やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

フリッチャイのモーツァルト、を聴く

2006-06-08 | 音楽を
 


          



久しぶりに、フェレンツ・フリッチャイのモーツァルトの交響曲を聴く。



41番と40番。ヴィーン交響楽団を指揮して、1960年、61年に録音されたもの。以前、輸入盤で買ったものでした。
48歳で、白血病で亡くなる数年前の録音。


LPの時から、この盤は録音が固く、聴きやすいものではありませんでしたが、
このCDでも、その音質はさほど改善されてもゐませんが、
ヴィーン交響楽団の演奏に、艶がまう少し欲しいな、とも思ひますが、
何故か、この、ゴツゴツとした激しいモーツァルトは以前から好きでした。
時代的な演奏スタイルがあるのでせう、
フリッチャイのベートーヴェンと同じく、激しく、強い演奏です。


ディスクは41番から始まりますが、その終楽章を聞くと、
まさにこれはフーガなのだ、といふのがよく解ります。
ヌメッとした演奏では聴こへない、音の遁走と対立。
強打されるティンパニや、ぶ厚い響きを出す低音の弦。
ギリシャ彫刻の端正なジュピターではなく、
深い森の、巨木のやうなジュピター!


40番も、流麗や華麗さとは程遠い、無骨なまでの演奏です。
ある意味、時を同じく、密かにベルリン・フィルの指揮者を狙ってゐたカラヤンとは
まったく対照的な演奏です。

だが、しかし、カラヤンの、あの無残なモーツァルトの演奏を聴くのであれば、
この録音バランスの悪い、けれど、モーツァルトを想ふに過不足のない誠実な演奏で充分な気がします。
中間の章の、きざはしを上がるやうなゆっくりとした音の組立の後、終楽章は、ひとつの世界を閉じるやうに、をはりへと向かってゆきます。




(写真は、CDより)