rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

人材軽視を改めよ

2008-12-30 16:07:44 | 社会
第二次大戦の大きな反省の一つに人命軽視があります。優秀なパイロットを育てるには年余の日数がかかるのに飛行機の装甲は薄くし、行方不明のパイロットを十分捜索することもありませんでした。台湾航空戦などパイロットの浪費とも言える作戦も平気で行いました。パイロットに限らず「お前達の代わりはいくらでもいる。」とばかりに貴重な日本国民を無駄死にさせ、負け戦になると捕虜にさせず万歳突撃や自死を強要しました。これはいかに死ぬかに美学を求める武士道の影響もあるのでしょうが、「人命軽視」と共に「人材軽視」の風潮が日本にあったからであることは否めない事実と思います。

戦後「人命は地球よりも重い」ことにはなりましたが、残念ながら「人材軽視」の伝統は現在も続いています。今話題になっている派遣労働者の首切りも、本来技能を身に付けた人材が売り手市場で働きやすいように人材派遣法ができたのに、90年代の終わりに単純労働に派遣業を拡大適応したことで奴隷の売り買いと同じ感覚で「人材」でなく「労働力」を買う買い手市場の法律に変わってしまいました。単純労働であっても正規雇用をして生活を保証することが愛社精神を育て独自の改善を生み出し熟練工に育ってゆくインセンチブが芽生えていたのであり、それが日本の製造業の発展を促す原動力であったはずです。経営者たるもの人件費を削って経費を浮かせるのは最も最後に行うべきことであるというのが日本の伝統であったはずですが、現在の経団連に属するような企業経営者達にはそのような「経営者道」などかけらもなく、目先の利益を上げるのが良い事と本気で考えてしまっているようです。

医学部入学から一人前の医者を育てるには10年、外科医は15年かかりますが、医療を行った結果が悪ければ医者を犯罪者にしてしまえば良い、という考え方も「人材軽視」に立脚していることは明らかです。勤務医不足の対策が現在働いている勤務医を大事にするのでなく、医学部の定員を増やす事だとする結論にも「人材軽視」の思想が脈々と流れています。

「お前達の代わりはいくらでもいる」など言っている本人にも何の根拠もない言葉でしょう。「君たちの代わりはいない、君たちはかけがえのない人材だ」というのが正しい。今の日本には正規労働に就けない若者たちが溢れている一方で介護福祉など人材不足に悩んでいる職種が沢山あります。政府のやるべきことは、人材不足の職種に若い人達が就いて暮らしてゆけるような予算的裏付けをすることです。また農林漁業のように国家戦略として日本の将来のために育ててゆかねばならない分野に若い人が就けるような環境整備を行うことも大事です。それらはすぐには収益が出ないでしょうから国家予算の持ち出しになることは明らかですが、本来国家予算とは民間では収益が上がらずできないような国家戦略的事業のために使われるものです。効果も不明な全国民への金の一律支給よりは、戦略的な若者達の正規雇用の創出の方がよほど内需拡大に貢献するでしょうに。

アメリカを金融の中心とし、世界の資源を中国に運んで安い労働力で製品を作り世界で消費するというグローバリゼーションはすでにピークを迎え、資本主義自体は変わらないでしょうが、世界経済の色分けが再編されることは明らかと思われます。結局価値あるものを作る能力がある国や社会が今後も栄えることは変わりなく、日本が進むべき未来も「価値あるものを作り続ける」以外にはないと思われます。それには「人材」を育て、大切にすることが大事であるという主張に異論はないと思います。

新しい年を迎えるにあたり、新生日本は「人材軽視」の風潮を今すぐ改めなければなりません。
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