「明治維新で始まった大日本帝国は何故第二次大戦の敗戦で終焉を迎えたか、300字程度で述べよ。」という試験問題が高校三年の息子の歴史・期末試験に「公開問題」として出されました。受験を控えた3年生に今更落第はないでしょうからどのように答えても論理的歴史的に誤りでなければ点数をあげることができる。しかも高校を卒業して大学・社会へと出て行く教え子達の歴史観を端的に把握できる極めて優れた出題と言えます。歴史を倫理的善悪でしか考えられないレベルの人達には回答不能と思いますが、この先生は答えられるような歴史の授業をしてきたという自負があるのでしょう。20年分位の教え子達の回答を時代の変遷とともに集積すると一冊の本が書けるかも知れません。
皆さんならばどのように回答するでしょうか、私も良問なので自分なりに考えてみました。
1) 諸外国との関係を中心に答える。(比較的オーソドックスな回答と思う)
江戸末期の帝国主義西欧列強にとって、日本を含む東アジアの植民地化が究極の目標であった。日本は幕藩体制から維新によって近代国家となり、日清日露の戦で辛勝した結果、帝国主義国の一端に加わる事によって植民地化を免れる方策を取り成功した。その後満州事変から日華事変へと帝国の版図を広げるにあたり、旧帝国主義陣営との経済的利害対立が先鋭化し、日本はアジアの覇権を断念するか、旧帝国主義陣営と戦争をしてでも帝国主義を続けるかの選択を迫られた。日本は新興帝国主義国である独伊と組んで旧帝国主義国と戦う道を選択し、結果的に敗戦を迎えることで帝国主義の強制的終焉に至ったのである。(281字)
2) 政策決定のメカニズムから答える。(少し司馬史観が入る)
明治維新によって形成された大日本帝国は立憲君主制を取る近代国家でありながら、実態は元勲と呼ばれる維新の功労者達による集団指導体制に支えられていた。大日本帝国憲法において、天皇は君主で絶対権力者である一方、政策施行上は責任を問われず、しかも君主を支える軍、政府、議会の権限は並列であり、天皇と同じ視線で国家戦略を立てる機構が存在しなかった。昭和初期までは軍・政府・経済界に影響力のある元勲により大局的な国家政策が練られてきたが、それ以降は並列の各機構がバラバラに、特に力を持つ軍部が国政を壟断する傾向に至り、大局的国家戦略がないまま成り行きで戦争に突入し、惨敗を期す事で帝国も終焉を迎えたのである。(298字)
3) 米国を軸に答える。(戦後も含んで常に米国に翻弄されてきたと言えるし)
黒船の来航を契機に維新により近代国家への道を歩み始めた日本は旧帝国主義国が第一次大戦で自滅し合う中で米国とともに新興勢力として世界の中で認められるに至った。英から米へ経済の中心が移り行く中で、米国は旧帝国主義国が開拓していないフィリピン、東アジア、中国を版図に加えようとしたが、そこで日本と利害が対立した。日本は米国に妥協し、共同歩調を取る選択をせず、帝国主義国の一つとして独自にアジアの盟主となる道を選んだ。結果的に日本は明治以来ロシアを軍事的な脅威として備えて来たにも関わらず、仲間のはずの中国と戦争を始め、さらに最終的に米国に戦争を仕掛けて惨敗し、新興帝国の座を失ったのである。(292字)
4) 終戦の形式から答える(戦争形態の異常性による必然)
明治維新は日本自身の選択によって幕藩体制を終わらせ、近代国家に生まれ変わるために独英などの国家体制から学んで、立憲君主国としての大日本帝国を独自に形作った。しかし第二次大戦は帝国主義同士の戦いであったにも関わらず連合国は、勝敗の行方が見えてきた時点で戦後の世界支配体制を米英ソの3国で仕切ることができるようにするため、終戦の条件を今までの戦争の常識にないunconditioned surrender「無条件降伏」に定め、敗戦国は国家を終焉させる他戦争を終わらせる事ができなくした。日本は体制の維持を望んだが叶わず敗戦を迎える。結果的に敗戦国とその支配地域は、戦後米英かソ連の定める政治経済体制に国家を変貌せざるを得なくなったのである。(297字)
いや、それは違う、とか俺ならこう答える、というものがあれば是非コメント下さい。しかし日本の戦前と戦後を俯瞰する上でこの問いはかなり重要なものと私は思いました。
ご挨拶もせず、先日はいきなりコメント書いてしまいました、申し訳ございません。アメリカ合衆国の囚人たちが奴隷化している話に驚き、思わず挨拶なしにコメントを書きました。
明治維新が文明開化であったのか、文明の終焉の始まりであったのか?私は、原発爆発の後の日本政府のあり方を見て文明の終焉の始まりであったと思うようになりました。
彼ら帝国主義者は、先住民族のあらゆる財産を根こそぎ奪っていきます。南北アメリカの先住民族も、アフリカの先住民族も、中国もインドも、そして日本も。日本は明治維新後、彼らに操られ戦争をし、農業を捨てさせられ工業国になります。最後のとどめは、原発55基で終了です。何千年もかかり培ってきた美しい日本は、彼らの策略により消されていきます。55基の原発は、到底制御不能なものでしょう。これから、彼らは、日本の金を全て持ち去ります、最後の仕上げなのです。安倍政権は、その為に存在します。
江戸、明治の人達から現代の日本人は汚れのない日本国(土)を受け継いだにもかかわらず、我々の世代は今後数百年の子孫達に原発の後始末をさせる過ちを犯してしまいました。事故が起こるまで気がつかなかったものの、今は誠に申し訳ないと感じています。
何とか原発のゴミを早急に無害化するような技術を開発してほしいものだと(自分にはその能力がないので)期待しています。自分にできることは子孫達にこれ以上迷惑がかからないように努力することかなあと思っております。
拙いブログですが宜しくお願いします。
最初の内は、英米の思惑通りに日本は働きました。清に勝ち、ロシアの南下を防いだからです。しかし、いつの間にかいう事を聞かなくなり、いつしか「鬼畜米英」と言い出します。
これには天皇家、皇族は非常に困ります。情勢から考えて、この考えを覆せないからです。自分の地位と権力、財産を認めてくれる英米と戦う訳にはいかない!最後まで戦争反対(あくまで英米と)と訴えたのですが、開戦は避けられなくなります。そこで、わざと負けるように拙劣な戦いをさせて、自国民を徹底的に痛めつけ(原爆報告書は投下二日後、日本の調査団によって作成され、英訳されて米国に渡されました。日本人が二日後にですよ?この意味わかりますよね?)、二度と英米に逆らえない属国に仕立て上げたのです。これが、明治維新から第二次大戦敗戦の経過なのです。
歴史はねつ造の連続です。そもそも、欧米列強に立ち向かう為近代化しようと思ったとき、何故、自国の文化を欧米化しなければならなかったのか?不思議に思いませんでしたか?
現代の日本は横文字が溢れ、アメリカの一部のようになっていますが、明治時代の時既にイギリスの属国、下僕だったのです。自分自身で近代化したのであれば、スーツもシャツもいらないし、西欧建築も爵位もダンスもいりませんよね?
別に、英米に逆らえない属国でもいいのですが、その為に先の大戦で数百万の国民が死にました。その事に関しては日本国内で裁かなければなりません。
もちろん、「ヒロヒト」を筆頭に、売国奴の連中全てです。まだまだ明治維新は完結していませんよ。
大日本帝国の天皇を頂点とした統治機構が
時代にそぐわなくなり、付け焼き刃で作った憲法のボロが出てきたため。
そして天皇自身が帝国の終焉を受け入れたためでしょう。
それが良いかどうかはさておき、一理ある分析だと思います。
明治時代、政府は、廃仏毀釈で、仏教を廃止したかったのですが、長い間の仏教による洗脳は日本人を解放しきるまでには至りませんでした。
その結果、多くの日本人は情報や物資の重要性を認識することなく、観念論、精神論に傾倒したまま、貧しいまま、豊かになれませんでした。
だから、戦争をして、国土を灰塵にしたあと、生き残ったものが、豊かな国を作ることに方針を定め、国家心中をしたのが、大東亜戦争の真の狙いです。
日清戦争以降、日本の確固たるシナリオライターが計画した通りに戦争をしてきた、という事でなかったことが何よりも最終的に敗戦に至った原因のように私には思えます。