やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

もっと「小野幸吉」をー。其の弐

2005-05-21 | 絵をみる
            風景(未完)

山形に移り住んですぐの頃、先輩から新聞の切抜きが送られてきました。
「小野幸吉」といふ、才覚あふれる絵を描くひとだ、と添へてありました。
切抜きの写真は、「ランプのある静物」シリーズの一枚でした。

6、7年前に「酒田市立美術館」で「小野幸吉展」があり、飛んでゆきました。
会場に入ってすぐ「ヴラマンク?!」と驚き、食ひ入るやうにすべての
作品を眺めた記憶があります。
(ヴラマンクは以前から好きな画家です。尚、友人の知人のフランス人に
 よると、ブラマンクと発音しても誰のことかわからないとのことで、
 フランス語の発音は相当難しいやうです)

初期の作品から、ほとばしるやうな筆遣ひが溢れてゐます。
当時、フォービスムの輸入ではあったのでせうが、
早くも模倣の時期を飛ばし去ったやうな存在感がありました。

その後、酒田市の「本間美術館」でも幾度か見てゐます。
ただ、実際の制作活動が4年あまり、残された60数点の作品は、
小野幸吉の、余りにも短い人生を象徴するやうにわずかなものです。


もっと「小野幸吉」をー。其の壱

2005-05-20 | 絵をみる
             「ランプのある静物(C)」1929


1909年(明治42年)3月 山形県酒田市に生まれる

1925年(大正14年)   酒田中学校を退学。 上京

1930年(昭和5年)1月  死去(20歳と10ヶ月の命)

1930年協会の仲間に、佐伯裕三、里見勝蔵、小島善太郎、林武、前田寛治等がゐる。
昭和初期の、日本を代表するフォーヴの画家。

作品の多数が、酒田市の本間美術館に寄託されてゐる。    

笹谷峠で桜

2005-05-19 | やまがた抄

所要で仙台へ向かふとき、
新緑の美しさを楽しみながら道を登ってゐたのですが、
街道沿ひに今が盛りの里桜(八重桜)の列が見られました。

峠付近(新道)では、まだ山桜が花を残してゐて、
新緑に解けるやうに今年の花を終へんとしてをりました。

山菜取り好きな小生としては、一寸この辺でとゆきたい処でしたが、
さうもいかず、数枚の写真で我慢しながら道を下りはじめました。

山形は、一方は海、三方は山に囲まれてゐます。
山形市付近で考へると、四方とも山に囲まれてゐます。
天候も、峠ひとつで劇的に変化します。
山形側は雪で、宮城側は晴れなんてことはよくあることです。
そんな変化も、ひとつの楽しみになります。(^ ^♪

イカリソウ

2005-05-18 | 花や樹や

我が家のイカリソウ。

これも、ある日花が咲きだしました。
すぐ横には、カシの樹が芽を出し、30センチほどまで育ったのですが、
流石に、カシの樹はー、と数年前に抜いてしまひました。

どれも、鳥たちが運んできたものでせう。

お金が運ばれてくることは(実は、密かに願ってはゐますがf^_^;))
ありませんが、それでも、小生の知らない常連の鳥が
庭先の枝でひと休みを楽しみとしてゐるのであれば、
貧乏な生活ですが、まあ、よしとしませう。

チゴユリ

2005-05-17 | 花や樹や

我が家のチゴユリです。

買った覚へも、植ゑた覚へも無いのですが、いつからか
初夏の庭先にイカリソウと争そって咲き出します。

鳥が運んだものと思ひますが、清楚で可憐な花の姿に似ず、
図太い繁殖力が好ましく、とても好きです。

すぐ横に、カンアオイがひと株あるのですが、これが非常に成長が遅く、
半径数百メートルくらゐしかその繁殖能力がない、
と何かで読んだ時には、その植物としての能力を疑ひ、
けれど、その頑固さ(?)とひ弱さに別の意味の愛情を感じたものです。

街並み

2005-05-16 | やまがた抄
週末に、山形市のシンボルタワー、霞城セントラルで会合がありました。
23階の一室でした。
ビルには幾度も行ってますが、最上階近くは初めてで、
少し早めに着いたので展望を楽しんでゐました。

さして美しいと思へる街並みではありませんが、まずまずだな、と
幾枚か写真を撮りました。
瀧山に抱かれるやうに(蔵王は山形市街からは見へません)、
誇れるほど大きくは無く、卑屈になるほど小さくも無く、こじんまりとしてゐます。

以前、デザイン会議が山形市で開催されたとき、「山形はスカイラインが低いですね」
と見下ろすやうに云った講師がをりました。
彼は、バベルの塔の林立が”都市”とでも云ひたかったのでせうか。

たしか、東京ではバブル景気のの後遺症が始まりだした頃でした。
ポスト・モダン、ポスト・モダンと浮かれたやうに騒がれ、
あらゆる分野に建ってしまった建物が、現在も尚、本当に建築自体の美しさを
誇ってゐるかどふかと思ふと、全国に広がった歪んだ都市化の罪を
思はない訳にはいきません。





クレマチス/モンタナ

2005-05-15 | 花や樹や

「モンタナが咲きましたよ」と、お客様から連絡をもらって見に行きました。

昨年、別のお客様の庭をプランしてゐる時に、ぜひこの花を使ひたいと思ひ、
連絡を頂いた花好きの方とあちらこちら見に行きました。

プランをしたお客様は事情があって延期になってゐるのですが、
同行された方が苗を買はれ、今年早くも花をつけました。

車庫の入口を左右からモンタナで囲ひませう、と苗を二本求め、
それほど条件がよいわけでもない処に植ゑたのですが、
丹精に手入をされたのでせう、二本とも花を付けました。

正直、平地では中々難しいのかなと思ってゐたのですが、
見事な花つきを見せて頂いて感謝しました。
来年には、二本がつながって花飾りのやうになると素敵ですねと、
新たな楽しみが増へました。

鴨居 玲の自画像

2005-05-14 | 絵をみる
絵を見るときに、基本的には何の前知識も持たないで見ます。
初めて入る美術館も、企画展も、チケットだけを手に持って見ます。
入口で頂くパンフレットも見ません。
そのまま、会場をひと巡りし、
出口近くまで行って気になるものがあったらまた戻ってきます。
天邪鬼の極みでせうか。(^_^;)

鴨居 玲の絵もそんな風にして見ました。
激しくその画風を変へながら、
やはり足を止めたのは数多い自画像、と自画像風な老人の絵でした。

息が詰まるやうに描かれた、自虐的なそれらの絵は、
けれど、風光明媚な山河の絵を何千枚並べても
足元に及ばないほど、強く刺さってきます。

笑顔の素敵な(まう、亡くなってゐますが)作者の中に、
技なのか、傷なのか、小生のやうな凡人には計り知れない
暗がりが宿ってゐるやうな自画像です。
 

マッコイ・タイナーの「サハラ」

2005-05-13 | 書棚のジャズアルバムから


師コルトレーンと袂を分かって7年、コルトレーン・カルテットの
ピアニストだったマッコイ・タイナーが1972年に世に問ふたアルバムです。

コルトレーンの死後10年くらゐの時に、メモリアルコンサートでタイナーの
演奏を聴いたことがあります。とてもつまらない演奏でした。
日本でファンの多かったコルトレーンの、死後も商売に結びつけたやうな企画で
演奏も気の乗らないものだった記憶があります。

コルトレーンの残された映像を見ると、マッコイ・タイナーは他のメンバーに
較べて、冷静にピアノに向かってゐるやうに見受けられます。
僧のやうにサックスを吹くコルトレーンの姿を、タイミングを計りながら見つめてゐます。
その彼が、何故、師の元を離れたのか?
否、何故、師を見棄てたのか?

コルトレーンに最後まで付き合ひ、ひとりひっそりと死んでいった
ベーシストも興味深いけれど、30才前のタイナーの心情にも興味は尽きません。

このアルバムは、一曲目から全奏のやうに曲が始まります。
その演奏は、奇しくも1960年前半の絶頂期のコルトレーンの演奏に似て、
この時点では、コルトレーンのきはめて真っ当な直系者なのがわかります。

大げさに例へると、師イエスを見放した弟子達の、その後の姿のやうにも見へます。
後年、彼らが気が付くと師の教へを説いて回ってゐた姿のやうにー。




黒侘助

2005-05-12 | 花や樹や

我が家の、黒侘助です。


花付が悪くなったので、敷地の東側に移植したら、
余計な心配をするほど蕾が付き、咲き始めてゐました。

園芸店の人が「今ひとつ人気がない…」と云ってゐたのを、
天邪鬼の小生が好んで求めたものです。
知人の、茶道の先生に「黒侘助? あら、いいち"ゃない!」
と云はれ大事に育ててゐます。

移植したせゐか、以前はもっとチョコレイト色をしてゐたのですが、
紅色が強くなってしまったやうです。
それでも、一輪挿しにはもってこいの風合ひです。