NHKの科学番組は時に解り易く面白い内容の物があります。BSプレミアムで6月7日22:00から放送されたコズミックフロント☆NEXT「重力波 天文学を変えた奇跡の2週間」もその一つでした。アインシュタインがある(はず)と理論付けしながら、実際に測定することができなかった重力波が2016年に初めて測定され、この重力波がブラックホールや中性子星の変化で放たれる事が解ってから、新たな「重力波天文学」の幕開けであるとまで言われていました。
私も実際は理解できていないのですが、宇宙(現実世界)には重力、電磁力、ミクロレベルの(電磁力より)強い力、弱い力の4種類があって、全ての現象はこの4つの力で説明できるとされます。重力は「空間のゆがみ」だそうですが(この辺から感覚的には理解不能になる)、その小さな変動を波として捉える方法が90度直角にしつらえた4Kmに渡る管の中をレーザー光線を当てることで事が可能になったというものです。このLIGOという装置は米国の南部(ルイジアナ-リビングストン)と北部(ワシントン州-ハンフォード)にあって、同時に測定された「ゆがみ」が同一であればそれは「宇宙からの空間のゆがみ」=重力波を捉えたものであるということです。
LIGO施設(ハンフォード) 初めて捉えられた重力波(2016年4月号Newtonに掲載されたもの)
今回の番組で何が感動的かというと、このLIGOで2017年8月17日にたまたま1億3千万年前に起こった中性子性の衝突によって起こった重力波が捉えられた、というニュースが瞬く間に世界中の天文学者に共有されて、真夜中や早朝を問わずそれぞれの分野でその解明のための研究が動き出した事です。特にどの中性子星が衝突して得られた重力波なのかという追求が素晴らしい。設定の方角が異なるイタリアの重力波測定装置VIRGOでは測定できなかったことから、その角度設定に影響を及ぼさない方角からの重力波である、という仮定で仮説が立てられて、衝突後短時間で輝きが出現して消えてしまう中性子星の衝突を光で捉えるために世界中の天体望遠鏡が協力して可能性のある方角の観測を始める。そして南米の大学院生が当番であった観測所からのデータから、とある小さな点でしかないはるか宇宙のかなたの中性子星の衝突の場所が特定されるという展開になります。この点は世界各地の天文台で観測を続けるうちに数週間で消えてしまうのですが、その変化によって金やプラチナの宇宙における生成過程も明らかになって、それらの多くに日本人の研究者もかかわっていることが紹介されます。
中性子星の衝突の想像図(キロノバと言うらしい)
まあこのような事が人類の幸福に貢献するのかというとそうでもないように思いますし、「それで?」という感じでもあるのですが、何より「重力波で中性子星の衝突を捉えた」という事実からこれだけ多くの世界中の研究者達がその意義を理解して夏期休暇返上で一斉に協力しながら研究を進める、そこには人種、宗教、経済の対立もない所が素晴らしいと感じました。観測から作成された論文には世界中の天文台の観測者達の名前も載るのですが、浮世離れした世界でも追求される真実は一つと言う所が良いと思います。医療の世界ではデータの再現性は実は一流と言われる雑誌の論文でもあまり高くありません。基礎医学のデータは70%、臨床医学では50%の再現性があれば良い方です。しかし物理や化学では100%の再現性が求められます。世界中の天文台から集められたデータで一つの真実に迫るということが普段やや再現性が緩んだ論文を見慣れている私には新鮮だったのかも知れません
MRIと脳科学の医師が衛星写真とCGとゲノムを駆使して邪馬台国と倭人族に挑む『日本古代史を科学する』『科学者が読み解く日本建国史』の中田力氏。
造船技術と運河建設のプロが邪馬台国と倭人に挑む『古代史の謎は「海路」で解ける』や『古代史の謎は「鉄」で解ける』の長野正孝氏。
(いずれもPHP新書)
極めつけは『ロマンで古代史は読み解けない』(彩流社)の坂本貴和子氏&渡辺英治氏。
こちらは二人とも自然科学研究機構に所蔵する
医師と工学博士です。
邪馬台国ひとつにしても、延々と江戸時代から
150年以上をかけて場所を特定できないのは、
もう文系ではダメという事です。
一度、白紙に戻して、衛星写真と当時の海岸線をCGで比較して、当時のテクノロジーから発掘現場を探した方が速いのでは?という意見には賛同します。ジャレッジ・ダイアモンドの
『銃、鉄、疫病』でしたか、あれも著者は鳥類学者でしたね?
そういう時代に今は来てます!
宗教や歴史や国際情勢について自然科学者が専門外として腰が引けるのは解ります。でも庶民が求めるのは、やはり科学者の視点です。
私は東洋医学の免許と看護師免許を持ちます。
そして趣味で自転車でサイクリングしながら、
あちこちの古本屋で希少本を漁るセドリでもある。古物商免許を持っている古道具屋でもおります(無店舗ですが(笑))
それで「現場の人間」として思うのは、これは
どちらも直観を使う「職人」なのです。
先生も本はお好きと思うので言います。
古本の良し悪しは「見立」です。
巻末の索引、レジュメの斬新さ、そして何よりも装丁の男前度!
索引の緻密さや、レジュメの斬新さは筆者の熱意を現してます。装丁の美しさは装丁家と編集者の「熱意」のバロメーターです。これで良いと判断した書籍は専門外でもAmazonで高値で売れました。骨董や古道具はなおさらです!
古道民具の鉄製品を、アメリカのナイフ・ギルダーに売った事がある。それは砂鉄を鍛えた日本の鉄器は優れた鉄資源だから!
でも、このような現場のセドリは、どこもでも経験則に基づく「職人技」なんです!
俯瞰して観る視点を持たない!
だから、それを俯瞰して観るには科学者の意見なのです。そして、その直観は、先生のように臨床現場にいる方こそ、職人を理解できると私は思います。人体であれ「自然」に常に接しているのだから!
職人と科学者の鳥瞰を結ぶのは、現場を知る科学者でしか出来ないと思いますよ。
先生は医師として多数を救ってきたではないですか。そして科学者でもある!
そういう方ほど、専門外でも宗教や思想や歴史や芸術などに、どんどん切り込むべきであると思います。
もっと人文(人文の後に科学を付けるのは我が国だけ。シナでも西欧でも二つは分離するのが普通です)に踏み込んで欲しい読者として。
自然科学にばかり眼を向けるのは、もったいないと私は思います。
誤解を恐れずに言うと、私は手術でも外来でも作品を仕上げるようなつもりで臨んでいます。勿論プロですからどのような状況でも60点以上、絶対に患者さんにマイナスになるような結果を出してはいけないと思いますが、自分なりに今日は80点の出来だな、という時には患者さんの満足度も違うように感じます。患者さんの状態が悪くて、四苦八苦しながらやっと60点にして終わることもありますが、そのような場合は後も注意していかないといけません。外科医で作品を仕上げるように手術を綺麗に納得ゆくように行うという人は意外に多いようで、決して患者さんをモノ扱いしている訳ではないのですが、客観的に冷静な眼で手術をしてゆくという点では重要なことかもしれないと思っています。家族を手術することはやめた方が良い、とは外科医達の中でよく言われることです。
芸術家なんだと感じました。芸術家だから職人の私の琴線に触れる事を書かれるのでしょう。
先生が患者様を物扱いしてないのは明らかですが。すみません、こういう話題を振った私が悪いのです。でも、悪意でねじ曲げて解釈して、
ケチをつける奴はいます。
私の中の投稿ともども削除していただけませんか? 私のせいで御迷惑をかけては執刀を待っている患者さんにも申し訳が立ちません。
誠に御迷惑をおかけいたしました。謝罪いたします。