やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

「空木」

2005-11-07 | 神丘 晨、の短篇
   2

「社長、どうかしたんですか?」
 小原由理子の声に驚いて、千都子は右手のマウスを押した。パソコンの画面から図面が消えた。慌ててカーソルの矢印を〈戻る〉のところへ移動させた。
「ビックリするじゃない」
「だって、さっきからフリーズしちゃってるんですから」
 由理子は、壁紙のサンプルに付箋を付けながら言った。
「この前の蔵王のペンションの話、うまくいかないんですか? あれが入るといいなと思っていたんですけれど」
 由理子は、千都子を助けるかたわら、会社の経理もみていた。
「大丈夫よ。予算は少し厳しいけれど、同行してくれた芹沢さんがうまく間にはいってくれて、来月には受注になるわ」
「何だ、うまくいってるんじゃないですか! でも、芹沢さんて、一寸訳が解らないけど、頼もしいところがありますよね。しっかりと自分の世界というか、牙城を守っている感じがするけど、妙に人なつっこい所があるような気もするし。職人さんっていう感じだな」
 由理子には、芹沢は協力業者のひとりだった。
「社長、一緒になってくださいよ、芹沢さんと。インテリアとエクステリアと、そうなれば〈工房プランツ〉も鬼に金棒だわ」
 由理子は、いかにも可笑しそうに笑いながら言った。
「何をバカなことを言ってー。人様を商売の道具にするものじゃないわ。内と芹沢さんがお付き合いを始めて、まだ一年にもなっていないのに」
 由理子は舌を出しながら、「三田さんの所でクロスの打合せをしてきます」と言って事務所を出た。
 芹沢は、もう結婚するつもりはない、と言っていた。死別なのか、生き別れなのか、千都子は知らなかった。酒が入っても、芹沢は自分の過去を話さなかった。そして、先の話もしなかった。
 千都子は、そんな芹沢の姿に「ずるいわ」と幾度も声をあげた。その姿を非難するより、芹沢の存在感が千都子の中で上回っていた。
 交通事故で死んだ夫の会社をひき継いで十年が経っていた。小さな会社だったが、千都子には維持して行くだけで精一杯だった。その心労を掻き消すように、数人の男と付き合いをもった。
 千都子が芹沢と付き合いだして一年ほどだった。知人から紹介された山形市内の改装工事の現場で庭の改修をしていた。
 知人は「センスは良いけれど、一寸変わったヒトでね」と付け加えた。千都子は、壁紙の打合せを進ませながら、庭の芹沢の姿を盗み見ていた。
 芹沢は、椿の根元に下草を植え込んでいた。ひと株ひと株時間をかけて選び、 ゆっくりと植え込んでいた。その姿が眼に焼きついて、千都子は翌日知人に連絡先を聞いた。庭の改修も同時に頼まれたからー、と言った。住まいは仙台の郊外らしかった。

「話がしたいの、時間作れる?」
 千都子は、由理子が事務所を出るのを見届けると芹沢に電話を入れた。
「話? 時間? 何かトラブルでも起きたか、それとも気まぐれ?」
「茶化さないで。少し、頭が痛いのだから」
 千都子の声に、芹沢は恐縮したように、すまんと言った。
「貴方も共犯者なんだから」
「穏やかでないね」と言いながら、芹沢は曜日と時間を指定した。
 娘の章子は、日曜日から千都子を避けていた。昨日、千都子の携帯電話に章子からメールが入っていた。
今付き合っている人と会って話がしたい。私だってこの前のことの説明を亮平にしなければならない。その前に私自身が、お母さんが付き合っている人と話をし、説明を受けなければならないと思う。
私の義理父になるのかもしれないのだから。
 千都子は、章子の申し出をもっともだと思った。しかし、どうやって芹沢に話したらいいのかを考えると、自分の決めかねる気持ちだけが前に出てきた。

 三日後、山形駅で千都子の車に乗ると、芹沢は「俺が運転するよ」と言って高速道路に向かった。月山の裾を降りきると、竹林のある寺に着いた。
 毛氈の敷かれた縁側で、千都子は柱に身体をもたせてため息をついた。開け放たれたガラス戸の空間に枝垂桜が見えていた。
―まるで、額縁の中の絵のようだ。
 苦笑しながら、千都子は回りを見渡した。観光客らしき姿は無かった。枝垂桜の奥に小さな滝が見えた。静か過ぎる境内で、その水の音は千都子を苛立たせた。
―確かに、こんな所に五年も居れば、男も女も無くなるかもしれない。芹沢は、それを言いたくて連れてきたのかもしれない。
 芹沢は、千都子の視線の先で写真を撮っていた。池の水面を覆うように咲いている黄色の小さな花だった。
「何を撮っているの?」
「コウホネだ」
「こうほね?」
「ああ。河の骨と書く」
「花の愛らしさに比べて、随分とグロテスクな名前ね」
「ウム。水連の一種で、水の中の茎が骨のようなのでそんな名前がついたらしい。物の名前には、好き嫌いはあるかもしれないが、皆その由来があるものだ。それを甘んじて覚えることが大事なような気がする。今時の住宅地の名前のように、安易に何とかが丘とか付けて気持ちを良くしているのは、役所の連中だけだ」
「何か、役所の人に恨みでもあるような言い方ね。でも、今は仕事を取るのが大変なのよ。お客さんが欲しがっているものがすべてよ。
余計な講釈は邪魔になるだけー」
「確かに貴方の言うとおりだ。だから俺はー」
「だから?」
「いや」と言って、芹沢は広縁を離れ、境内の散策路をゆっくりと歩き始めた。時々止まって木の根元にカメラを向けていた。
 何の話も出来ない。これは、私の問題なのだ。あの人と章子が会ったからといって、私の気持ちが変わるわけでもない。章子が芹沢と話したからといって、私の気持ちが変わるものでもない。
 千都子は、自分自身にすこしうんざりしながら畳の上に身体を投げ出した。章子が送ってきたメールの日付は、明後日だった。