V for Vendetta 2005年 米・独・英 ジェームズ・マクティーン監督、ナタリー・ポートマン、ヒューゴ・ウイービング主演
政府が意図的に作ったウイルスを国民に感染させてパニックに陥れ、それをテロ組織のせいにして、強権で治安維持を保つことを正当化させ独裁体制による管理社会が築き上げられた近未来の英国(米国は戦争で既に消滅したという設定になっているようだ)を舞台に、かつてあった自由な社会を市民革命によって取り戻そうとするヒーロー「V」の1年に渡る活動を描いた映画。展開はアノニマスの仮面をつけたVとナタリー・ポートマン扮する両親を政府によって殺されたイーヴィー、政府の中枢とVを追跡する刑事を中心に描かれるのですが、どこか舞台演劇のような作風で割と狭い空間内でストーリーが展開してゆきます。敢えて安穏に暮らせる日常を捨てて強権的な政府に楯突く道を市民が選ぶようになる経過はイーヴィーがVに捕われて擬似的拷問を受けながら、困難な自由への道を選択するという過程に暗喩されていて、全編を通じてVの芝居染みた台詞や象徴的な展開・表現が多いこと(倒される政府中枢の人少なすぎ?とか)からこの映画の好き嫌いや評価が分かれる所だと思います。Vは超人的でかつ暴力的で、それは原作が漫画ということもあるのでしょうが、全体の展開としては唐突な感じもあります。しかし権力は嘘をつくもの、国家権力による管理社会は個人の自由を平気で侵害するもの、自由は国民皆が意識を持って改革を迫らないと得られないもの、といったメッセージは十分伝わるし、ここに描かれた国家の姿は多かれ少なかれ、我が日本を含む現在の世界中の国家権力の姿を反映していることも理解できます。自民が圧勝して衆参で絶対多数を獲得することになった2013年7月の参院選の日に見た映画として意義があるかも知れません。映画のできとしては7/10点くらいでしょう。
映画 The Hurt Locker 2008年 米 キャスリン・ビグロー監督、ジェレミー・レナー、アンソニー・マッキー、ブライアン・ジェラティー主演、2010年アカデミー賞受賞。
911以降、アメリカ国内では愛国者法ができて「テロ対策」と言えば国民の人権でさえも制限の対象になる、テロの容疑者とされれば拷問もOKという何でもありの状態、一方で10年に及ぶ国力を疲弊させる実りのないイラク・アフガンにおける戦争をハリウッドがどう映画化し、どのような描き方ならば高評価がなされるのかは興味深い所でした。COIN(Counterinsurgency)と呼ばれる米軍のイラク・アフガンにおける活動は軍隊本来の活動とはほど遠く、戦争映画として描くとなると、軍が本来的に持っている機能の何かを主役に描かねばならず、結果として「爆弾処理班」の活躍を描く事になったのでしょう(途中戦争映画的な狙撃戦<下図>も織り込まれてますけど)。設定としては戦争好き(戦場でしかうまく自己実現できない)な主人公が周囲を巻き込んでストーリーがぐいぐいと展開してゆく中で、義務感から戦争に参加している普通の軍人達の苦悩が描かれて、全体としてアメリカが戦う意義が表徴されるという戦争(娯楽)映画としてはオーソドックスな設定がなされています。しかしその意義の描き出しが難しいのがこの戦争。同じような設定の映画例として、第二次大戦はファシズムとの戦い(S.マックイーンの戦う翼War Lover)、朝鮮戦争は共産主義との戦い(ロバート・ミッチャムの追撃機 Hunters)、イスラエル建国(カーク・ダグラスの巨大なる戦場Cast a Gant Shadow)などが挙げられますが、これらのように背景となるアメリカ(世界の)大衆が安心して納得できる「戦争の大義」をこの映画で描けたかというと疑問です。イラク・アフガンの場合の戦争の大義は「テロとの戦い」になるのですが、映画の中では、それがイラク国民のためにもアメリカ国民のためにも大義として成立していない。つまりこの映画では型通りの人物設定にしながらも「多分意図的に」この大義を描けなかった所が却って作品として評価されたところなのかも知れません。その意味ではアメリカの現実を皮肉った「アバター」を抑えてアカデミー賞を受賞した意味があるでしょう。8/10点をあげましょう。
貧しき者、一般国民は戦争の大義を無理矢理押し付けられて戦場にかり出され、無差別空爆に晒され、犠牲を蒙るのが世の常だったと私は思います。
もし、戦争に大義があるというのなら、戦争指導者、戦時指導者らは自ら銃を手に取って最前線に赴き、命を賭した行動でその大義を国民に知らしめるべきです。何故なら、そのように犠牲を払うだけの価値があると彼ら指導者が判断したのですから。