Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

スティーブ・ジョブズが去った日

2011-10-07 09:01:52 | Weblog
昨日の朝,アップルの創業者にして会長のスティーブ・ジョブズが亡くなったという知らせが Twitter 上に突然現れた。しばらくして他のメディアもニュースを流し始めた。iPhone 4S が発表された翌日のこと。そのあと Twitter のタイムラインは,ジョブズを偲ぶ声でいっぱいになった。

すい臓がんの手術が成功したジョブズであったが,最近体調が悪化し,CEO の座を退いた時点で,彼の死は人々の視野に入っていた。したがって驚きはない。しかし,やはりその事実に直面しないと感じられない悲しみはあり,深い。それは個人の死を悼むという以上の何かだと思う。

彼は,歴史に決定的な影響を与えたように見える。それは,電化生活を社会に普及させたエジソンとも似ている。エジソンは電球を構成する個別技術を発明したのではないことが知られている。むしろ,彼はホールプロダクトとしての「電球」を創造したといえる。ジョブズも同じだと思う。

よく知られているように,Macintosh の GUI はゼロックス・パロアルト研究所で発明されたものだ。iPod の前に MP3 プレイヤーは存在したし,iPhone の前に PDA が存在した。ただ,それらをつなぐだけでなく,1つの完全なシステムにし得た点がジョブズ,あるいはジョブズの業績だ。

しかしそうした「完全性」や「統合性」は操作的な定義や測定が難しい。経営学でもマーケティング研究でも,さらにはデザイン研究でさえ,その重要性は認識されながらもうまく扱うことができなかった。経営の実践においても同様。だからジョブズの「独裁」で推進するしかなかったと思う。

昨日の授業で,冒頭にジョブズがスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチを流した。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら,今日やる予定のことは私は本当にやりたいことだろうか?」を問う精神を学生たちに伝えたいと思ったからだ。その結果,欠席する学生が増えるなら望外の喜びだ(笑)

スピーチのなかでジョブズは,自分が大学を中退しカリグラフィの授業を受けたが,その経験がなかったら美しいフォントを持つコンピュータは存在しなかっただろう,と述べている。それだけでなく,ジョブズ自身が存在しなければ,何が存在しなかったかを問うてみたいと思う。

おそらく,パーソナルコンピュータは存在しただろう。携帯音楽プレーヤーも,コンピュータと融合した携帯電話も存在しただろう。なかには美しいデザインの製品もあったに違いない。ただ,それらがミニマルな完全性を持ち,流れるようなユーザ体験を提供できたかどうか。

その意味でジョブズはエジソンであるだけでなく,ディズニーでもあった。よくジョブズ後のアップルが問題になるが,エジソンがエジソンという名前のチームであったといわれるように〔以下の文献参照),スティーブ・ジョブズという名のチームが機能していたかもしれない。

How Breakthroughs Happen: The Surprising Truth About How Companies Innovate
Andrew Hargadon
Harvard Business School Pr

アップルについてはつねにジョブズの天才ぶりが注目されてきた。確かに彼は歴史を創り出したが,同時に歴史によって創られてもきた。しかもジョブズは個人であっただけでなく,チームでもあったに違いない。従業員,顧客,ライバル,あらゆる同時代の人々との相互作用の結節点に彼の像があった。

そうした視点抜きに,ジョブズ後の世界は洞察できない。