日本マーケティング・サイエンス学会の代表理事であり,この分野の第一人者である片平秀貴先生が,ツイッター上でマーケティング・サイエンスの現状についてきわめて重要な指摘をされている:
遍在するマーケティングにおいて重要なことの1つが,顧客インサイトの獲得であろう。現場の最前線にいるクリエイターやプランナーがそのために重視するのは行動観察やブレーンストーミングであって,サーベイデータや統計解析ではない。一方で,膨大なマーケティング・データの蓄積が,かえって「高度な」解析モデルを使えなくするという皮肉がある。
こうして使われなくなるマーケティング・サイエンスのツールの「高度化」に,少なからぬ研究者が血道を上げているのも皮肉である。それは同業者間で優劣を競うゲームでしかない。あるいは,それですらまだましと思える現状がある。そこに埋もれている限り,自分もまた免罪されない。だからこそ,片平先生が提示する新しい定義を噛み締める必要がある。
JIMS研究大会無事閉会。今までマーケティング・サイエンスという分野の仕事のほとんどは企業の「マーケティング担当者」を助けるためにあった。開発も生産も商品企画もなく皆で体で顧客を感じ、顧客を喜ばせる時代に入り、改めてその存在意義が問われている。次のツイートで,マーケティング・サイエンスの新たな定義が提案される:
Mサイエンス、今まで:”scientific approaches to marketing decisions”、これから:”adapting knowledge in the various scientific fields to marketing contexts”昨日の投稿で紹介した JIMS での片平先生のコメントでも,マーケティングを企業の特定部署,特定の職能を持つ人々に限定する時代の終焉が指摘されていた。我流に解すれば,マーケティングという行為がなくなるのではなく,遍在するようになる,ということだ。その結果,マーケティングの能力は特殊技能ではなく,一般教養に近いものになる。
遍在するマーケティングにおいて重要なことの1つが,顧客インサイトの獲得であろう。現場の最前線にいるクリエイターやプランナーがそのために重視するのは行動観察やブレーンストーミングであって,サーベイデータや統計解析ではない。一方で,膨大なマーケティング・データの蓄積が,かえって「高度な」解析モデルを使えなくするという皮肉がある。
こうして使われなくなるマーケティング・サイエンスのツールの「高度化」に,少なからぬ研究者が血道を上げているのも皮肉である。それは同業者間で優劣を競うゲームでしかない。あるいは,それですらまだましと思える現状がある。そこに埋もれている限り,自分もまた免罪されない。だからこそ,片平先生が提示する新しい定義を噛み締める必要がある。