何かと話題の多い靖国神社ですが、日本人にとっては神道の意味合いから、戦犯合祀の有無で神社そのものの貴賎が変わる訳ではないと私は考えています。だからお参りする時には単純に日本の将来のためを思って命を落としていった英霊達に感謝する気持ちでお祈りをする事にしています。
去る2月8日に都内で研究会があったのですが、油断しているうちに大雪で電車が止まってしまい、帰宅できなくなりました。幸いホテルが取れたので一泊して、翌日も当分交通が麻痺状態ということなので雪の靖国神社と皇居を散策してきました。
朝10時台にも関わらず参拝客用の通路は雪かきがなされていて、周囲へ広げられている最中であり、作業をしている人達(ボランティア?)に「お疲れさまです、失礼します」と声をかけながら通りました。非常に閑かで凛とした空気の中でお参りを済ませ、北の丸公園から竹橋の方へ滅多に見られない皇居の雪景色を眺めて散策し、交通が回復した午後に家に帰りました。雪と共存する北桔橋門とか北の丸公園の池など、画像の解像度は今ひとつですが携帯写真に撮ってみました。
靖国神社と言えば「A級戦犯合祀」が世界的に問題にされています。東京裁判でA級戦犯とされた人達がいなければ日本は戦争することはなかった、などと単純に考えている人は歴史について、まともな思考能力がある人ならばいないと思われます(ドイツの場合はヒトラーがいなければあのような戦争にならなかった可能性は高いと思いますが)。数多くの戦争開始の責任を問われるべき人達の代表としてA級戦犯とされる人達は処刑されて、後の人達はいちいち「お前は戦争中どうしていたのだ」と戦後追求されなくてもよくなった、と考えるとA級戦犯の人達は戦闘で犠牲になった人同様、戦後に戦争のために犠牲になった人と考えられる訳です。しかしそれが正しかったかどうかは別として、自国・他国に対する「戦争責任のけじめ」という形で犠牲になったのですから、他国から靖国に合祀され、そこに「政治指導者が参拝」するのはけしからんと言われるのならば「再度分祀もやむなし」ではないかと私は思います。申し訳ないと思いますが、戦後の日本人が心置きなくお参りできるように、靖国に行けない事も含めてA級戦犯としての犠牲なのかなと。
島田裕巳 著 「なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか」 GS幻冬舎文庫326 2013年刊 を読むと、日本の神道というものの伝統や考え方の柔軟性といったものが非常に良くわかります。例えば日本の草創期にあたる古事記・日本書紀に出てくる神は327柱しかおらず、日本中にある神社に祀られている神の多くはその後の歴史的な経緯で作り出された神々に過ぎず、日本に一番多い八幡神などは朝鮮由来の神であり、仏教の弥勒菩薩とも一緒になっていたりとかします。狐の化身としての稲荷神も渡来人の秦氏との関係や空海や東寺との関係が深いことが解ります。靖国神社の歴史はかなり浅く、誰が祀られるかといった事は時に応じて柔軟に決めて行けばよいというのが私見です。もともと神道というのはそのような柔軟なものであり、だからこそ日本人から神道を取り上げることが不可能なのだと感じます。「神と仏、どちらが上か」という乱暴な問いにも修行しないとなれないから「仏が上」、みたいな解説がなされていて神道の柔軟性をよく表していると感心します。
神道には他の宗教のような「教典」がなく、従って修行もない、修行や儀式をするための「社殿」も本来は必要がなく、山や石が祀られる本体であったりする。その分、日本人の生活に密着して歴史上絶える事なく存在し続けたのであり、修行による悟りや死後の極楽浄土を目指す仏教とは性格が異なる現世的なものだと感じます。神道における神は現在生きている人達に影響を与える存在なのだと考えると、現在生きている人達の都合で神の方もあちこちに移動してもらっても良いのではないかと思います。建物が古くなったから遷宮も行われる訳ですし、各地の祭りも災いを治めるために始められたものが多いのです(祇園祭や葵祭りも)。
誰もがそれぞれの思いで好きなように神社仏閣にお参りできるというのが真の信教の自由だと思います。それを実現するのも政治の仕事かと思います。
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