どうも、産まれたヒナは、4羽らしい。
物音がすると、餌をねだって、頭より大きいやうな口ばしを巣から出す。
蚊の啼くやうな、声も聞こえだしました。
日曜日だからでせうかで、親鳥も一緒のところを撮ることが出来ました。
それでも、小生の方向を警戒して、にらみ付けてゐるのがよくわかります。
親鳥は、当然(?)母鳥でせうから、父鳥はー、といふと、さっぱり姿を見せません。
時折、気が向いたやうに姿を見せてゐますが、
しっかりと餌を運んでゐるのか、”義務”で確認に来てゐるのかー。
「どの世界でも、父親って同じー」
と、力説する家人の言葉に、言葉すくなに反論はしてはみたものの…。
ここには、必死になって、”命”を育てる、生き物の本能があります。
人間は、日本人は、いつから、こんな姿を忘れてしまったのだらうか?
昨今、小生等には、理解への努力はするとしても、同情し難い事件が続いてゐて、
親が子を殺し、子が親を殺し、
果てに、投棄する、火を付ける、といふ、昔であれば、末法のやうな世界に突入してゐるかのやうです。
我が家でも、紆余曲折はありました。
父親としての小生も、先のオヤジ燕の如くー、ではありましたが、皆、それぞれにきっと消えないだらう小さな傷を受けながら、何年先になるかわからない、巣立ちの時へ向かって這ってゐます。