15年以上前、仕事も住まいも山形へ移し、
(別に、トラブルがあった訳でもないのにー)
まだ、誰ひとりとして知人も友人もゐない街で、
そして、カーテンすらない部屋で無性に聴きたくなった音は、
ブルノ・ヴァルターのモーツァルトでした。
コロンビア交響楽団との、40番と41番。
そして、ヴィーン・フィルを指揮した25番。
3月も下旬に近かったのですが、関東に生まれ落ちた小生にはまだうすら寒く、
そのヴァルターの、時代的な、でも、やはらかな演奏にひと時救はれました。
モーツァルトの音楽に、余計な解釈は不要だ、といつも思ってゐます。
演奏会であれ、ディスクであれ、CMであれ、流れた途端に
楽しければ、それでよし。
踊りたくなったら、それもよし。
笑ひたくなったら、
哭きたくなったら、
その音楽と共に、そのまま感情に身をまかすがいい。
時代が落とした、一介の、
きっと、小生意気な音楽家(コック長より席は下なのに)の音は、
何といふ幸せな巡り合はせなのだらう、
東の果ての雪国で暮らす小生の、
毛細血管の末端まで生き存へる力を与へ続けてくれてゐます。
そしてまた、
モーツァルトの音楽と共に、山形にきてこそめぐり会へた多くの方々に、
感謝をささげなければなりません。