rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

小沢氏不起訴に思う

2010-02-10 23:52:14 | 政治
先のブログでは小沢氏が幹事長を辞任しなければ検察は起訴するだろうと書きましたが結果は外れました。一説には不起訴決定の前の2月2日にアメリカのルース大使とキャンベル国務次官補が小沢氏と国会内で会談して郵貯180兆円でアメリカ国債を購入することを小沢氏が承知したからアメリカが起訴を止めさせたのだとも言われています。

現実にはそんな所かも知れませんが、どうも不起訴決定の後の検察やマスコミの煮え切らないような報道や、幹事長続投を胸を張って宣言する小沢氏や政府の対応を見ていると隔靴掻痒の感を否めないものがあります。

ずばり言うと、国民としては小沢氏が陸山会に流して土地を買ったという4億円が水谷建設の不正な献金であろうと何だろうと国民はどうでも良いと思っていたのです。ただ官僚、一部政治家、アメリカ、大企業の間で国民不在のまま政治的決定がなされてきたことに「政権交代」と言う形で国民が「ノー」を突きつけて、政治的決定の透明化を期待したのに与党幹事長である小沢氏ただ一人の所に情報も権力も集中する構図ができつつあり、国民が期待した経済対策や公務員改革よりも外国人参政権や夫婦別姓といったsensitiveな問題を拙速に数の力で無理強いしようという姿勢が「検察の国策捜査」という形でも良いから小沢氏独裁という形式をなくすべきだ、という期待につながっていただけなのです。マスコミはそのことをはっきりと報道すべきだ。

検察を批難する論調は「選挙によって国民によって選ばれた政治家を検察権力が半ば恣意的に封殺するのは不当だ。」というもっともなものなのですが、これは「34万人の地方選挙民が選んだ1国会議員が1億以上の国民に対する全ての情報、権力を握ることは良くない」という至極当然の国民の意識を無視してしまっています。「これは選挙の結果なのだから不満があるなら次の選挙で選び治せば良いではないか。」というのは詭弁であって、小沢氏の独裁がなくなってもう少し目に見える公の所で議論が行われるようになれば民主党政権にはまだ期待できるところが沢山あるというのが国民の認識です。しかし小沢氏擁護の人達は何故あれほど「小沢氏のやること何でも賛成、小沢氏は日本の救世主、絶対守る」と信じ切って言えるのか、今までの自民党の政治家と何処がちがうのか、まるで全共闘世代が若い時に左翼に幻想を抱いていたのと同じ臭いがするのですが、なぜあのように擁護派の人達は小沢氏を信じているのか実に不思議に思います。

私は今のような形で小沢氏が幹事長を続けるならば再度検察は別件で小沢氏を幹事長辞任に追い込むよう起訴すべきだろうと思います(実際その方向で検察は動いているという説もありますが)。というよりも幹事長が党首より権力を持っていることが根本的におかしいのですから、小沢氏は改めて党首となって行政府の長である総理大臣として施政方針を明確にし、日々国民に説明責任を果す状態になってから権力を行使するのならば私は問題視しません。

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