書評 「一神教と国家」 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教 内田樹 中田考 対談 集英社新書0725C 2014年刊
神戸女学院大名誉教授の内田樹氏と同志社大神学部元教授でイスラム教徒の中田考氏の主に「イスラム教とグローバリズム」についての対談集で、対談形式のため非常に読みやすい体裁になっています。
始めに内田氏が自身の立ち位置について語っていますが、内田氏は米国を中心とする拝金主義経済グローバリズムに反対であり、国民国家や地域の特性をもっと尊重した社会のあり方が人々を幸福な生活に導くのではないかと考えています。また現在の経済グローバリズムはイスラム社会をグローバリズム(に基づく民主主義)の敵と見なしていることについて、何故そうなるかをイスラム教に基づく社会のあり方を中田氏に問うという形で対談が進んで行きます。だからキリスト教やユダヤ教について詳しく語られることはなく、それらについては他書である程度アウトラインを知っておいた方が理解しやすいかも知れません。
面白いのはイスラム教に基づく社会こそが本来は国境がないグローバルな社会であって、そこに西欧社会から押し付けられた国家が立ちはだかることによって本来あるべきイスラム社会が毀損されているという中田氏の説明です。イスラム社会ではイスラム教を信じているか否かのみが問題であって、人種や国籍は問われない。イスラム教は遊牧民の宗教であって土地を境界で仕切る国家のあり方は向かないと言います。また食料の自給にも拘らず、「交易」を何より大切にする点で、国民国家が経済グローバリズムに対して農業を危機管理上完全解放したがらないことには反対の立場を取ります。
この「遊牧民」対「土着民(農耕民族)」の対立が「インディアン対開拓民」の場面でも「イスラム対経済グローバリズム」においても根源的な相容れない対立点であるという説明はなるほどと納得できる気がします。最近は縄文時代にも農耕が行われていたと言われていますが、縄文対弥生の変化もこの対立があったのかと言う歴史的感慨があります。
この「ノマド」対「土着」というのは次に論考しようかと思っている欧州における最近の民族主義右翼の台頭などにも通じるかなり重要なテーマではないかと感じています。一方的に排外主義的な「ネオナチ」は倫理的悪であると上から目線で決めつける論調が多いのですが、何故そういった思想が多くの人達を惹き付けているか、また本当にそれが「倫理的悪」と決めつける事で皆が幸せになるのかの納得の行く説明がなく、極めて土着的な存在である日本人が偉そうに論評していることに違和感が私にはあります。
中田氏はイスラム社会を現在の仲間内で闘争を続けている状態を治めて本来の平和的な宗教社会を築くには1924年に廃止になった「カリフ制」を復活する他にない、として日本からカリフ制再興の運動をしています。詳しくは本書を読んでいただくとして現在内部でも闘争が絶えず、対外的にも資本主義社会から危険視されているイスラム社会が、実は将来世界を拝金主義経済グローバリズムの「帝国」から救う手だてになるのではないか、という論考はつかみ所のない「ネグリ&ハート」の「マルチチュード論」よりも具体性があるように私は感じました。