ミニマル・ミュージックとか現代音楽というものに、さして興味があるわけ
ではない。むしろ一歩退いてしまうのが本当のところだ。
なんだか退屈なんじゃないか?とか、少ない音数の微妙な変化なんて
かったるいんじゃないか?とか。
そこでふと自分なりに考えてみる。その手の音楽の歴史にも全く疎いし
自己満足もここに極まる勝手な思い込みというか想像なのだが、意外と
黒人音楽のリズムから派生したある種の解釈である「ファンク」と
共通するところがあるのではないかと暴言を吐いてみる。
両者の音楽のファン層がほとんど被らないのは承知の上。
どちらも民族音楽の影響はあるだろうし、音数の少なさコードの変化の
少なさで同じリズムをキープするという点でもなんとなく似ている。
大雑把な物言いだが「クラシック」の対極にある点もそうだ。
譜面が絶対のクラシックに対し、リズムの決め事だけしてその上に乗る
上物の変化を楽しむアプローチが白人と黒人で違ったというのは
どうだろう。クラシックの大家が欧州に多いのに対し、ソウル(ファンク)も
ミニマル・ミュージックもアメリカで生まれたというのも面白い。
まあ実際は全然違うのだろうけど、どちらも「欧州のクラシック」の対極にある
という点で私はそこに面白みを見つけることができる。
掲載写真はそのミニマルの世界で名高いテリー・ライリーと、ジョン・ケイルが
71年に発表した「CHURCH OF ANTHRAX」。初めて聴く前は何だか
小難しそうだなと思ったのだが聴いてみると、実に気持ちよく身体に音が
染み込んでくる。
8~11分台の長尺の曲が多いが、ロックよりにアレンジされているせいも
あって単純な反復のリズムのように見えてそこに意外と複雑に絡む
ピアノとかオルガンが実に気持ちよい。悪い曲ではないが1曲だけ収録された
歌物が妙に浮いているのが可笑しいくらいだ。
ケイルの「ノイズ物」は4枚ほど聴いたがそれほど面白いと思わなかった。
しかしながら、これはずばり「傑作」。改めてV.U.の最初の2枚の重要な
要素を担っていたのはこの人だったと思うことしきりである。
近日再発されるようなので、未聴の方はお試しいただきたい。
ではない。むしろ一歩退いてしまうのが本当のところだ。
なんだか退屈なんじゃないか?とか、少ない音数の微妙な変化なんて
かったるいんじゃないか?とか。
そこでふと自分なりに考えてみる。その手の音楽の歴史にも全く疎いし
自己満足もここに極まる勝手な思い込みというか想像なのだが、意外と
黒人音楽のリズムから派生したある種の解釈である「ファンク」と
共通するところがあるのではないかと暴言を吐いてみる。
両者の音楽のファン層がほとんど被らないのは承知の上。
どちらも民族音楽の影響はあるだろうし、音数の少なさコードの変化の
少なさで同じリズムをキープするという点でもなんとなく似ている。
大雑把な物言いだが「クラシック」の対極にある点もそうだ。
譜面が絶対のクラシックに対し、リズムの決め事だけしてその上に乗る
上物の変化を楽しむアプローチが白人と黒人で違ったというのは
どうだろう。クラシックの大家が欧州に多いのに対し、ソウル(ファンク)も
ミニマル・ミュージックもアメリカで生まれたというのも面白い。
まあ実際は全然違うのだろうけど、どちらも「欧州のクラシック」の対極にある
という点で私はそこに面白みを見つけることができる。
掲載写真はそのミニマルの世界で名高いテリー・ライリーと、ジョン・ケイルが
71年に発表した「CHURCH OF ANTHRAX」。初めて聴く前は何だか
小難しそうだなと思ったのだが聴いてみると、実に気持ちよく身体に音が
染み込んでくる。
8~11分台の長尺の曲が多いが、ロックよりにアレンジされているせいも
あって単純な反復のリズムのように見えてそこに意外と複雑に絡む
ピアノとかオルガンが実に気持ちよい。悪い曲ではないが1曲だけ収録された
歌物が妙に浮いているのが可笑しいくらいだ。
ケイルの「ノイズ物」は4枚ほど聴いたがそれほど面白いと思わなかった。
しかしながら、これはずばり「傑作」。改めてV.U.の最初の2枚の重要な
要素を担っていたのはこの人だったと思うことしきりである。
近日再発されるようなので、未聴の方はお試しいただきたい。