rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

エジプトとイスラエルの思い出

2008-12-29 23:47:53 | 政治
イスラエルがガザ地区のハマスを攻撃し、多くの市民も攻撃に巻き込まれ犠牲になっています。もともとこの手の武装グループは市民に紛れ込んで生息し、国軍に攻撃された時に市民も一緒に犠牲になることで相手(国軍)が市民を虐殺したという事実を訴えることが活動成果につながるのだからイスラエル軍はハマスの活動目的達成に協力していることになります。これはイラク・アフガンにおける米欧軍の活動にも言える事で「テロとの戦いに国軍を使ってはいけない」と私が前から主張している通りです。

市民がいくら犠牲になろうとも力でねじ伏せれば最後は相手も黙り抵抗しなくなる、という前提でイスラエルも米欧も国軍を使ってテロとの戦いをしているのですが、ユダヤ人は徹底的にナチスに力でねじ伏せられた時何の恨みも持たず粛々と服従したでしょうか。それとも自分たちは神に選ばれた民族だから人からやられるのは否だけれど人にやるのは良いと思っているのでしょうか。

十数年前のことですが、2年続けてエジプトとイスラエルを学会で訪問したことがあります。私は反アラブでも反イスラエルでもなくあまり思い込みを持たずに両国を訪問したのですが、観光客としてどちらの方が居心地が良かったかというとイスラエルの方に軍配が上がります。英語が通ずる、街が清潔、食べ物が(日本人にとって)旨いといったことによるものでしょうがエジプトのアラブ文化が日本とかなり異質であったことが強く印象に残っています。(有り体に言うとエジプト料理が3日続いた時早く日本に帰りたくなった)

ピラミッド観光をしたことがある人は多いと思いますが、私達一行(日本人はわずか)がバスから降りるとアラブの少年が近寄ってきて「俺の眼を見ろ、人は絶対に騙さない。金は要らない。ラクダに乗ったら写真を撮ってやる。」と言います。写真を撮って金をせびるのは分っていましたが、あまりにもあからさまに「絶対に嘘は言わない。」と言うので、どのように嘘を言うのか良い経験になると思いラクダに乗って見ることにしました。父親らしき年配者が連れているラクダに乗って写真を撮ってもらい「ありがとう」と言うと「さあ、カメラが欲しければ金を出せ。」と言います。(ああ、若いのにアラブ人というのは見事な嘘つきぶりだなあ。)と思い幾許かの金を渡すと「もっとくれ」と言います。しぶしぶもう少し付け加えて「返せ」と言うと今度は父親が「俺の分もよこせ」と言い出しカメラを隠します。さすがに「このやろう」と思いましたがもともと自分で騙されてみようと思ったのが発端でしたので同様に金を払い日本円で2千円位でしたか、やっとカメラを返してもらいました。すると先程の少年が「ガイドには黙っていてくれ」と何とも厚かましい事を言い出します。私もアラブ人の商魂を見たようで、腹を立てるよりも思わず笑ってしまいました。金を持つ者が貧しい者に分け与えるのは当然であるというのがアラブの道徳だと聞いていましたので金持ちの日本人を騙して少々の金を巻き上げるのは「問題なし」なのだろうと改めて思いましたが、日本人の精神性からはかなりかけ離れた行為だと感じました。

イスラエルでは、死海で泳ごうと思い立ち、エルサレムの百貨店で海パンを買った時のことです。景気が悪いらしく、従業員に賃金が払われず、商品券が賃金がわりに渡されていたようです。私が海パンを買おうとレジの所に行くと若い二人組の女性が金と商品券を交換して商品券で海パンを買ってくれと言います。「何故だ」と聞くと不景気云々と説明はしてくれます。「では私にとってのメリットは何だ?」と聞くと「No merit」とぬけぬけと言います。(ユダヤ人とはこんなものか)と経験できたお礼と思い商品券と交換してレジで海パンを買いました。

テルアビブの空港では1:00発の飛行機を10:00発と間違えて乗り遅れてしまい、「Oh My God!! What a fool!! What should I do?」と我ながら大げさに嘆いていたところ係の人に70ドル位でドイツ経由の代わりの便の切符を手配してもらい助かりました。イスラエルは当時もテロを恐れて空港の身体検査が厳重だったのですが、当時日本の公用パスポートを持っていた小生は100%安パイな存在だったので若い女性の係官から「私は見習いなのですが、練習のためにいろいろ詳しく聞かせて下さい。」などと頼まれて飛行機を待つよい時間つぶし(英語の練習?)ができたりしました。

エジプト人は一部のエリートとその他の一般人の差が極端に大きく、エリートの人達は非常に勤勉で誠実、頭脳明晰で優秀です。しかし街に出ると、道端でボロを着た若い者が何もせずにたむろし、博物館や遺跡でトイレに行くにも浮浪者に小銭を渡さないといけない。その点、それなりに皆働いていてアメリカで過ごす感覚がそのまま通用するイスラエルの方が印象としては分が良い。一般のアラブ人の精神性よりはユダヤ人の方がまだ理解できる。友人を作るならイスラエルかなとは思いますし、アラブの民衆と信頼関係を作ってゆくのはきっとイスラエルの人達にとってもタフなことなのだろうとは思うのですが、やはり国軍を使ったテロとの戦いは見直すべきではないかと思います。
コメント
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