仕事場を移転することにしたので、
慌しく時間に追はれてゐます。
小物を運んでゐる最中、車内ではルドルフ・ゼルキンのモーツァルトを
聴いてゐました。
第21番と第23との組み合はせ。
1982年の秋、ゼルキン79歳! の時の録音。
バックは、クラウディオ・アバド指揮のロンドン交響楽団。
アバド指揮のロンドン響が、いまひとつ面白くないけれど、
ゼルキンのピアノは、硬めの音色ながら、ひととき時間を開放してくれます。
まったくに無骨といふやうな演奏で、華やかさや流麗感は微塵もない。
よもや、そんなものは自分には必要ない、と云はんばかりの演奏です。
モーツァルトのピアノ協奏曲として、それほど話題にあがったこともなかった
やうに記憶してゐますが、それでも、一連の録音の第27番とともに、
ときをり聴く彼のモーツァルトは、ウム、と黙り込んでしまふほどに、
冬へと向かふ季節にモノトーン的な演奏で小生を救ってくれます。
慌しく時間に追はれてゐます。
小物を運んでゐる最中、車内ではルドルフ・ゼルキンのモーツァルトを
聴いてゐました。
第21番と第23との組み合はせ。
1982年の秋、ゼルキン79歳! の時の録音。
バックは、クラウディオ・アバド指揮のロンドン交響楽団。
アバド指揮のロンドン響が、いまひとつ面白くないけれど、
ゼルキンのピアノは、硬めの音色ながら、ひととき時間を開放してくれます。
まったくに無骨といふやうな演奏で、華やかさや流麗感は微塵もない。
よもや、そんなものは自分には必要ない、と云はんばかりの演奏です。
モーツァルトのピアノ協奏曲として、それほど話題にあがったこともなかった
やうに記憶してゐますが、それでも、一連の録音の第27番とともに、
ときをり聴く彼のモーツァルトは、ウム、と黙り込んでしまふほどに、
冬へと向かふ季節にモノトーン的な演奏で小生を救ってくれます。
イ長調k.488は,k.595とともに私の大のお気に入りです。
勿論,ゼルキンのDG盤も持っています。
仰るとおり,伴奏がいまいち面白くありませんが,多分ゼルキンのピアノにアバドがぴったりと付けたからなのでしょう。
実演で,ポリーニやブレンデルに付けたアバドの棒はそれは溌剌としたものでしたから・・・。
ただ,k.488に関してですが,個人的には,ハイドシェックやカサドシュのような早めのテンポが好きです。
イェーネ・ヤンドゥーの弾いたNaxos盤がことのほか聴き応えがありました・・・。
今度は,グルダ(アーノンクール指揮のテルデック盤)を聴いてみたいです。
k.466,467,595は絶品でしたので・・・。