風景(未完)
山形に移り住んですぐの頃、先輩から新聞の切抜きが送られてきました。
「小野幸吉」といふ、才覚あふれる絵を描くひとだ、と添へてありました。
切抜きの写真は、「ランプのある静物」シリーズの一枚でした。
6、7年前に「酒田市立美術館」で「小野幸吉展」があり、飛んでゆきました。
会場に入ってすぐ「ヴラマンク?!」と驚き、食ひ入るやうにすべての
作品を眺めた記憶があります。
(ヴラマンクは以前から好きな画家です。尚、友人の知人のフランス人に
よると、ブラマンクと発音しても誰のことかわからないとのことで、
フランス語の発音は相当難しいやうです)
初期の作品から、ほとばしるやうな筆遣ひが溢れてゐます。
当時、フォービスムの輸入ではあったのでせうが、
早くも模倣の時期を飛ばし去ったやうな存在感がありました。
その後、酒田市の「本間美術館」でも幾度か見てゐます。
ただ、実際の制作活動が4年あまり、残された60数点の作品は、
小野幸吉の、余りにも短い人生を象徴するやうにわずかなものです。
山形に移り住んですぐの頃、先輩から新聞の切抜きが送られてきました。
「小野幸吉」といふ、才覚あふれる絵を描くひとだ、と添へてありました。
切抜きの写真は、「ランプのある静物」シリーズの一枚でした。
6、7年前に「酒田市立美術館」で「小野幸吉展」があり、飛んでゆきました。
会場に入ってすぐ「ヴラマンク?!」と驚き、食ひ入るやうにすべての
作品を眺めた記憶があります。
(ヴラマンクは以前から好きな画家です。尚、友人の知人のフランス人に
よると、ブラマンクと発音しても誰のことかわからないとのことで、
フランス語の発音は相当難しいやうです)
初期の作品から、ほとばしるやうな筆遣ひが溢れてゐます。
当時、フォービスムの輸入ではあったのでせうが、
早くも模倣の時期を飛ばし去ったやうな存在感がありました。
その後、酒田市の「本間美術館」でも幾度か見てゐます。
ただ、実際の制作活動が4年あまり、残された60数点の作品は、
小野幸吉の、余りにも短い人生を象徴するやうにわずかなものです。