rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

生きるということ

2018-06-08 17:54:37 | その他

 最近のブログへのコメントなどを踏まえて、やや漠然とした内容にはなりますが、自分が還暦を迎えたこともあり、「生きる」ということについての考え、意義などについてまとめておこうと思います。

 

人生は修行だと思う

 

 基本的に自分は仏教的な考えであり、人類が古くから自然と持っている「輪廻転生」の考え方が正しいと思います。一神教においては、人生は1回であり、神は死後審判を下して天国か地獄に行くということになっているようですが、どうも欧米の小説や映画を見ても「死後の世界はある」「輪廻転生がある」という前提で描かれた物が多く、しかもあまり異論なく受け入れられている所から「人生は一回きり」と本音では思っていない人が沢山いることが解ります。

 仏教的な考え方では、人間の今生は前世からの種々の業や因果によって規定され、現在の私は色、受、想、行、識の五蘊の統合による仮の姿(仮我)として認識されます。前世の五蘊は全く同じままで今生に引き継がれるというものではなく、種々の魂は交錯し得る物のようです(魂自体が複数あって一部が抜けると呆となる)。人間は徳を積む事で魂は次のステージに上がるものとされますが、罪を犯し、今生で償う事なく次ぎの人生に引き継がれる事もあるでしょう。

 

 罪を犯したにもかかわらず、償う事なく死んで行く者は、次の人生で黙々と徳を積む他ないと思いますし、罪を償う気さえない者は神からチャンスを与えられる事なく地獄行き(か人間界から追放=日本霊異記では畜生道、餓鬼道、地獄道の世界へ)となる「あはれ人」になってしまいます。今回の人生で夭逝するなど本懐を遂げる事なく不本意に終わる人も沢山おられますが、神は次の人生で今回果たせなかった夢を叶えるチャンスを与えて下さるだろうと思います。だから与えられたチャンスは活かして、大いに精進に励む事が「生きる」意義なのだと考えます。米国では優秀な若者が若い時は必死に働いて金を稼ぎ、四十代半ば以降は享楽的な人生を送るのが成功者の理想的人生だ、とする人生観を聞いた事があるのですが、私としては違和感を感じます。神は「優秀な才」をそのような人生を送るために与えたのではないだろうと。米国エスタブリッシュ達から何となくにじみ出る「軽薄さ」「あなた生まれてこなくても世の中困らなかったのでは?」のような感じはそのような人生観にあるのではないかと私は感じます。

 

 孔子の教えに三十にして「立つ」、四十にして「迷わず」、五十にして「天命を知る」とありますが、大体五十歳になれば、「今回の人生の意義、使命はこのような事だったのだろう」と理解して以降の生き方を定められるようになります。私も今回の人生は「一介の医師として可能な限り人の役に立つよう努力する(名誉、栄達、金銭ではなく)」というのが天命なのだな、と感じたのでそのように生きるのが自分にとって「徳を積む」ことになるのだろうと考えています。

 

清濁合わせ飲むということ

 

 社会の一員として生活してゆくには、必ずしも自分の理想や良心のままに全て事を運ぶことが許されないことがあります。最近社会で問題になっている組織の問題もそこに根ざしていると思います。所謂「おとなの対応」とか「組織の論理」という言葉で表現されているものです。また自分の利益のために必ずしも相手の利益にならない事を推し進める事もあります。これをどこまで許容するのか、というのは生きて行く上でかなり深刻な問題です。

 

 私は防衛医大出身ですが、大学当時はまだ反戦左翼全盛の時代で「自衛隊の存在」自体が許されない、といった雰囲気がありました。高校の同級生からも「人殺しのために医者になるのか」みたいな批判を受けましたし、ベトナム戦争で米軍が行った非人道的な事が取りざたされ、冷戦まっただ中の頃でもあり、将来自衛官になった時に米軍と共に戦場に行くような場合どのような心構えで行くか、といった事を真剣に大学の同僚達と話し合ったりしたものでした。森村誠一の「悪魔の飽食」といった731部隊の話も話題になっていました。そんな折、大学の倫理学の先生に「自分の本懐に沿わない命令を下された時にどうするべきか。」という問いを悩める青年達がぶつけました。

 先生は「日本には職業選択の自由がある。自分がどうしてもできない命令であれば職を辞するしかない。しかし少しでも意に添わなければ辞めるといった態度はよろしくない。自分が許容できない限界、red lineをはっきりと決めておきなさい。そこまで行かない命令は意見を言うのは良いとしても命令であれば最終的には従うのが社会人、組織人としての勤めだ。その覚悟で辞表は胸にいつでも用意しておきなさい。」と指導されました。これは自衛官のみならずどこの社会でも通用する至言であると思っています。このような指導をしてくれた倫理の先生を私は今でも最高の教育者であると尊敬しています。私は卒業後12年自衛隊に奉職して退職し、民間に移りましたが、red lineを超えたために辞表を提出する事態にその後も合わず勤務できたのは幸せであったと思います。

 

 還暦を過ぎて体力の衰えと共に長時間の手術などが耐えられなくなって来たことを痛感しています。しかし知識や経験を後輩に伝えたり、体力勝負でない治療を行う事はまだ可能だと思います。健康でいられる間、天命を果たすためにもう少し現職を続けて行きたいと思っています。

コメント (5)
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