やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

実りの秋

2005-09-17 | やまがた抄

お彼岸の前後は、稲刈りの時期でもあります。
果樹は色々な被害もありましたが、稲作は順調に育ち、
そろそろ、稲刈りが始まってゐます。

山形市西部の田園地帯ですが、あちこちにソバの畑が増へてゐます。
減反、転作政策の結果です。
ソバを作りたいのではなくて、補助金がソバが多いやうです。

役人といふものは、「オレは知らんよ」と云ひながら、
しっかりと、確実に、景色を変へていってしまふものです。

秋のクレマチス

2005-09-16 | やまがた抄

アレンジメントの仕事に、流木を使ひたく、
知人の所へ貰ひにゆきました。

居間の出窓から、季節外れに、クレマチスがひとつ花をつけてゐました。



空は、早くも冬に向けての、底抜けの蒼さを見せ、
天高く、クレマチス延びる、の図になってゐます。




枯れ椿

2005-09-15 | 神丘 晨、の短篇

女は、公園に逃げ込むやうに入ると、ベンチに深く身を沈めた。
男とは、いつものやうに「左様なら」とは云はないで別れた。
女が、唯一男に頼んでゐることだった。
それを聞くのは最後の一回でいい、と思ってゐた。
「少女のやうな頼みごとだな」と男は笑って約束した。
逢ふたびに、互いをいとおしむやうな別れは嫌だった。
その気持ちを引きずるだけで、一層の辛さがました。

女が顔を上げると、枯れかけたやうな椿の木が見へた。
中央の幹を見放したやうに、ひこばゑが出てゐた。

この木は枯れ果ててゆくのか。
それとも、再生してゆくのか。
男と別れられない自分が惨めだった。
結論を出せない自分の弱さに嫌気がさした。

でも、一年後にこの公園に来て、答へをださう。
女は、椿の根元を見つめながらさう思った。

照れる、な

2005-09-14 | やまがた抄
せっかくツバキの葉の上でひと休みしてゐたのに、
庭の主人が葉をかき分けて機械を向けてきた。
白玉、といふ種類のツバキらしいけれど、
葉の色は僕の身体の色にぴったりなんだ。

いつもは後ろ姿きり撮らないのに、今回は大胆にも
僕の顔の前にまで丸く光るガラスが迫ってきてゐた。
僕の庭だから、逃げる必要もないし、まあ、いいか。

カシャ!

夏終、秋始

2005-09-13 | やまがた抄

夏の終はりになって、違ふ色の朝顔が花をつけてゐました。




実生の種なので、先祖返りしたのか、気まぐれなのか。
家人が、予定してゐたのは確かこの色だった、と云ってましたが。


玄関先に、シュウメイギクが花をつけました。

     

日差しを求めて、ひょろひょろと天に向かってゐます。


駐車場の横、ヤマボウシの実が色付き始めてゐます。



今年は、狂ったやうに花をつけましたので、この紅い実も落下すると大変です。
以前はよく食べたりもしましたが、最近は見上げるばかりでー。


ブリュッヘン/18世紀オーケストラ演奏会

2005-09-12 | 古きテープから
1991.5.16 ウィーン・コンツェルトハウス大ホール
指揮:フランス・ブリュッヘン/18世紀オーケストラ
   Cl:エリック・フーブリッヒ
プログラム:①モーツァルト/交響曲第31番「パリ」
       ②  ”    /クラリネット協奏曲
       ③  ”    /交響曲第38番「プラーグ」
  
久しぶりに聴いた18世紀オーケストラの音は、やはり新鮮でした。
80年代の初め、ブリュッヘンのコンセプトのもとに設立された同オーケストラは
、10年後のこの演奏会のやうに、80年代末の録音等を経て、まとまりと自信を確保してゐたのかもしれない。

”当時の音と演奏を再現”と云っても、それを図る為のすべはなく(資料はあったとしても)、やはり、指揮者や奏者のコンセプトや力量に負ふ処が多いのは当たり前かもしれません。
さういふ意味では、やはり、ブリュッヘンといふ音楽家は、傑出してゐます。

メリハリの強い31番の演奏に続いて、クラリネット協奏曲が素晴しい。
オリジナル楽器なので、音量はやせて小さく、ふくよかさも足りないけれど、
ある意味、このK622(死の年、それも2カ月ほど前に出来た作品)によく云はれる、諦めや祈りのやうな演奏ではなく、きっちりと前を見定めた演奏です。
生きる、生きながらへる意志を伴った演奏です。

妻コンスタンチェは30歳を前に夫に先立たれ、狂はんばかりに嘆き悲しんだ後、
二人の息子と共にたくましく生きながらへてゆく。
小生は、このあたりの話に大変興味があり、調べてもゐるのですが、そのたくましさ(女性ゆゑ?)につながってゆくやうな、つよさが印象的な演奏です。

プログラム最後の38番の交響曲は、曲の最初から壮大な祝典的な演奏を目指してゐます。
《フィガロの結婚》を熱狂して受け入れてくれたプラハの人達への手持ち土産的なこの交響曲は、あるひは、こんな演奏がイメージに近いのかもしれません。

31歳の、得意満面のアマデウスの笑みが、拍手を待ち切れずに聞いてゐるプラハの聴衆の姿が浮かぶやうな演奏です。

そして、この頃を境に、峠を越へたやうに、アマデウスの生活も変はり、作風も野望から他の追随を許さない軽みの世界へ入ってゆくのですが、それが見へ隠れしてゐるやうな演奏でもあります。


      

ソバの花、咲く2

2005-09-10 | やまがた抄

県南のお客さんの所へ行く途中、立ち寄った公園。
大きな駐車場のまはりに、街路樹ならぬ、ソバを植ゑてゐました。
花の時は過ぎ、辺りの畑でも間もなく刈り取りが始まり、
そして、新ソバに生まれ変はります。

この公園では、職員の人達ばかりで、新ソバを食するのだらうか?
それは、余りにも、特権すぎる話、だなー。

イチイの実

2005-09-09 | 花や樹や

今週から仕事をさせて頂いてゐるお客様の庭先に
イチイの実が沢山ついてゐました。

我が家にも1本あるのですが、今秋はまだゆっくりも見られず、
お客様の処で楽しませてもらひました。
一位と書く、高貴な樹です。
昔、貴人が手にもったひしゃくのやうなもの?をこの樹で作ったので
さう云はれてゐるさうです。

病を得てゐたご主人を無くしたばかりで、工事も延期してゐたのですが、
落ち着いたのでと、現在させて頂いてゐます。
すっかりと、ガランとなってしまった茶の間から見る庭に、
老妻の興味も惹かれないまま、赤い実を沢山つけてゐました。