先日、TVで『たそがれ清兵衛』を放映してゐましたが、
小生も数回目ですが、やはり、よい映画です。
格好よすぎて、”たそがれない”主人公に不満がー、などといふ意見もあったやうですが、山田監督の細かなディテールへのこだはりが、やはりこの映画を素敵にしてゐます。
何よりも、宮沢りえの美しさが際立ちます。
小生の敬愛する、ジュリエッタ・マッシーナにも似た、哀しい美しさを出せる名優だと常々思ってゐます。
そして、田中眠の怪演です。
独特の低い声。竹光と聞いて、一瞬にして殺意をだす目の動き。そして、舞踏家ならではの、舞ふやうな美しい死に様の姿。見事、です。
先日、庄内地方出身の人と話してゐて、「あんな話し方、しないがなぁ」と云ってゐましたが、
確かに、鶴岡の知人は、やはらかい庄内弁を話しますが、映画の中の言葉とはすこし違ってゐるやうに思ひます。
ただ、以前に鶴岡の旧家の雛祭りを見に行った時に、
案内の老婦人が「…でがんす」と話してゐて、
一緒に伺った人たちと顔を見合はせて、「やはり…」と納得したことがありました。
美しい映画ですが、
不満は、視点が娘のそれになってゐて、結果、ラストのシーンが小生には違和感があり、父は幸せでしたとさ、みたなエンディングになってしまったこと。
それと、時代の背景が幕末末期となってゐますが、その緊迫感がまるで感じられないこと。
やがて、清兵衛のやうな庄内藩の武士達は、屈強な、当時国内最強の軍として不埒な時の新政府軍と戦ってゆくわけですからー。