久しぶりに、フェレンツ・フリッチャイのモーツァルトの交響曲を聴く。
41番と40番。ヴィーン交響楽団を指揮して、1960年、61年に録音されたもの。以前、輸入盤で買ったものでした。
48歳で、白血病で亡くなる数年前の録音。
LPの時から、この盤は録音が固く、聴きやすいものではありませんでしたが、
このCDでも、その音質はさほど改善されてもゐませんが、
ヴィーン交響楽団の演奏に、艶がまう少し欲しいな、とも思ひますが、
何故か、この、ゴツゴツとした激しいモーツァルトは以前から好きでした。
時代的な演奏スタイルがあるのでせう、
フリッチャイのベートーヴェンと同じく、激しく、強い演奏です。
ディスクは41番から始まりますが、その終楽章を聞くと、
まさにこれはフーガなのだ、といふのがよく解ります。
ヌメッとした演奏では聴こへない、音の遁走と対立。
強打されるティンパニや、ぶ厚い響きを出す低音の弦。
ギリシャ彫刻の端正なジュピターではなく、
深い森の、巨木のやうなジュピター!
40番も、流麗や華麗さとは程遠い、無骨なまでの演奏です。
ある意味、時を同じく、密かにベルリン・フィルの指揮者を狙ってゐたカラヤンとは
まったく対照的な演奏です。
だが、しかし、カラヤンの、あの無残なモーツァルトの演奏を聴くのであれば、
この録音バランスの悪い、けれど、モーツァルトを想ふに過不足のない誠実な演奏で充分な気がします。
中間の章の、きざはしを上がるやうなゆっくりとした音の組立の後、終楽章は、ひとつの世界を閉じるやうに、をはりへと向かってゆきます。
(写真は、CDより)