ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

08/07/31 歌舞伎座千穐楽夜の部②「高野聖」魔人の純心

2008-08-10 00:28:49 | 観劇

七月歌舞伎全体の概観記事でもふれているが、「高野聖」単独の感想も書いて完結!
「玉三郎座頭の七月大歌舞伎を貫いたもの・・・」
【高野聖(こうやひじり)】
今回の主な配役は以下の通り。
女=玉三郎 僧・宗朝=海老蔵
親仁=歌六 次郎=尾上右近
薬売=市蔵 猟師=男女蔵
百姓=右之助

冒頭は年配の僧が並んで経を読む姿のアップ映像が幕に映し出され、読経の声が響く。その幕が上がって明るくなると飛騨から信州へ抜ける道が二手に分かれるところ。間に立つ巨木が悩ましい女体に見える装置に目を奪われる。これは隠し絵そのもの。これで修行僧が煩悩の責め苦にあう話だというイメージが湧く。
薬売が猟師に松本への道を尋ねると、本道は雨でややしばらく小川のようになっているが近道を絶対に行くのではないと忠告。遅れてさしかかる宗朝道連れになろうと言う。ゆっくり行くからと断るといろいろ因縁をつけて傲慢な薬売は近道を行ってしまう。そこにさしかかった百姓に近道の恐ろしさを詳しく聞いた宗朝は薬売を見捨てられずに連れ戻すために近道を進んでいく。
険しい山谷を表す大道具が回り、そこに黒衣がぬめり感のある大蛇を操っていたりする舞台は、3階席からだと全体が把握できて迫力もあって面白かった。初日からの評判はその通りだと思った。

山奥の孤家をみつけると厩には馬がつながれている。声をかけると一人の女が出てくる。疲労困憊の宗朝は屋根の下の片隅にでも泊めてほしいと乞う。女はそれを許し、自分は米を洗いに降りるからと崖下の流れで汗を流すようにすすめる。崖下に降りていく様子を客席に下りて通路を通り、花道から戻ると流れになるという装置も演出も見事。玉三郎が客席を通る演出をするのは初めてとも聞いた。
女に紹介された親仁の口真似で宗朝が「嬢様」と呼ぶと女は喜び、照れながらも親身になって沐浴をもすすめる。13年前の洪水の後で新しくできた流れだが、夏は涼しく冬は暖かく癒されると言う。強いすすめに負けて身体を流しているといつのまにか女も裸になり、宗朝が途中の森で蛭に吸われた背中の傷を掌で優しく洗い清めてくれた。その場面は、床にシートの切れ目を入れて肩から上をさらすという演出。海老蔵は鍛え上げた胸も美しいが何やら肩から背中に肌の色と同じ色の下着をつけていた。白く塗った玉三郎の上半身とこすれても失礼にならないようにしているのだろうか、などと妄想も楽しい。3階B席からだ玉三郎のまっ平らなお胸の方まで見えてしまうのはまた楽しからずや。

途中で蟇蛙や猿などが慕い寄るのを女が叱りつける様子に驚きながらも、その美しさと優しさに心を動かされた宗朝。女の肌にふれるまいと煩悩と闘い自分を制している。その心の強さに女はますます純な様子を見せるので女を「白桃の花」のようだとも言ってしまう。
女は心身障害を持つ次郎の世話をしている。下男のような親仁がつながれた馬を売りに行き、その金で食べ物などを買ってくるという。その馬は宗朝を見ると何か訴えたげな様子で暴れる。胸をはだけて見せて大人しくさせたり、夜中に獣たちが女を慕ってくるのを「今夜はお客様があるよ」と叱責したりする様子に恐れ慄く宗朝。一心に経文を唱えて夜を明かす。
ここも幕をうまく使って蝙蝠やムササビの姿の影絵と声で怪しい雰囲気を醸し出す。「ライオンキング」のジュリーテイモアがアジアの影絵の手法を取り入れていたことを思い出しながら、まさにアジアンテイストの演出を堪能。

翌朝、女は宗朝をしっかり送り出し別れを告げる。松本へ向かう宗朝が修行を続けるよりも女を救うために戻る方がいいのではないかと迷い足をとどめている。そこで戻ってくる親仁と遭遇。親仁は宗朝が人間のままでいることに驚き、そのことの意味を悟り、宗朝の迷いをも指摘。修行を続けることをすすめるために女のこれまでと今を語り始める。
父親の手術の失敗で不具者になってしまった次郎を世話しているうちに女と自分が孤家で洪水をまぬがれて生き残ったこと。元は不思議な力を持ちながらも人間だった女が新しい水の流れに身を浸すうちに妖力をつけ、肉欲で近づく男を弄び飽きると動物にしてしまうという。魔人になった女が人間のままにしたのだから修行を続けろというのだ。
「白桃の花、魔人の姿」とつぶやきながら遥かに女の面影を追いながら、煩悩から吹っ切れた表情を見せる宗朝の海老蔵が一人残る幕切れ。

実はご一緒していた玲小姐さんがどうしても早く帰らないといけないというので、hitomiさんと席を玉突きで移動。後半の孤家場面への場面転換時に一階の一等席の10列目の通路脇で見ることができ、遠くからと近くから一回で両方堪能させていただいた。感謝m(_ _)m

泉鏡花の小説を石川耕士が脚色、玉三郎と相談しながら仕上げたという今回の舞台。歌舞伎座としては異色の舞台だったと思うが私は大変面白かった。舞台の完成度としては「夜叉ヶ池」の再演の方に軍配を上げるが、今回の2本でまたまた鏡花の美学が玉三郎によって歌舞伎座に満たされた。
こういう舞台と昼の部の古典を並べることで、深山幽谷の異界の者たちの「純心」を描いた玉三郎。美しく優しく、そして厳しさも秘めて人間である観客の心への問いかけをされているような気がした。

写真は今回の公演の独自両面チラシの裏面。表面は「義経千本桜 吉野山」の写真になっている。               
7/26昼の部①「鳥居前」
7/26昼の部②竹本のみの「吉野山」
7/26昼の部③「四の切」
7/31千穐楽夜の部①「夜叉ヶ池」