境内の東側から、森 敦氏が見た月山と湯殿山が望めます。



途中の山道で見た、雪間の山桜。










ツバメ、アゲィン

2007-05-07 | 大岡山界隈


連休前に、ツバメの姿を見かけた、と家人が云ってゐました。
それでも、駐車場の小屋を注意して見てゐたのですが、巣作りをしてゐる形跡はなく、今年は、我が家には来訪しないのかしらん、と思ってゐたら、
なんと、今年は賃貸に!したやうです。

ツバメの生態には不詳ですが、おそらく、昨年巣立っていったどれかがつがひで再訪してくれてゐるのでせう。
見かけた夫婦は共に、少し痩せてゐました。
長旅の疲れで、新たな巣の作成を断念し、たどり着いた我が家の、一年前に親たちが作った中古巣で未知の日本の生活を始めたやうです。
(それとも、昨年作った巣はよく出来たから、それを再利用しろ、と親に云はれてきたのかしらん)

とまれ、連綿と続くのだらう彼等の無事を祈るばかりです。


孟春

2007-05-06 | やまがた抄

浅い春の山形市野草園で、花や芽の幾つか。







寒椿↓。
自生のものではないはずですが(自生のものは、花ももっと小さく、枝も雪に耐へられるやうにもっと枝垂れてゐますから)、椿の原型のやうなその姿は、やはり、素朴で美しい。
寒椿は新潟で有名ですが、山形でも一部自生してゐるところがあります。貴重な場所です。



















タラの芽とコゴミ↓。
見事なものですが、もちろん、採取はできません(泣)。






山形の桜 4

2007-05-05 | 櫻探訪
山形市野草園の桜

お天気が良いのも今日までとのことで、西蔵王の山形市野草園へ足を運びました。
園内の大山桜が丁度見頃で、嬉しい限りでした。

やはり、凛とした山の桜は、実によいです。





       





       























園内にある、冬桜(四季桜)↓。
昨年の初冬に花をつけ、半年後、ふたたびの花を見せてゐました。
見事な生命力です。




園内の峰桜↓。
小さな花ですが、蔵王の山を飾ります。










『月山』、を読む

2007-05-03 | 本や言葉

             

今年の桜の締めくくりは、注連寺の七五三掛のカスミ桜を見るつもりです。
まう、10年以上も想ってゐる桜ですが、咲いた時期に行くのが難しく、
今までその期を逸してゐて、
今年もまだ咲いてゐないやうです。

注連寺に行くとあらば、森 敦の『月山』を読まねば失礼ーと、読みました。
30年ほど前か、一度読みかけましたが、投げ出した覚えがあります。

が、今回はあっさりと読み終へ、また、読後感もよいものでした。
(年のせゐか、山形弁がわかるやうになったせゐかー)
文章も、主人公(森自身の投影でせう)の心情も、淡々と、飄々として、
ある意味、死を覚悟してさまよひ歩いた果ての月山の姿に、少し闇が解けてゆく姿が豪快な墨絵のやうに描かれてゐます。

今さらながら、まう少し、彼の作品を読んでみたくなりました。


ちなみに、
月山は、見る地域によってその姿をずゐぶんと変へます。
山形市側と庄内側でもかなり違ひますし、
”まるで月がでるやうな”姿は、確かに、肘折温泉の方角かもしれません。

小生の家の近くから↓



肘折温泉の近くから↓