ある戦争 (Kriegen) 2015年 デンマーク 監督トビアス・リンスホルム 主演ピルー・アスベック(クラウス・ペダーゾン)2015年アカデミー賞外国語映画賞ノミネート
あまり期待しないで見たのですが、とても良い作品だったので紹介します。デンマークは米国主導のアフガニスタン紛争における不朽の自由作戦にNATOの有志連合諸国として参加、戦死者も出しています。これは国連の平和維持活動とは異なり、米国との集団的自衛権に基づくタリバンとの戦争にあたります。あらすじは以下(ネタバレあります)—
アフガニスタンのカルザイ政権支援のために駐留するデンマーク軍の部隊長、クラウス。3人の子と妻マリアを国に残して命がけの任務に没頭する彼は、ある日のパトロール中にタリバンの襲撃を受け、仲間と自分を守るため、敵が発砲していると思われる地区の空爆命令を行った。しかし、そこにいたのは民間人だった事が判明。結果として彼は、11名の罪のない子どもを含む民間人の命を奪ってしまった。帰国後、クラウスを待ち受けていたのは軍法会議。愛する家族に支えられながらも、消えることのない罪の意識と、過酷な状況で部下たちを守るために「不可欠」だった決断との間で揺れ動く彼に、運命の結審が訪れる。
本作は前半が戦場、後半が裁判とはっきり分かれた構成になっています。
非常にリアルな戦場の場面 隊長は裁判のために帰国するが・・
主人公クラウス・ペダーソンが率いるデンマークの国際治安支援部隊の隊員ひとりがIEDによって吹き飛ばされ死亡するところから始まる前半。ドキュメンタリータッチで描かれる戦地での状況は非常にリアルです。これらシーンはもしかすると将来派遣されるかもしれない自衛官の人達にとっては他人事でなく感ずるでしょう。無為に死んで行く若い兵士を見て、アラブ系の移民?のやはり若い兵士が「こんな任務に何の意味が・・」と神経症に。クラウスは皆を鼓舞して自分達の任務がアフガニスタンの人達に受け入れられつつあるとして率先してパトロールに出かけます。しかしその後の展開で自分達のために村人がタリバンに殺され、助けを求められたのに助けてやれず、任務が無意味と嘆いた兵士が首を撃たれて死にかけます。部下を助けるために敵が撃ってくると思われる方角に空爆を指示するクラウス。その甲斐合って兵士は助かるのですが、空爆をした場所には子供達を含む民間人がいて11人が犠牲になります。
その後クラウスは敵の存在の確証(PID)を得ずに空爆を指示したとして軍法会議にかけられます。PIDを得ていない事にクラウスは罪の意識に苛まれるのですが、裁判結審に近い6ヶ月目に部下が「敵の発火を見た」という証言によって無罪となります。
(あらすじ終了)
私はこの作品、アメリカン・スナイパーやゼロ・ダーク・サーティよりもはるかに内容としてはクオリティの高い作品だと思います。作者はこの1本の作品の中に実に様々な問題提起をなし得ています。つまり
1)アフガン紛争への参戦は集団的自衛権の発動として適切か。
2)テロとの戦争に軍という組織を用いる事は適切か。
3)軍の駐留とパトロールが当該国の平和維持に役立つのか。
4)戦争において国際法は確実に守られるのか。
といった事です。
この作品で後半時間をかけて審議しているのは4の敵を確認せずに無差別に爆撃を指示した結果民間人が犠牲になった事は戦時国際法違反であるという部分だけなのですが、1)から3)の問いかけが直接間接的に作品中でなされて、それについては審議されることはありません。僅かに3について兵士から疑問が呈されるだけです。
作品の後半では4について時間をかけてクラウス個人を裁くのですが、クラウスが意図的に民間人の殺戮を行ったのではない事が明らかであるので、民間人が誤爆されたのは「事故」という扱いです。しかしPIDを意図的に無視した事は軍紀違反であり、その結果「重大事故」が起こったのですから、民間人を意図的に殺戮すれば終身刑になるものの、PID無視では最高刑である懲役4年が求刑されるという展開でした。
この「事故」自体の責任を個人に問わない、というのは非常に法律的によく検討された内容と思います。交通事故、飛行機事故、医療事故、これら意図的に起こしたものでない事故による障害や死亡の責任は「個人の問題」と「システム・環境の問題」に別れ、個人の過失などが明確でなければ個人に罪を問うことはできません。信号が両方とも青で車がぶつかったならそれは信号のせいであって個人のせいではありません。上記の問題4で起こった事が「事故」であって、その原因が1、2、3の国家・政治のシステム的な事が原因で必然的に起こったということになると、国家の選択自体を法廷が裁く事に成る、だから法廷ではクラウス個人のPID無視だけを審議したということなのです。そもそも「アルカイダを匿ったから」という理由でアフガニスタンという国家を転覆させる事に、集団的自衛権を理由にデンマークのような全く関係ない国が軍で他国を侵略する事は適法性がありません(1)。私が前から主張するように、テロとの戦争に軍という組織を使うことは適しておらず、様々な不具合が生じます(2)。昼間時々パトロールに軍が来るだけで、いずれそれらが撤退して去ってしまう事が解っている状態で、タリバンのような地元に根ざした敵対勢力を根絶する事は不可能で、方法論として誤りです(3)。つまりシステム的に不適切な1−3の状態を放置して、その結果生じた「事故」(4)に個人の責任を問うことは無理があるのです。それなのに隊長であるクラウス一人に罪を追求する所に観客は釈然としないものを感ずるのです。システムの問題を正さず、個人の罪を求める法廷の馬鹿馬鹿しさに、部下の一人が「私が敵の砲火を見た」と後から嘘の証言をして決着をつけた事に、恐らく検事、判事、弁護人や関係者全ては承知の上で「無罪結審」を示したように見えます。このあっけない終わり方がまた観客に何か不条理感を抱かせる良い演出であるように感じました。
有名な人魚姫の像
デンマークは一度訪れた事がありますが、コペンハーゲンは落ち着いた伝統ある奇麗な街で国全体はのどかな田園風景が広がる農業国でした。税金は高く、自動車一台買うと同じ額の税金を払う社会保障の充実した国です。一方でバイキングの歴史があり、グリーンランドもデンマークでアイルランドも昔領土でした。独仏よりも先進的であるデンマークが現在戦争状態にある国家で、このような課題を真剣に抱えているという事に改めて感慨を覚えます。デンマークでさえこれだけの悩みを持ち、解決ができないのですから、法整備も国民の心の準備もない日本が集団的自衛権などをあまり軽々に決めない方が良いのではないか、単なる無責任で「問題が起こってから考えよう」では遅いのではないかと強く思いました。日本人にとって一見の価値のある映画だと思いました。