ザ・ナック・・・。
大多数の人は「MY SHARONA」をヒットさせた一発屋と呼ぶだろう。
確かに間違っていない。しかし、余りに強烈な一発だったとの注釈を忘れてはならない。
そのナックのリード・シンガーであるダグ・ファイガーが57歳の若さで亡くなった。
ナックのアルバム「GET THE KNACK」は高校1年の時のクラス・メイトが所持していた。
私が「けっ、ナックかよ。」というと、友人は間髪置かずにこう言った。
「何言ってんだい、そっちはチープ・トリックかよ。」
で、その後二人ほぼ同時に「それ、貸してくれない?。」
今思い返しても、さわやかな二人だった。(笑)
私より先輩方だとバッドフィンガーやラズベリーズでそんな光景に出くわしたかも。
「MY SHARONA」がLPだとギター・ソロが無駄に長くて、ちょっとがっかりだったが
それでも良くできたレコードだと思ったし、それ以上にシングル盤の「MY SHARONA」が
より愛おしく思えたものだ。オリジナルの米盤シングルは男の視線を一点に集める
セクシーなジャケットでいつかは欲しいものだ。
掲載写真は98年にリリースされたベスト盤CD。
最初の3枚のアルバムから満遍なく選ばれている(4枚目からは1曲のみ)のだが、
このベスト盤でしか聴けないのが「TEACHER TEACHER」「I KNEW THE BRIDE」のカバー。
前者はロックパイルでお馴染み、後者は勿論ニック・ロウの曲だ。ナックの音楽が
パワー・ポップ、パブ・ロックに通底していることがよくわかるカバーである。
ドラムスがテリー・ボッジオというのも面白い。
ダグ、安らかに。キンクス・カバーをありがとう。
大多数の人は「MY SHARONA」をヒットさせた一発屋と呼ぶだろう。
確かに間違っていない。しかし、余りに強烈な一発だったとの注釈を忘れてはならない。
そのナックのリード・シンガーであるダグ・ファイガーが57歳の若さで亡くなった。
ナックのアルバム「GET THE KNACK」は高校1年の時のクラス・メイトが所持していた。
私が「けっ、ナックかよ。」というと、友人は間髪置かずにこう言った。
「何言ってんだい、そっちはチープ・トリックかよ。」
で、その後二人ほぼ同時に「それ、貸してくれない?。」
今思い返しても、さわやかな二人だった。(笑)
私より先輩方だとバッドフィンガーやラズベリーズでそんな光景に出くわしたかも。
「MY SHARONA」がLPだとギター・ソロが無駄に長くて、ちょっとがっかりだったが
それでも良くできたレコードだと思ったし、それ以上にシングル盤の「MY SHARONA」が
より愛おしく思えたものだ。オリジナルの米盤シングルは男の視線を一点に集める
セクシーなジャケットでいつかは欲しいものだ。
掲載写真は98年にリリースされたベスト盤CD。
最初の3枚のアルバムから満遍なく選ばれている(4枚目からは1曲のみ)のだが、
このベスト盤でしか聴けないのが「TEACHER TEACHER」「I KNEW THE BRIDE」のカバー。
前者はロックパイルでお馴染み、後者は勿論ニック・ロウの曲だ。ナックの音楽が
パワー・ポップ、パブ・ロックに通底していることがよくわかるカバーである。
ドラムスがテリー・ボッジオというのも面白い。
ダグ、安らかに。キンクス・カバーをありがとう。